【講義ノート】人類学B 2020/09/21

さて、人類学Bです。春学期の人類学Aから続けて履修している人もいるでしょうし、これが最初の人類学だという人もいるでしょう。

人類学って何?人類の研究?と、なかなかわかりづらいところがあるのですが、ひとつの理由は、高校までの科目にないことです。歴史学とか、生物学とか、数学とか、それは、高校までの科目にありますが、人類学はありません。

そこで、冒頭から「人類学とは何か?」ということになります。この、リンク先のページを読んでください。

人類学Aと人類学Bは独立の科目ではありますが、同じ教員の担当であり、どちらも最初に「人類学とは何か」という定義から講義を始めています。この授業では、人類学とは、人間やその社会を、自然科学と人文・社会科学の両面からとらえる学問だという立場で進めていきます。


今後の授業の進めかたですが、この、毎週の講義ノートから、教材ページへのリンクを張ります。それを、読んでください。できるだけ前日までには講義ノートを準備しておきたい、と思いつつ、うっかり、夏休みボケしていました。すみません、初回授業の前夜に慌ててこの文章を書いていますが、9月21日、敬老の日で祝日なのですが、初回の講義です。

今年度はオンライン授業ということで、試行錯誤が続いています。この授業計画も、かなり行き当たりばったりで、試行錯誤ですが、シラバス通りに進まないのも、ライブ感があっていいものです。しかし、授業に必要な教材、他の授業と重複するものも含めて二百ぐらいの記事を書きためてきました。その教材へのリンクの張りかたを試行錯誤するだけで、授業の内容はしっかりできあがっています。

その他、授業の受講のしかた、成績評価など、よくわからないことがあれば、なんでも聞いてください。ただし、よくある質問については「蛭川担当授業FAQ」のページを作っておきましたので、まずそちらに目を通してください。

講義というのは、演繹的に概念の説明から始めたほうが体系的なものになるのですが、帰納的に具体例から入ったほうが初学者にはわかりやすい、というジレンマがあります。いきなり「人類学とは何か?」という大前提から入っていくと同時に、できるだけ具体的に、今ここで起こっていることとも結びつけながら、帰納と演繹を行ったりきたりしながら、お話を進めていきます。

人類学の授業に対するコメントに、もっと先生の冒険談が聞きたい、というものがありました。しかし、学者は冒険家とはちがい、危険を冒すのは目的ではなく、むしろ、いかに安全に調査を進めるために危険を回避するか、そちらのほうに醍醐味があります。

個人的には、そもそもが軟弱者ですから、冒険などといえるほどの冒険はしたことはありません。と、これは春学期の人類学Aの最初にもお話したことですが、しかし、17年前に中国で2003年の春にSARS騒動(そして2013年の鳥インフルエンザ問題)に遭遇してしまったことは、いままでの調査旅行の中では、2001年9月11日の同時多発テロ事件のときに南米にいたことと同じか、それ以上の「冒険」でした。とはいえ、敢えて危険な場所に行ったわけではありません。安全だろうと思って行ったところで、突発的な事件に巻き込まれてしまったのです。

そもそも大学は閉鎖されたままで、授業がずっとオンライン方式だというのも、新型コロナウイルス感染症のウイルスが流行したことが原因です。しかし、これは、2003年に、中国で流行した、SARS、いわば旧型コロナウイルス感染症の「第二波」です。新旧いずれのコロナウイルスも、大元をたどれば、じつは、中国の市場に落ちていたコウモリの糞である可能性が高いのです(→「SARS-CoV-2の起源と感染源」【参考】)。中国の屋台で謎の珍獣が売られている、などというのは、どこか遠くの世界の出来事かと思いきや、それが全世界を揺るがす大問題の元凶になってしまうのですから、なんともグローバルな不条理です。しかし、その不条理さに理性的に向かい合うことができるのも人類学の本領です。

中国で少数民族、ナシ族・モソ人の社会に滞在し、調査中にSARS騒動に巻き込まれてしまったということについては、春学期の授業のときにも繰り返しお話をしましたし、詳しくは「2003年4月、SARS流行下、四川省・雲南省における調査記録」【参考】という長大な物語を読んでいただくとして、さて、話を戻します。

とにかく、人類学的調査というのは、海外の辺境に不思議なものを求めて旅をして、物珍しい土産話を持ち帰るだけでは終わりではないのです。しばらく海外にいて、ひさしぶりに日本に戻ってくると、ふだん暮らしている平穏な日常の中にも、不思議なものがたくさんあることに気づきます。[文化]人類学は異文化理解の方法であり、また同時に自文化を映す鏡である、という所以です。


