【講義ノート】「身体と意識」2020/10/08

異なる意識の状態に対応して、異なる現実が体験される、ということで、いちばんわかりやすい例として、睡眠中の夢をとりあげました。

人生90年なら30年は睡眠

この授業では、夢分析や夢占いなどについては、とりあげません。心理療法、カウンセリングなどでは、夢の内容を分析することもあります。とくに、精神分析という精神療法の流派では、そういう方法を用います。子どものころの夢、とくに両親との関係が夢に出てくる場合には、それを分析することで、心の問題が解決することがありえますが、現在では、精神分析など、夢には重要な意味があるという考えには疑問が多いとされています。夢の内容の多くは無意味だという説が有力です。(ただし、夢の内容だけでなく、経験したことをセラピストや医師と話し合うこと自体で悩みが解決したりすることはあります。)

かりに夢の内容が無意味だからといって、夢を見ることが無意味だというわけでもありません。悪夢ならともかく、楽しい夢は楽しめばいいわけです。

人生の三分の一は睡眠です。一生を90年とすると、じつに30年を睡眠状態ですごすわけです。そのうちのかなりの部分を、夢の世界ですごします。起きている世界を楽しむように、夢の世界も楽しめばよいわけです。

夢分析や夢占いは、夢の内容を分析して、目覚めているときに生活をより快適にしよう、と考えますが、夢の内容自体を快適にしようという発想ではありません。

明晰夢

夢の中で「これは夢だ」と気づくことがあります。これを「明晰夢」といいます(→「明晰夢」)。明晰夢にも二段階あって、夢の中で「これは夢だ」と気づく段階、さらに、夢の内容を自分の意志で変えてしまえるという段階があります。

夢の内容を自分で変えてしまうことができれば、夢の世界を自由に楽しめます。現実の生活というものは、なかなか思うようにはならないこともありますが、夢は夢なので、やろうと思えば、かなり簡単に内容を変えられます。

明晰夢については、個人差があります。おそらく、百人に一人ぐらいは、毎日の夢が明晰夢で、それが当たり前だという人がいます。私の授業などを聞いて、99%の人が自分とは違うのか、と思って驚く人がいます。

明晰夢を一度でも見たことがある人は、大学生の話を聞くかぎりは、80%ぐらいです。

練習をすれば、明晰夢を見られるようになるといわれています。いろいろな方法があるようですが、けっきょくは、明晰夢を見ようという意志が大事であるようです。

入眠時幻覚と体外離脱体験

夢の変種としては、入眠時幻覚があります。俗に金縛りというものです。

ふつう、睡眠は、ノンレム睡眠、つまり夢を見ない眠りから始まり、レム睡眠、夢を見る眠りから覚めます。

しかし、体質や状況によっては、レム睡眠から眠りに入るときがあります。たとえば、体がとても疲れていて、意識が覚醒したまま、体のほうが先に眠ってしまう場合などです。これを、入眠期の夢とか、入眠時幻覚といいます。

意識ははっきりしているのに、身体だけが動かないので、体の上に誰かが乗っているような重みを感じることもあります。こういう場合を、睡眠麻痺といいます。

以上の内容の詳しいことは「入眠時幻覚と睡眠麻痺」を読んでください。

意識と体がずれてしまったり、意識と体が分離してしまうような感覚になることもあります。完全に分離してしまったような感覚を、体外離脱体験といいます。俗に幽体離脱ともいいます(→「明晰夢と体外離脱体験」)。

臨死体験

体外離脱体験がよく体験されるのは、臨死体験のときです。臨死体験というのは、死に瀕したときに、お花畑に行って死んだ祖父母に会う、という体験です。それに先立って、体外離脱体験が起こることが多いのですが、臨死体験を、文字どおり、肉体が死んだときに魂が抜けて、あの世に行く、ととらえると、意識が身体を離れるのは当然のことです。

しかし、それは否定も肯定もできません。

私たちは、死の淵から生還した人から、臨死体験の体験談を聞くことができますが、それは、生還したからであって、本当に死んでしまった人からは、死んでいくときの体験を聞くことはできません。

誰もが、最後は死んでいくという体験をするでしょうから、そのときには、臨死体験者が語るような体験をするかもしれないし、しないかもしれません。(なお、いままで何万人もの研究が行われてきましたが、臨死体験者のほぼ全員が、天国、極楽のような世界に行ってきたといいます。しかし自殺未遂者だけは、地獄のような体験をしたという人の割合が多いのです。なぜなのかはわかりませんが、あるていど長生きしてから、老衰か、あまり苦しまない病気で逝きたいものですね。)

臨死体験の話をしていると、これは非常に興味深いテーマなので、長くなってしまいます。続きは来週にします。こんな話を長々としても、一部の特殊な人しか興味がないことかなと思っていたのですが、最近、この授業の履修者が増えてきて、情コミ学部だけでも8割ぐらいの人が受講しているようで、しかも、レポートで、授業で扱ったような体験で、自分で体験したことを分析してください、という課題を出すと、かなりの人数の人が、自分の臨死体験について書いてくれるのに、とても驚いています。一般人口の臨死体験経験者は、50人に一人ぐらいだといわれていますが、二十歳ぐらいの年齢でも、100人に一人ぐらいはいるようです。家族や友人など、身近な人が体験をしている確率は、10分のⅠ以上でしょう。けっして特殊な問題ではないことがわかります。

