【講義ノート】「人類学B」2019/11/25

引きつづき、婚姻や出自の規則から、労働や貨幣の経済人類学へと話を進めていきたい。

メラネシアのトロブリアンド諸島はマリノフスキーの研究によって知られているが、ミクロネシアのヤップ島(とくにガギールのウォネアン村)とウリシー環礁(とくにファララップ島)は、蛭川じしんが1990年代に(短期間ではあるが)社会人類学的な調査を行った地域である。


ヤップ島は、伊豆諸島、小笠原諸島マリアナ諸島のさらに南に広がるカロリン諸島に位置する

ヤップ島で調査したさいの映像資料は、大量にありすぎて整理しきれていない。その代わりというわけでもないのだが、おなじ1990年代に『浪漫紀行、地球の贈り物』の一作として放映されたテレビドキュメンタリー番組「最後の石貨文明」の一部を紹介したい。ヤップ島は石貨などの「未開貨幣」が現在でも流通している場所として一般にはよく知られている。(→「ミクロネシア・ヤップ島の『原始』貨幣経済」)

系統的には異なるが、メラネシアミクロネシアと同じような根栽農耕社会は熱帯アフリカやアマゾン川流域の先住民社会に広く分布している。マリノフスキーは、母系社会であるトロブリアンド諸島民を人間社会のもっとも原始的な形態として分析したが、このの時代には、原始時代の人間社会は「原始的」な「乱婚」が行われる母権制の母系社会であったという説が有力であった。

その後の研究によって、人間社会の原型は(とくに東〜南アフリカに少数が残存している)狩猟採集社会であり、はっきりした単系出自集団を持たない(双系社会)ということがわかってきた。

根栽農耕社会は母系出自集団を発達させる傾向が強く、集約農耕社会や牧畜社会は父系出自集団を発達させる傾向が強い。(→「単婚と複婚」「出自の規則」)これは、進化の段階の高低ではなく、むしろ、別方向への社会進化だといえる。

一般に、社会の生産力が上がるほどに労働時間が長くなるというパラドックスが知られているが、平均すれば根栽農耕社会では狩猟採集社会よりも労働時間がやや短い(→「文化としての勤勉と強迫」「生業と労働時間」)。

弱い一夫多妻婚は(西欧近代文化以外の)人間社会に普遍的なものだが、父系制と結びついた一夫多妻婚よりも、母系制と結びついた一夫多妻婚のほうが、哺乳類に広くみられる群れの構造に近い。根栽農耕社会は、むしろ、より「原始的な」方向へと進化してきた社会だということもできる。(生物学で使う「進化」はシステムの時間的な変化のことであり、価値の増大も、複雑性の増大さえも意味しない。その意味では「退化」も「進化」の一部である。「自然主義的誤謬」「文化相対主義」「自民族中心主義(エスノセントリズム)」の意味するところについては、くり返し言及したい。)

人類学で「経済」の語を用いる場合、市場経済を中心としたシステムだけではなく、広く生産や交換のしくみをいう(→「交換としての経済」)。大規模な再分配が行われる、より階層化された社会の例としては、インドネシアのバリ島を例に挙げたいが、そこでは、儀礼や呪術が経済活動としての意味も担っている。



私が大学院博士課程に在学中に取り組んだのは、母系的な社会の多い哺乳類の中で、多くの人間社会が(近縁のゴリラやチンパンジーもそうなのだが)父系制を進化させたのはなぜか、その数理モデルをつくることだった。父系社会の「父権」と母系社会の「オジ権」を比較した場合、単純に血縁淘汰の理論から計算すると、ある男性の「社会的な子」のうち、「遺伝的な子」の割合が27%以下でなければ母系社会は進化しないという解が導かれる。これは父性信頼度の値としては低すぎる。その後、調査を行なったミクロネシアのヤップ島では、離婚率が高く(生涯平均結婚回数は約2回)別居のさいに子が父親のがわに残ることが少なくないこと、家族間で「ポフ」という養子交換の制度があり、親子関係はかなり流動的だということが明らかになった。共同体から独立した核家族という先入観から作ってしまったモデルが不完全だったことに気づかされたのだった。

2019/11/25 JST 作成
蛭川立