【講義ノート】「人類学A」2020/10/26

文理融合の学際領域としてとりあつかってきた人類学ですが、遺伝、生殖という自然人類学的なテーマから、婚姻、親族、社会といった、文化人類学社会人類学的なテーマへと移行していきます。

春学期の人類学Aの授業を受講した皆さんには、2003年に中国で調査中にSARS騒動に巻き込まれてしまったことを何度もお話しましたが、かんじんの調査の内容については、きちんと整理してお話しませんでした。たとえば、「走婚ー雲南モソ人の別居通い婚」などのページがありますが、当時の体験談と研究資料が混ざったままで整理できていません。整理できないところが現地調査のリアリティでもあるのですが。

〈自然〉と〈文化〉

現代社会・近未来社会における人類遺伝学の科学社会学的位置づけについて、「個人向け遺伝子解析」の社会的意味についても並行して論じてきました。この中で、個人の遺伝子検査の先にあるものとして、「DNA婚活」というサービスがはじまっていることについて紹介しました。

「DNA婚活」というものには、どこか違和感を感じます。教材の本文中に書いたことの繰り返しですが、この「ジーンパートナー」は、解析には「科学的な根拠」があるとしています。たとえば、人間は相手の体臭を手がかりにして、自分と遺伝的に似ているが近すぎもしない相手を性的なパートナーとして選択しているという研究があります。それは、近親交配を避けながら遺伝的に進化していこうとする進化生態学の理論によって説明されます。

しかし、脳に備わった生物学的なシステムが進化生物学的に最適化されていたとしても、たとえば、一夫多妻的な婚姻と、多産多死のシステムによって遺伝的な進化が実現されるという意味での合理性であって、それは、一夫一妻的な婚姻、そして子どもたちと共に家庭を築いていくという近代社会の主観的、文化的な幸福とは、かならずしも一致しません。

一人ひとりの人間が平等に生きる権利を持ち、子孫を残す権利がある(子孫を残さない権利もある)というのが、近代社会の基本理念です。そのことによって人間集団の遺伝子プール全体に有害な突然変異が増えていくことや、逆により良い遺伝子を増やして人類を進化させていくという優生学的な思想は、忌避されます。なぜなら、個々人が幸福に生きる権利のほうが、人類全体が何万年もかけて生物として進化していくことよりも、優先されるからです。

人権の尊重と生物学的優生思想の齟齬を解決する前向きな技術としては、遺伝子編集技術の可能性が考えられますが、これもまた忌避されるものです。そこでは逆に「自然であることが良い」という主張が出てきます。「自然食品」や「自然出産」などがイメージとしては流行していますが、よく考えると、自然であるということは、たとえば出産の時に母子ともにリスクを負うことであって、やはり、これは近代社会の理念とは矛盾するところがあります。

「自然だから良い」とは単純にはいえません。これを「自然主義の誤謬」といいます。この難しい議論については、また別の場所で議論できればと思いますが、人間が物質的身体を持った生物として進化してきたことと、社会、とくに近代社会における、社会的、文化的な人間であることの間には、人間観の祖語があります。それは、事実と価値の齟齬でもあり、理科系の学問と文化系の学問の齟齬でもあります。それを、両方の視点から見ていけるのが、分離を架橋する学問としての人類学である、と私は位置づけています。(「人類学」を「文化人類学」と狭く定義し「自然人類学」を含めないほうが、一般的な使われ方です。)

配偶システムから婚姻制度へ

さて西欧から始まった近代社会のしくみの中で育った人間としては、たとえば婚姻(結婚と同じ意味)とは、好きなものどうしが相手を選ぶ一夫一妻婚であり、なんとなくそれがふつうだと考えがちです。いっぽう、ほかの動物というのは、なんとなく、群れを作る動物もいるけれども、一夫一妻なのかどうか等々、あまり考えないことかもしれません。

配偶システム・婚姻制度について、自然人類学的な視点からは、まずは、サル類の一種としての人類の進化史を振り返り(→「人類の進化と大脳化」)、類人猿と現生人類の配偶システムについて種間比較を行い(→「ヒト上科の配偶システム」)ます。同じサル目(霊長類)でも、配偶システムはさまざまです。

文化人類学的視点からは、人間社会における婚姻と出自の規則について概観します(→「単婚と複婚」「出自の規則」)。人間の社会でも、親族構造は民族によって多様であり、民族の数からすれば、一夫多妻婚の社会のほうが多く、一夫一妻婚の社会のほうがずっと少ないのです。また、原始的な社会は母系的で、進んだ社会は父系的だともかぎりませんし、極東の日本や西欧には、もともと強い父系的・父権的なシステムがあったわけではないことも、他文化との比較によって浮き彫りにされます。

(なお次週11月2日は学園祭期間で、リアルタイム授業もお休みにします。11月16日も「休講」になるかもしれませんが、まだはっきりしていません。11月23日は、祝日ですが、授業は実施します。)

来年度問題分析ゼミについて

西暦2021年度向け問題分析ゼミナール紹介動画がアップされています。インドネシアのバリ島との遠隔通信の様子です。



記述の自己評価 ★★★☆☆
CE 2020/10/26 JST 作成
蛭川立