大学生ぐらいの年齢で、事故や病気など、とても大変な思いをした人が多いのですね。もちろん、その多くは助かって、後遺症もないわけですが、助かった人だけが生き延びて、この授業を履修しているのでしょうが、さて、続きはまた来週にします。



記述の自己評価 ★★★☆☆
CE2020/10/08 JST 作成
蛭川立

【講義ノート】「身体と意識」2020/10/08

異なる意識の状態に対応して、異なる現実が体験される、ということで、いちばんわかりやすい例として、睡眠中の夢をとりあげました。

夢分析や夢占いなどについては、とりあげませんでした。心理療法、カウンセリングなどでは、夢の内容を分析することもあります。とくに、精神分析という精神療法の流派では、そういう方法を用います。子どものころの夢、とくに両親との関係が夢に出てくる場合には、それを分析することで、心の問題が解決することがありえますが、現在では、精神分析など、夢には重要な意味があるという考えには疑問が多いとされています。夢の内容の多くは無意味だという説が有力です。

夢の変種としては、入眠時幻覚があります。俗に金縛りというものです。

ふつう、睡眠は、ノンレム睡眠、つまり夢を見ない眠りから始まり、レム睡眠、夢を見る眠りから覚めます。

しかし、体質や状況によっては、レム睡眠から眠りに入るときがあります。たとえば、体がとても疲れていて、意識が覚醒したまま、体のほうが先に眠ってしまう場合などです。

意識ははっきりしているのに、身体だけが動かないので、体の上に誰かが乗っているような重みを感じることもありますし、意識と体がずれてしまったり、意識と体が分離してしまうような感覚になることもあります。完全に分離してしまったような感覚を、体外離脱体験といいます。俗に幽体離脱ともいいます。



記述の自己評価 ★★★☆☆
CE2020/10/08 JST 作成
蛭川立

【講義ノート】「人類学B」2020/10/05

人類学Bの講義ノートです。10月5日のディスカッションの資料です。

先週は、原始的な生命から人間への進化をざっと振り返りましたが、今週は、アフリカで誕生したホモ・サピエンスが、どのように地球上の各地に移住していったかという歴史をたどります。

近年は、遺伝子(〜DNA)の分析で、人類の系統関係はかなりはっきりわかってきました。「遺伝子からみた人類の系統関係」【必読】に書いたとおりですが、とくに母→子へしか伝わらないミトコンドリアのDNAの分析と、父親から息子へしか伝わらないY染色体の分析によって、人類の移住、拡散のルートが、かなり明らかになってきました。

とくに、アフリカを出た人類が、どのように日本まで辿りついたかは「遺伝子からみた日本列島民の系統」【必読】に書きました。上記二つの記事は「蛭川研究室旧館」のほうにあり(サイトに入るのに秘密の数字を入力する必要があります)、内容にも重複するところもあり、整理して「蛭川研究室新館」の資料集に移動させる予定です。

今では一万円ぐらい払うと「個人向け遺伝子解析」【今は必読ではありません、来週扱います】が受けられます。一ヶ月ぐらいで、自分の持っているゲノムを全部解読してくれます。ちなみに私は父方も母方も縄文人で、とくに母方が北インド由来という、日本人には千人に一人しかいない珍しい系統なのだそうです。ネパールあたりに行くと現地の人に溶け込んでしまうのですが、顔が似ているからでしょうか。(今は文字だけの授業で恐縮です。)



なお、遺伝子の話をするにあたっては、その科学社会学的な文脈をわきまえておく必要があります。

人種や民族によって遺伝子には違いがあります。性別によっても違いはあります。個々人にも知能やパーソナリティの遺伝的な違いがあります。これらは、人種や民族や性別にかかわらず人間はみな平等だという理念と食い違うようにとらえられます。とくに、日本のような場所にいるとわかりにくいのですが、人種や民族の問題は、グローバルには大きな問題です。そのことについて「人種・民族・文化」【閲覧推奨】に書いておきました。

人間は人種や民族や性別の違いによらず平等であり、差別されてはならない、というのが近代社会の理念です。しかし、その理念と、人種や性別による遺伝子の違いがある、という事実とは、別の問題です。前者は社会的な価値に関わる問題であり、後者は客観的な事実にかかわる問題だからであり、これは、よくよく分けて考える必要があります。



人類の起源や日本人のルーツを探る、というのは、それ自体でも興味深い研究ですが、人間を生物としてとらえる自然人類学は、医学という応用分野にも結びついています。

つい先日、9月30日に、ネイチャーという科学雑誌に、時事的で興味深い論文が発表されました。

https://www.eurekalert.org/multimedia_ml/pub/web/12536_web.jpg
ネアンデルタール人に由来する、新型コロナウイルス感染症を重症化させるリスクを持った遺伝子の分布[*1]

新型コロナウイルス感染症は、中国(おそらく雲南省のコウモリ)から感染が始まった感染症ですが、なぜか中国や日本など、東アジア・太平洋地域では感染率・重症化率が低く、欧米や南米などでは感染率・重症化率が高いのです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3b/COVID-19_Outbreak_World_Map_per_Capita.svg/2880px-COVID-19_Outbreak_World_Map_per_Capita.svg.png
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新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の人口千人あたり感染者数(2020年9月)[*2]

日本での感染者数は、増減を繰り返してきましたが、だいたい1000人に0.1人、つまり一万人に一人の割合です。(東京はやや多目ですが。)皆さんの周囲で、人間が一万人いるとして、そのうちの一人が感染している、というぐらいの割合です。意外に少ない割合です。(しかし、これが、人口一万人ぐらいの小さな集落だと、逆に、だれか一人感染者がいる(かもしれない)という話になってしまいます。)