いっぽう、自然人類学の基本は進化論であり、とくに生物学、さらには遺伝学と脳神経科学が重要になってきます。

ウイルスとの戦い、というのは比喩的に理解しやすい表現ですが、ウイルスとはいわば純粋な遺伝情報であり、ウイルスに目的があるとすれば、それはただ人間から人間へ、あるいは他の動物との間を移動(感染)しながら、自らの遺伝情報のコピーを増やすことであり、人間など宿主を攻撃するという目的を持っているわけではありません。ウイルスが自身の遺伝情報をコピーするために宿主の体を借りるために、たまに宿主が病気になることもあるということです。

ウイルスにもDNAを持つものもあれば、RNAを持つものもあります。新型コロナウイルスは1本鎖RNAです。

遺伝情報を担う分子、DNAやRNAは、親から子へと受け継がれていきますが、いっぽうで、ウイルスが感染するという形でも、人から人へ、あるいはコウモリから人へ、等々、違う種の生物にも遺伝情報は伝わっていきます。これを「ウイルス進化論」【参考】と呼んだりもしますが、原始的な生物から人間が進化してきたプロセスで、あるいは、アフリカで誕生したホモ・サピエンスが日本まで移動してくるプロセスで、ウイルスの感染による遺伝情報の水平伝播が重要な役割を果たしてきた、という研究が進んできています。

講義では、人類の起源と進化、進化論と遺伝学の基礎、サルとヒトの社会の進化、という自然人類学的なテーマから、始めていきます。

地球上に生物が誕生したのが40億年前で、今は数百万種類に分岐しているといいます。ヒトは、そのうちの一種類です。ヒト(Homo sapiens)が生物界全体の中で、どういう位置にあるのか、「生物の系統分類と人間の位置」【推奨】と「サル目(霊長類)の進化」【推奨】を、数秒でも、ざっと見てください。さらに、講義は「人類の進化と大脳化」【参考】へと進んでいくのですが、これはまた来週以降に詳しく解説します。

授業の後半では文化人類学社会人類学的なテーマへと移行していきます。性行動・配偶システム、親族と婚姻、そして政治、経済、宗教といった問題まで、話を進めていく予定です。

2003年のSARS流行事件のときには、中国の南西部、雲南省少数民族モソ人の社会で調査をしている最中に、謎の発熱で寝込んでしまいました。原因はいまだに謎です。

モソ人の社会には、独特の婚姻形態があります。夫婦(のようなもの)は同居せず、夫が妻の住居に通い続けるという、「走婚」(→走婚ー雲南モソ人の別居通い婚【参考】)という文化があります。たとえば、こうした具体的な調査事例を引き合いに出しながら、講義を進めていきます。



ところで、掲示板方式の授業のほうが、たとえ実名であっても、周囲に人がいることを気にせず発言できるので、以外に良い、という感想がある一方で、講義をしている蛭川の姿を見たこともない、という人もいるでしょう。しかし、教材の中には、三脚を立てて自撮りした映像もあり、調査地の中に私が出現して、現地から講義する、という動画も出てきます。

たとえば、以下の動画は、ブータンの春祭り「ツェツュ」の様子です。


Zhemgang Tsechu 2550/2007

ブータンのマジョリティであるチベット人も、中国南西部の雲南モソ人も、チベット系民族です。チベット系の社会は、婚姻の仕組みが独特である社会が少なくありません。ブータンでは、姉妹型一夫多妻婚が行われていました。私がブータンを訪問したとき、先代の国王には、四人の妻がいました。それは、王が強い力を持っているとか、魅力的だからだというよりは、四人の妻が姉妹だったからです。一人の男性が複数の女性を妻にする、というよりは、四人姉妹が、一人の男性をお婿に迎え、共有(?)するという文化です。

といって、繰り返しですが、人類学は、辺境の民族の変わった習慣を紹介するのが目的ではありません。そうした制度にも、それなりの理屈があるはずで、逆に、夫婦というのは一夫一妻制で、同居するのが当たり前だという、その当たり前であることの根拠を問う、自明な社会のしくみをあらためて問う、というのが、人類学の面白味でもあります。



さて、この文中からリンクしている教材については、

  • 【必須】→ぜひ読んでほしい
  • 【推奨】→できれば読んでほしい
  • 【参考】→余裕があれば読んでほしい

の三段階に分けました。

リンク先のページの先に、さらにリンクがありますが、これは、どこまでも辿っていけるものです。関心のあるところに飛んでみてください。



CE2020/09/20 JST 作成
CE2020/09/20 JST 最終更新
蛭川立