【講義ノート】「不思議現象の心理学」2020/05/22

時事的なテーマからはじめて、そろそろ授業の本題に入っていきたいと思います。5月22日の10時50分からのリアルタイム・ディスカッションは、このページを開いてもらうところからはじめます。

このページを作ってから、何度も何度も加筆修正しています。ディスカッションの最中にも書きなおすかもしれません。ときどき「再読み込み」してください。

それでも気になるコロナウイルス

五月にしてはすこし肌寒い日々が続いておりますが、皆さん、お元気でしょうか。

風邪をひいただけで気になってしまう

私事ながら、ここ数日すこし風邪気味で(普段ならあまり気にしないことなのですが)どうも気になってしまいます。自分は良いが、他人にうつしてしまってはいけない感染症が流行しているという状況ですと、ねんのため保健所に電話をしたり医者を巡り歩いたりと、あたふたしておりましたが、医者には、ただの風邪でしょう、まあ家で様子をみてください、と笑われ、おうちで勉強をしながら過ごしているところです。

SARSの「トラウマ」

これも個人的なことではありますが、2003年のSARS騒動下の中国(雲南省の山中)で、熱を出して寝込んでしまったことを、何度も何度も思い返しています。思い出話ばかりでは意味がないのですが、いろいろな人と話をしてみると、今回の新型コロナウイルスSARS-CoV-2)が、かつてのSARSウイルス(SARS-CoV-1)の再流行だということが認識されていないようで、やはり、このことは伝えていかなければならない、と、あらためて思っています。

しかも、そのウイルスの由来が、どうやらコウモリの糞だったらしい、ということも、意外に認識されていないようです。なるほど、いま現在、起こっていることを解決することが優先課題でしょう。就職活動がうまくいかない四年生の皆さんも、本当に困りましたね。

しかし、おおもとの原因を突き止めて改善しなければ、この伝染病は、将来、また繰り返されてしまいます。

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中国国際放送局「なぜ中国人は何でも食べる?」写真は中国の雲南省に生息するコウモリ

情報はいくらでも手に入るのでしょうが、全人類を未曾有の事態に巻き込んだ元凶が、中国の(おそらく雲南省の)洞窟に住んでいたコウモリの糞だとすると(ハクビシンセンザンコウを経由したかもしれない)あまりに不条理です。それよりも、当座の苛立ちの矛先を、自国の政府や中華人民共和国の政府にぶつけるほうが、納得しやすいのかもしれません。

巷には陰謀論の類いも流布していますが、陰謀論のような怖い話のほうが、コウモリの糞のようなつまらない話よりも、戦うべき相手をはっきりさせてくれる物語性があるのでしょう。

君達若い者が、まだ生まれていたかどうかは知らないが、自分は嘗て支那の山中で疫病と闘い九死に一生を得て生還したのだ。未来を担う諸君は過去の教訓から学ばねばならない、と、同じ話ばかり説教ばかりするような、まるで老兵の繰り言のように、余談が長くなってしまいました。

5月22日の授業の構成

授業ですが、皆さんの目の前でユリ・ゲラ—直伝のスプーン曲げ(→「『超能力』と心物問題」)を披露したいと思いつつ、なかなか実現できません。しかし、掲示板方式のほうが通常の講義よりもはるかに活発に発言が出てくることに嬉しい驚きを感じていますが、逆に予習用の教材を提示するのが遅れてしまい、恐縮です。

もっとも「不思議現象の心理学」の全体のスケジュールと教材は、すでに「不思議現象の心理学 2020年度」にアップしてあるのですが、前々回、前回の授業から、どの部分に話をつなげていくか、試行錯誤です。

本日の主題

認知バイアス陰謀論臨死体験や祈祷治療の話をしたところですが、もういちどリンク先を整理しておきます。

(参考)と付したページは、必読ではありません。


中国雲南省少数民族モソ人の祭司によるSARSコロナウイルス退散の祈祷(2003年4月)

なお「不思議現象の心理学」と「身体と意識」は独立の授業ですが、続けて履修してもひとまとまりの内容が学べるように工夫してあります。

超心理学」について

例年、この授業では「超心理学」について話をしています。超心理学とは「超常現象」の研究です。

しかし、超常現象とは、意味のよくわからない言葉です。いったいなにが「超」なのでしょう。

「心霊研究」から「超心理学」へ

歴史をたどれば、超常現象の研究は、心霊研究、つまり心霊現象の研究に由来します。心霊現象というのもまた怪談のような怖い話ですが、ようするに、肉体の死後も霊魂は残るのか、という問いかけです。もうすこし難しくいえば、心や意識という経験は、物質的な肉体とは独立であるか、という問いかけです。これは、哲学の分野ではずっと真面目に論じられてきたもので、心身問題とか、心物問題とよばれます。

心霊研究や超心理学をめぐる歴史については「『心霊研究』から『超心理学』へ」に長い文章を書きました。また「『心霊研究』と『超心理学』の科学史」に、研究史の年表を書きました。必要におうじて参照してください。