日本が清潔で、文化的なソーシャルディスタンスが長いからだという仮説もありますが、地域的にみると、東アジア・西太平洋地域、それから意外に熱帯アフリカでも感染が広がっていません。

逆に、感染者が多いのは、もともとイタリアから大規模な感染が始まったヨーロッパであり、そして南北アメリカ大陸です。

人類学の基礎知識ですが、国や地域を基準とした統計と、民族による統計は、区別して考えなければなりません。日本だと、日本国に住んでいる人の大多数が日本人やアイヌ民族などの先住民で、外国からの移民は少数です。ところが、アメリカ大陸やオーストラリアでは、多民族がざっと

  • モンゴロイド系の先住民族(ほとんどの国で少数民族
  • ヨーロッパ由来の「白人」
  • アフリカ由来(西アフリカから「奴隷」として連れてこられた「黒人」
  • アジア由来(最近になって増えた)

といった層をなしています。

さて今、アメリカ合衆国やブラジルで感染率が高く、1000人に10人、つまり100人に一人の割合です。日本の百倍です。二桁違います。この感染率の違いは、地理的な条件なのか、人種(コーカソイド〜いわゆる「白人」)の違いなのか、ということがわかると、この病気を治す手がかりになります。

アメリカでもブラジルでも、大統領が感染したと報じられていますが、ブラジルの大統領は回復して支持率を上げ、アメリカの大統領は選挙運動を続けられるのか、なかなかお気の毒な状況ですが、共通しているのは、二人とも「白人」だということです。政治的な背景からすれば、両国とも、社会的階層が高くない白人層を支持基盤に持つ保守政権です。これは、もともと社会的な地位が低かった「有色人種」を優遇しすぎたのではないか?という反省からきた反動であり、同じような保守化の傾向は、世界的な趨勢です。

政治の話は政治学の授業に譲るとして、話を戻しますと、この地域差または人種差については、いくつかの仮説が提唱されています。

  1. 欧米で流行しているのは、より強毒化した変異である
  2. モンゴロイドは重症化しにくい遺伝子を、コーカソイドは重症化しやすい遺伝子を持っている
  3. 日本人はヨーロッパ人よりも清潔好きで、もともと「ソーシャルディスタンス」が「長い」(しかし、他の東アジア人は?)
  4. 中国を中心とする地域では、すでに同種異株のSARS(「旧型」コロナウイルス感染症)が流行したため、免疫を持っている人が多い
  5. BCGの接種をした人は、新型コロナウイルスに対する免疫も持っている

冒頭で紹介したネアンデルタール人由来遺伝子の研究は、以上の(2)の仮説を裏づけるものです。

ただし、上記の仮説は互いに背反なものではなく、複数が関与している可能性もあります。人種よりも地域の偏りが大きいとなると、仮説(4)が有力になります。17年前に中国でSARS騒動に巻き込まれ、発熱し、感染したかどうかは不明なまま、日本に送り返されてきた私としては、もっとも気になる仮説です。2003年、中国で雲南省少数民族の社会を調査していたことについては「2003年、SARS流行下、中国での調査記録」【もう読んだという人は、見なくてもよいです】に長い冒険旅行の話を書きましたが、雲南省少数民族の「通い婚」などの話は、また来月ぐらいにお話します。

ネアンデルタール人は、ヨーロッパから西アジアにかけて住んでいました。その後、アフリカから移住してきた現生人類、ホモ・サピエンスと交雑しながら、滅んでいったと考えられています。現代人の遺伝子の中にも、ネアンデルタール人に由来する遺伝子がすこしだけ含まれているのですが、その割合は、ヨーロッパから西アジアにかけての地域に多いのです。(15世紀以降、南北アメリカ大陸などに世界中に移住したヨーロッパ人も含みます。)この三種類の人類の系統関係は「現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人 ーホモ族の三亜種?ー」【関心があればお読みください】に書きました。

ただし、これはあくまでも仮説です。しかし、大昔のネアンデルタール人の遺伝子が、現代の世界で起きている大問題と、意外なところでつながっているというのは、興味深い視点です。



さて、ウイルスとはなにかというと、遺伝情報を担っているRNAやDNAのような分子であり、それが「感染」するということは、個体間で遺伝子が「水平伝播」することです。

ふつう、遺伝情報は、親から子へ、精子や卵の中にあるDNAを介して伝わっていきます。これを「垂直伝播」といいます。

そういう、遺伝情報の伝播という視点からすると、遺伝子は、親から子だけではなく、ウイルスを介して、ある人から他人へ、あるいはコウモリのような他の動物から人間へも伝播しているわけです。

というところで「ウイルス進化論」【閲覧推奨】というページを見てください。

ウイルスというと、まずは「病原体」というイメージですが、それは、病気を引き起こすウイルスの存在が気づかれやすいからで、じつは、病気を起こさないウイルスのほうがたぶん、ずっと多く、日々、色々な人(や、その他の動物)の間で「感染」つまり「水平伝播」していると思われます。「思われます」などと曖昧なことしか言えないのは、じっさいには、病気を起こすウイルスを見つけて、それを退治するほうが緊急課題ですから、無害な(あるいは有益な?)ウイルスが、どれぐらい存在し、感染しているのかについては、ほとんど調べられていないからです。

しかし、ウイルス進化論の中の図にあるように、ヒトのゲノム(人間が持っているDNAの遺伝情報)の中で、じっさいに形質を発現させている、意味のある領域(エクソン)は、そのうちの1%ぐらいしかない、ということは、以前から知られていました。残りの99%は正体不明だったのですが、どうやら、半分以上が、ウイルスとトランスポゾン(同じ個体の内部で動き回るウイルス)だということがわかってきました。

いま、一人ひとりが持っている遺伝子、これは両親から受け継いだものだけではなく、ウイルスの感染によって受け継いだものも、かなりの割合で含まれているのかもしれません。「かもしれません」というのは、これもまた、まだ研究が進んでいないからです。

ウイルス進化論のページの中段には、性行為感染症ウイルスの話を書きました。性行為感染症というのも、まずは、感染させない、しないことが大事、という医学的な問題ですが、これも、進化論的な視点から考えることができます。

もちろん、性行為は、男女、雌雄の遺伝子が、精子と卵を通じて、次世代に引き継がれる、そういう場ではあるのですが、霊長類の社会進化は、また後日扱いますが、ヒトやボノボは、排卵期以外、妊娠しやすい時期以外にも盛んに交尾します。その意味としては、雌雄のコミュニケーションだろうという社会的な仮説が有力です。しかし、それが、ウイルスの感染の場面でもあるのも事実です。ここで「感染」というと病気のことを考えますが、じっさいには病気を起こさない無害なウイルスも「水平伝播」しているものと考えられます。

水平伝播しながら進化してきたウイルスの例として「HTLV-1(ヒトTリンパ好性ウイルス/ヒトT細胞白血病ウイルス1型)」を挙げておきました。このウイルスの分布を見ると、縄文人、その末裔であるアイヌや沖縄の人たちが、アフリカ由来の非常に古い遺伝子を持っていることがわかります。

余談のほうが本題より長くなってしまいましたが、もうひとつ、ウイルス進化論のページの下のほうに、ウイルスと脳の共進化という話を書いておきました。おそらくウイルスの大半は無害なものですが、病気を起こす有害なウイルスもいるいっぽうで、進化を引き起こす有益なウイルスもいるはずです(有益と有害を兼ねているものもいるでしょう)。

その中でも興味深いのは、脳の働きにかかわる遺伝子が、ウイルスを介して伝播しているという研究です。病気を引き起こすウイルスがいる一方で、大ざっぱに言うと、ですが、感染すると頭が良くなるウイルスもいるかもしれない、という話です。

精神病を引き起こすウイルスがいるのではないかという研究がある一方で、精神病的な素因が創造性の発露につながるという側面もあります。天才と狂気との関係は、かねてより議論されてきたことです。

というところで、来週は、遺伝子がどのように人間の性格や精神疾患とかかわっているか、というところに、話をつなげていきます。

(5日のディスカッションまでに、まだ加筆修正するかもしれませんが、おおよそは以上のような内容で、事前に目を通しておいてください。)



CE2020/10/03 JST 作成
蛭川立

【講義ノート】「身体と意識」2020/10/02

身体と意識、二回目の講義ノートです。

初回では、人間の意識は複数の意識状態をとりうる、それぞれの意識状態に対応して、それぞれ異なるリアリティが体験される、などとお話しましたが、何のことやら、かもしれません。

いちばんわかりやすいのは、睡眠中に見る夢です。まずは、睡眠と夢の生理学的なところから勉強していきましょう。

ヒトは昼行性動物ですから、昼間に起きていて、夜は眠ります。夜に寝ているときに、夢を見ます。寝ている間にも、だいたい90分のサイクルでレム睡眠が繰り返され、一回の睡眠で何回も夢を見ます。詳しくは「睡眠と覚醒のリズム」【必ず読んでください】をごらんください。

他の動物が意識といえる経験を持っているのかどうかは、よくわかりませんが、睡眠と覚醒を繰り返し、しかも、夢を見るのは、哺乳類と鳥類です。動物の種類によってもずいぶんと睡眠時間は違います。何のために夢を見るのか、その意味についてはすべてが解明されているわけではありませんが、乳幼児はレム睡眠が長く、加齢とともに徐々に減っていくことからして、外部からの情報を長期記憶として固定し、新しいことを学習していくために役立っていると考えられています。さて、ここまでの一段落のことは「睡眠と夢見の系統発生と個体発生」【これも必読】に書きました。

まずは、知っておいてほしいのは、だいたい上記の内容です。



余談ですが、個人的には、朝起きるのが大変で、夜になると目が冴えてしまい、こんどは眠れなくなる、という持病があります。これを「睡眠相後退症候群」といいます。それが病気といえるのかどうかは程度の問題で、夜も人工的な照明がふつうにある文明環境では、誰しもがそういう生活になりがちだということはあります。

しかし、人間の体内時計を調べてみると、この時計の周期は24時間よりすこし長くて、25時間ぐらいだと言われています。真っ暗な部屋で何日も暮らしてもらうという実験をして、明らかになってきたことです。ということで、これは、私だけが特異体質ということではなく、誰もが陥りうる問題だといえます。

かつて私は午後の時間帯に仕事を入れることが多かったのですが、眠くなったら寝る、目がさめたら起きる、という生活をしているうちに、どんどん生活のリズムが後ろにずれていってしまい、早寝早起きに戻しても、また後にずれていってしまうという生活を送っていました。医者と相談して、毎日の睡眠日誌というものをつけてみたのですが、自分のリズムに従って生活してみると、一ヶ月に五時間も後退してしまいました。これを計算すると、1日あたりの周期は24時間10分となります(→「睡眠相後退症候群」【必読ではありません】)。1日に10分でも、一ヶ月放置しておくと、五時間もずれてしまいます。これでは勤務生活に支障をきたしてしまいます。

(とくに文系の)大学教員というのは(そして大学生も同じです)時間的な自由がきく反面、どうしても生活が自律できなくなってしまいがちです。けっきょく私は入院して、睡眠時間正常化プログラム生活に参加し、生活時間を治しました。特別なことをするというわけでもなく、集団生活の中で、朝、決まった時間に起きて、夜は決まった時間に寝る、という、強制力のもとで暮らすわけです。

脳内時計が24時間以上の周期で動いているなら、どうしてふつうは24時間周期で生活できるのでしょう。それは、太陽の光が24時間周期だからです。この光によって、脳内時計がリセットされます。

病院のプログラムで特別だったのは、毎朝、強力なライトの光を浴びながら、朝食をとるということでした。もちろん、日光をあびても同じことなのですが、この方法の利点は、天気が悪い日でも、直射日光と同じだけの光を浴びつづけることができることです。これは、自宅でもできます。

その後、毎朝6時ごろに自然に目覚めるようになりました。目覚まし時計に起こされて気持ちが悪い、ということが、めっきり減りました。面白いものです。

さらに余談が長くなってしまいますが、最近は、スマホで、睡眠サイクルを記録してくれるアプリがいろいろ開発されています(→「スマートフォンの睡眠記録アプリ」【必読ではありません】)。ふつう、眠りに入るときは、深い眠り、ノンレム睡眠から入るのですが、目覚めるときは、レム睡眠から目覚めます。朝の最後のレム睡眠をとらえて、そのタイミングでアラームを鳴らしてくれるアプリもあります。それで、スッキリ目覚めることができるというわけです。



さて今日もまた夜になってしまいました。教材はすでに全部アップしてあるとはいえ、講義ノートが前日の夜になるのは遅いので、前日ぐらいには、と思いつつ、今夜も遅くなってしまいました。病気とまではいえませんが、体質というのはなかなか変わらないものです。

今夜から明日の朝にかけても、この講義ノートもまた加筆するかもしれませんが、ざっと目を通してもらえると、ディスカッションのときに、話が早い、と思います。



CE 2020/10/01 JST 作成
蛭川立

【講義ノート】「人類学B」2020/09/28

秋学期の人類学B、二回目の授業です。

教材は文語体ですが、講義ノートは口語体で行きます。ときどき文法的に破格になりますが、それもライブ感のある口語ということで、よろしくお願いします。

宇宙的時空の中での人間

さて、人類学は理系の自然人類学と、文系の文化人類学の学際領域です。自然人類学の基本は、進化論です。

生物や人類の進化の細かいことはさておき、まずは、時間と空間のスケール感を実感してもらえれば、と思います。

人類学は人間を研究する学問ですが、人文社会系の諸学問に比べると、人間以外の生物も含めた、長く広い視点から人間を見る、というところが、ひと味違います。

オーストラリアでは、歴史学科の教科書に「ビッグ・ヒストリー」という本が使われていました。宇宙が始まったところから、現代の社会情勢まで、さらには未来を見通すという、新しい歴史教科書はかくあるべし、という一冊でした。

さて、宇宙が始まったのが、だいたい140億年ぐらい前だとされています。地球ができたのが約46億年前で、40億年前には原始的な生命が誕生していたと考えられています。

宇宙的時空感覚—「Powers of Ten」と「Cosmic Calendar」ー」【五分あったら観てください】というページから、「Cosmic Calendar」という古典的な作品へのリンクを張っておきました。カール・セーガンという天文学者が自作自演した古典的秀作『COSMOS』というドキュメンタリー番組の一部分です。150億年(当時はそれぐらいだと推測されていた)の宇宙の歴史を1年にすると、地球や生物や人類の歴史が、どれぐらいになるのか、という教育的映像です。(ちなみに英語です。聞き慣れない専門用語もあるでしょうが、映像を見ていればだいたいわかると思います。)

生物の一種としての人間

地球外生命はさておき、地球上だけでも、数百万種の生物がいると推測されています。われわれ人間、ヒト、ホモ・サピエンスは、その数百万におよぶ種の中の一種です。

分類学的には、ヒトはどう分類されるか。以下の二ページにまとめておきました。「生物の系統分類と人間の位置」【ざっと見てください】と「サル目(霊長類)の系統」【ざっと見てください】。万物の霊長たる人間も、たくさんの生物の一種だという感覚がわかってもらえればと思います。

大脳化

以上をざっと概観してもらった上で、本題に入ります。「人類の進化と大脳化」【これは必読】を読んでください。たくさんの内容を一ページに詰め込んでいますが、質問があればぜひ授業時間に聞いてください。



CE 2020/09/27 JST 作成
CE 2020/09/28 JST 最終更新
蛭川立

【講義ノート】「身体と意識」2020/09/25

「身体と意識」の、第一回の講義ノートです。

秋学期の「身体と意識」は、春学期の「不思議現象の心理学」と、別の科目ですが、セットでも、より理解が深まります。

「不思議現象の心理学」では、客観的な不思議現象を扱いますが、「身体と意識」では、夢や瞑想、臨死体験など、主観的な不思議体験を扱います。

人間の意識は複数の状態をとりうる、そして、意識の状態が変わると、それに対応して、まったく異なるリアリティが体験される、という内容がテーマなのですが、さて、これだけ読んだのでは、抽象的すぎてよくわからないかもしれません。



通常の、ふつうに目覚めていると思っている意識状態とは別の意識状態を「変性意識状態」といいます(→「意識の諸状態」【必読。リンク先に教材があります】)

いちばんわかりやすいのは、眠っているときに見る夢です。夢は、幻覚だともいえますが、夢の中にいるときには、夢の世界が現実だと思っています。

ということは、いま「目覚めている」と思って経験している世界も、じつは、夢なのかもしれません。次の瞬間には、はっと目がさめて、布団の中にいる自分に気づくかもしれない、という屁理屈も成り立ちますが、古来、とくに東洋思想では、こういう「屁理屈」が、真面目に議論されてきました(→「胡蝶之夢」【必読。リンク先に教材があります】)

私たちは、毎日、三分の一の時間を、この日常世界とは別の世界で暮らしています。あまりにも当たり前のことなので、それを、わざわざ幻覚などとは言いません。一日の三分の一の時間、幻覚を伴う意識喪失状態ですごすのは病気だから、治そうということにもなりません。

夢以外にも、異なる意識状態はあります。たとえば、起きている状態でも、目を閉じれば、目の前は真っ暗になります。目をつぶったままの状態で、しかも眠ってしまわなければ、睡眠とも覚醒とも違う意識状態になります。こういう状態を、意図的に起こすものに、ヨーガや坐禅などの瞑想法があります。

人が死に瀕すると、明るいお花畑のような世界を見るといいます。臨死体験というものです。死んだ後には、そういう、天国に行くのかもしれません。ただ、死に瀕して戻ってきた人から話を聞くことしかできないので(最後に自分が逝くとき以外は)、それは確かめようがありません。

そう言っている私じしんは、もちろん死んだことはありませんし、幸い、死にかけたこともありません。しかし、病気になって熱を出すと(→「SARS騒動下の中国で原因不明の発熱」「入院中の発熱(おそらくインフルエンザの院内感染)」)臨死体験者が報告するような、心地よい光の世界を体験することがあります。

夢は、毎日見るものですし、死に瀕した人は、臨死体験をするといいます。その他にも、精神に作用する薬物を摂取したり、瞑想などの訓練によって、また違う状態の意識を能動的に体験することもできます。



わざわざ努力してまで幻覚など見なくてもよいのではないか、そんな研究をして何の役に立つのか、と思われるかもしれません。知的関心ということもありますが、しかし、実用的な研究でもあります。

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意識状態の「地図」

リンク先の教材にも書きましたが、物理的、地理的な比喩でいえば、いま、日本で生まれ、日本で育ち、もっぱら自宅と学校や職場の往復をして、そして日本で死んでいくのに、とくに問題はありません。睡眠と覚醒を繰り返しながら、一生を終えるのと同じことです。(死後の世界のことは、わかりませんが。)

しかし、海外旅行をすることもできます。留学することもできます。海外に移住することもできます。(すでに、海外から留学に来ている人も多いでしょうし、大学で勉強するために、実家を離れて東京に移住してきた人もいるでしょう。)

なぜ、そうするかというと、視野が広がるからです。いままで知らなかったことが体験できるだけではなく、自分が生まれ育ったところに戻ってきた後も、それまでの日常生活よりも視野が広がった状態で暮らすことができます。

アメリカやオーストラリアなどの多民族社会や、あるいは、南太平洋やアマゾンの先住民族の社会で暮らしてみると、こんなふうにたくさんの民族が共存しているほうが世界の現状なのか、こんなふうに自然の中でゆったりと暮らすことのほうが、人間ほんらいの生き方なのではないか、などと考えさせられます。とくに、日本の都市部のような社会で生まれ育った私のような人間には、それはとてもよい体験でした。(それで、文化人類学という学問に惹かれていったのですが、それはまた人類学の授業でお話しています。)

同じように、瞑想や精神展開薬(宗教的体験を引き起こす向精神薬)が見せてくれる世界は、こんなに素晴らしい世界があったとは、こちらのほうが「ほんとうの世界」であって、いままで、これが唯一の現実だと思っていた、普通に目覚めている世界のほうが、じつは不完全な世界だったのではないか、と思うことも、よくあります(→「資料『宗教的経験の諸相』」【必読ではありませんが、おすすめです】)。

だからといって、そちらの世界に行ったきりになれば良いかどうかは、わかりません。しかし、そういう、いわば宗教的な世界を体験してから、あらためて日常世界に戻ってくると、日常世界の見えかたも変わります。

また、むやみやたらに外国に行けばいいというものでもありません。あらかじめ地図を見て予習しておいたほうがいいでしょうし、一人で行くよりは、経験のある人といっしょに行ったほうがいいでしょうし、日本にいたのでは考えられないような犯罪にあったり、病気になったりするかもしれません。

自分の意志で行かなくても、たとえば仕事で、中国へ出張したり、駐在したりする必要があって、嫌でも行かなければならない場合はまた、意味合いも違うでしょう。



事故で行ってしまう、という可能性もあります。へんな比喩ですが、たとえば沖縄近海で船に乗って魚を捕っているうちに、なぜか尖閣諸島のあたりに流されてしまって、必要に迫られて島に上陸する、といった可能性を考えることもできます。この場合、捕まえられて、中国に連れて行かれるかもしれませんし、場合によっては、帰れなくなってしまうかもしれません。

自分の意志で、地図を見ながら航海するのなら、同じルートを引き返せば帰れますが、台風で流されてしまった場合には、帰り道がわからなくなってしまい、難破してしまうかもしれません。

そういう場合にも、たとえば、昔の人なら、星を見て今いる場所を確かめたりする方法が必要だったでしょうし、いまならGPSを忘れずに持っていくといった、そういう知識も必要になります。



だからこそ、この「身体と意識」の授業が、実用的な情報としても、役に立つと、役に立つような内容にしたいと思っています。

あるいは、今後、バーチャル・リアリティ、VRの技術が発展していくでしょう。VRのゴーグルをつけてゲームなどしたこともある皆さんも多いかと思いますが、私は、はじめてVRの世界に入ったときには、そのリアルさに驚いたものです。

振りかえれば、テレビや映画も、VRの一種です。白いスクリーンや液晶モニタの背後に、風景があって人間がいるという「幻覚」を楽しんでいるわけです。

幻覚ではありませんが、インターネットを通じてオンラインでコミュニケーションがとれるようになったのも、電話という技術の延長線上にあります。

ほかの社会活動が正常に戻りつつあるのに、大学が閉鎖されたままなのは、おかしいと思う皆さんも多いでしょう。しかし同時に、大学には、遠隔通信ができる技術があり、いま、新しい技術の実験をしているという側面もあります。新型コロナウイルスの流行が沈静化しても、インターネットの活用は、逆戻りせず、むしろ、より新しい日常へと進歩していくでしょう。

意識状態の研究は、これからの情報技術とも密接にかかわっている、未来的なテーマです。



CE 2020/09/24 JST 作成
蛭川立

【講義ノート】人類学B 2020/09/21

さて、人類学Bです。春学期の人類学Aから続けて履修している人もいるでしょうし、これが最初の人類学だという人もいるでしょう。

人類学って何?人類の研究?と、なかなかわかりづらいところがあるのですが、ひとつの理由は、高校までの科目にないことです。歴史学とか、生物学とか、数学とか、それは、高校までの科目にありますが、人類学はありません。

そこで、冒頭から「人類学とは何か?」ということになります。この、リンク先のページを読んでください。

人類学Aと人類学Bは独立の科目ではありますが、同じ教員の担当であり、どちらも最初に「人類学とは何か」という定義から講義を始めています。この授業では、人類学とは、人間やその社会を、自然科学と人文・社会科学の両面からとらえる学問だという立場で進めていきます。


今後の授業の進めかたですが、この、毎週の講義ノートから、教材ページへのリンクを張ります。それを、読んでください。できるだけ前日までには講義ノートを準備しておきたい、と思いつつ、うっかり、夏休みボケしていました。すみません、初回授業の前夜に慌ててこの文章を書いていますが、9月21日、敬老の日で祝日なのですが、初回の講義です。

今年度はオンライン授業ということで、試行錯誤が続いています。この授業計画も、かなり行き当たりばったりで、試行錯誤ですが、シラバス通りに進まないのも、ライブ感があっていいものです。しかし、授業に必要な教材、他の授業と重複するものも含めて二百ぐらいの記事を書きためてきました。その教材へのリンクの張りかたを試行錯誤するだけで、授業の内容はしっかりできあがっています。

その他、授業の受講のしかた、成績評価など、よくわからないことがあれば、なんでも聞いてください。ただし、よくある質問については「蛭川担当授業FAQ」のページを作っておきましたので、まずそちらに目を通してください。

講義というのは、演繹的に概念の説明から始めたほうが体系的なものになるのですが、帰納的に具体例から入ったほうが初学者にはわかりやすい、というジレンマがあります。いきなり「人類学とは何か?」という大前提から入っていくと同時に、できるだけ具体的に、今ここで起こっていることとも結びつけながら、帰納と演繹を行ったりきたりしながら、お話を進めていきます。

人類学の授業に対するコメントに、もっと先生の冒険談が聞きたい、というものがありました。しかし、学者は冒険家とはちがい、危険を冒すのは目的ではなく、むしろ、いかに安全に調査を進めるために危険を回避するか、そちらのほうに醍醐味があります。

個人的には、そもそもが軟弱者ですから、冒険などといえるほどの冒険はしたことはありません。と、これは春学期の人類学Aの最初にもお話したことですが、しかし、17年前に中国で2003年の春にSARS騒動(そして2013年の鳥インフルエンザ問題)に遭遇してしまったことは、いままでの調査旅行の中では、2001年9月11日の同時多発テロ事件のときに南米にいたことと同じか、それ以上の「冒険」でした。とはいえ、敢えて危険な場所に行ったわけではありません。安全だろうと思って行ったところで、突発的な事件に巻き込まれてしまったのです。

そもそも大学は閉鎖されたままで、授業がずっとオンライン方式だというのも、新型コロナウイルス感染症のウイルスが流行したことが原因です。しかし、これは、2003年に、中国で流行した、SARS、いわば旧型コロナウイルス感染症の「第二波」です。新旧いずれのコロナウイルスも、大元をたどれば、じつは、中国の市場に落ちていたコウモリの糞である可能性が高いのです(→「SARS-CoV-2の起源と感染源」【参考】)。中国の屋台で謎の珍獣が売られている、などというのは、どこか遠くの世界の出来事かと思いきや、それが全世界を揺るがす大問題の元凶になってしまうのですから、なんともグローバルな不条理です。しかし、その不条理さに理性的に向かい合うことができるのも人類学の本領です。

中国で少数民族、ナシ族・モソ人の社会に滞在し、調査中にSARS騒動に巻き込まれてしまったということについては、春学期の授業のときにも繰り返しお話をしましたし、詳しくは「2003年4月、SARS流行下、四川省・雲南省における調査記録」【参考】という長大な物語を読んでいただくとして、さて、話を戻します。

とにかく、人類学的調査というのは、海外の辺境に不思議なものを求めて旅をして、物珍しい土産話を持ち帰るだけでは終わりではないのです。しばらく海外にいて、ひさしぶりに日本に戻ってくると、ふだん暮らしている平穏な日常の中にも、不思議なものがたくさんあることに気づきます。[文化]人類学は異文化理解の方法であり、また同時に自文化を映す鏡である、という所以です。


いっぽう、自然人類学の基本は進化論であり、とくに生物学、さらには遺伝学と脳神経科学が重要になってきます。

ウイルスとの戦い、というのは比喩的に理解しやすい表現ですが、ウイルスとはいわば純粋な遺伝情報であり、ウイルスに目的があるとすれば、それはただ人間から人間へ、あるいは他の動物との間を移動(感染)しながら、自らの遺伝情報のコピーを増やすことであり、人間など宿主を攻撃するという目的を持っているわけではありません。ウイルスが自身の遺伝情報をコピーするために宿主の体を借りるために、たまに宿主が病気になることもあるということです。

ウイルスにもDNAを持つものもあれば、RNAを持つものもあります。新型コロナウイルスは1本鎖RNAです。

遺伝情報を担う分子、DNAやRNAは、親から子へと受け継がれていきますが、いっぽうで、ウイルスが感染するという形でも、人から人へ、あるいはコウモリから人へ、等々、違う種の生物にも遺伝情報は伝わっていきます。これを「ウイルス進化論」【参考】と呼んだりもしますが、原始的な生物から人間が進化してきたプロセスで、あるいは、アフリカで誕生したホモ・サピエンスが日本まで移動してくるプロセスで、ウイルスの感染による遺伝情報の水平伝播が重要な役割を果たしてきた、という研究が進んできています。

講義では、人類の起源と進化、進化論と遺伝学の基礎、サルとヒトの社会の進化、という自然人類学的なテーマから、始めていきます。

地球上に生物が誕生したのが40億年前で、今は数百万種類に分岐しているといいます。ヒトは、そのうちの一種類です。ヒト(Homo sapiens)が生物界全体の中で、どういう位置にあるのか、「生物の系統分類と人間の位置」【推奨】と「サル目(霊長類)の進化」【推奨】を、数秒でも、ざっと見てください。さらに、講義は「人類の進化と大脳化」【参考】へと進んでいくのですが、これはまた来週以降に詳しく解説します。

授業の後半では文化人類学社会人類学的なテーマへと移行していきます。性行動・配偶システム、親族と婚姻、そして政治、経済、宗教といった問題まで、話を進めていく予定です。

2003年のSARS流行事件のときには、中国の南西部、雲南省少数民族モソ人の社会で調査をしている最中に、謎の発熱で寝込んでしまいました。原因はいまだに謎です。

モソ人の社会には、独特の婚姻形態があります。夫婦(のようなもの)は同居せず、夫が妻の住居に通い続けるという、「走婚」(→走婚ー雲南モソ人の別居通い婚【参考】)という文化があります。たとえば、こうした具体的な調査事例を引き合いに出しながら、講義を進めていきます。



ところで、掲示板方式の授業のほうが、たとえ実名であっても、周囲に人がいることを気にせず発言できるので、以外に良い、という感想がある一方で、講義をしている蛭川の姿を見たこともない、という人もいるでしょう。しかし、教材の中には、三脚を立てて自撮りした映像もあり、調査地の中に私が出現して、現地から講義する、という動画も出てきます。

たとえば、以下の動画は、ブータンの春祭り「ツェツュ」の様子です。


Zhemgang Tsechu 2550/2007

ブータンのマジョリティであるチベット人も、中国南西部の雲南モソ人も、チベット系民族です。チベット系の社会は、婚姻の仕組みが独特である社会が少なくありません。ブータンでは、姉妹型一夫多妻婚が行われていました。私がブータンを訪問したとき、先代の国王には、四人の妻がいました。それは、王が強い力を持っているとか、魅力的だからだというよりは、四人の妻が姉妹だったからです。一人の男性が複数の女性を妻にする、というよりは、四人姉妹が、一人の男性をお婿に迎え、共有(?)するという文化です。

といって、繰り返しですが、人類学は、辺境の民族の変わった習慣を紹介するのが目的ではありません。そうした制度にも、それなりの理屈があるはずで、逆に、夫婦というのは一夫一妻制で、同居するのが当たり前だという、その当たり前であることの根拠を問う、自明な社会のしくみをあらためて問う、というのが、人類学の面白味でもあります。



さて、この文中からリンクしている教材については、

  • 【必須】→ぜひ読んでほしい
  • 【推奨】→できれば読んでほしい
  • 【参考】→余裕があれば読んでほしい

の三段階に分けました。

リンク先のページの先に、さらにリンクがありますが、これは、どこまでも辿っていけるものです。関心のあるところに飛んでみてください。



CE2020/09/20 JST 作成
CE2020/09/20 JST 最終更新
蛭川立