超心理学」が研究すること

人間の心が外部の物質世界とやりとりするときには、常識的には、物質的な身体を介して行います。

  • 知覚、たとえばものを見る場合は、見られる物質→眼(という物質)→脳(という物質)=心、という図式になります。
  • 運動の場合は、逆になります。心=脳(という物質)→筋肉(という物質)→動かされる物質、という図式になります。
  • それから、コミュニケーションの場合は、心=脳(という物質)→口(という物質)→音波(という物質)→耳(という物質)→脳(という物質)という図式になります。

それに対して「超心理学」とか「超常現象」というと、なんのことやら、意味がわかりにくいのですが、おおよそ、以下のような現象の可能性を研究します。

  • 感覚器官(眼や耳など)を介さずに、心が直接、物を知覚することができるだろうか?
    • これを「超感覚的知覚(ESP)」と呼びます
  • 運動器官(筋肉など)を介さずに、心が直接、物を動かすことはできるだろうか?
    • これを「念力(PK)」と呼びます
    • 祈るだけで病気が治る「ヒーリング」もこれの一種です
  • コミュニケーションのための器官(声を出すこと、耳で聞くこと、目で見ること)を介さずに、心と心が直接、コミュニケーションをとることができるだろうか?
    • これを「テレパシー」と呼びます

こうした現象が存在するという前提で研究をするわけではなく、それがあるのかないのかを調べるための研究が続けられてきました。扱う対象が難しいので、なかなか結論が出ないまま、いまに至るというのが現状です。

超常現象を信じること、疑うこと

また、こうした研究を行うがわの動機にも、3種類の立場があります。

  1. 「超常現象は存在する」と信じていて、それを実証したい
  2. 「超常現象など存在しない」と信じていて、それを実証したい
  3. 「超常現象が存在するかしないかはわからない」、だから研究したい

ふつうは3であるべきですし、私は3の立場です。

1は、いわば信仰の問題です。信仰は価値の問題です。信仰は生きる意味を与えてくれます。しかし客観的な科学の研究対象にはなりません。

2は、いわゆる懐疑主義という立場です。このような批判的な立場は、科学的な研究には必要なことです。宗教とは信じること、科学とは疑うことです。宗教は生きる意味を与えてくれますが、科学は生きる意味を与えてくれません。宗教と科学は対立するものではなく、別次元のことです。

ただし「超常現象が存在しない」ということを信じてしまうと、やはり宗教になってしまいます。懐疑論懐疑主義という立場は、行きすぎると、こういう「宗教」になってしまいます。

なぜ幽霊は怖いのか

「心霊現象」などと(日本語で)いうと、怪談のような怖い話かと、そんな暗いイメージがあります。

深夜に隣室でゴトリと音がしたとき、とっさに怖いと感じるものです。

誰かが入ってきたのかもしれない。恐るおそる隣室を覗いてみても、誰もいない。誰もいないと「心霊現象か」などと考えてしまいます。じっさいには、建物がきしんだり、小物が倒れただけかもしれないのに、です。

ここには以下のような認知バイアスが存在します。

  • 物音に「意図」を感じてしまうバイアス
  • しかも悪い「意図」を感じてしまうバイアス

「妄想」や「陰謀論」は、こうした認知バイアスから発展してくるものが多いのです。

「心霊現象」は「死」を連想させるから、怖いのでしょうか。

怪談は怖い話です。典型的な怪談においては、死者の幽霊が、生者を殺そうとします。殺されるのは怖いことです。しかし、問題を以下のように整理することもできます。

  • もし幽霊が実在するなら、死んでも幽霊として生きられるのだから、死ぬのは怖くない?
  • もし肉体が死ねばすべてが終わるのなら、幽霊は幻覚にすぎないのだから、怖くない

屁理屈でしょうか?

ともあれ、生きている人間が襲ってくるほうが、怪談よりも怖いものですし、もし人間が死んで幽霊になるのなら、なぜ人を恨む幽霊ばかりなのでしょう。この世に未練があるからでしょうか。しかし、この世に未練があるのなら、友達や家族や恋人に会いたくてやってくる友好的な幽霊や、飲食娯楽等、肉体的快楽を求めてやってくる幽霊もいるはずです。

懐疑=思考の作法

錯覚や認知バイアスは、この授業全体の主題ではなく、不思議なものを信じすぎないようにするための客観性を保つ視点を持つために必要な懐疑的知識ということです。

これはまた、原発事故やウイルス感染症などのリスクに対して、過大評価せず、また過小評価もせず、できるだけ客観的に対処する方法論でもあります。(あるいは、いかに理性的であろうとしても、どうしても考えが偏ってしまうことに自覚的であるための方法論でもあります。

「不思議現象の心理学」で扱う問題を、手短に要約すれば、以上のようなことです。

参考映像『超常現象』

講義が聴けないぶん、本を読むのもよいのですが、映像で観るのも直感的にわかりやすいものがあります。心霊現象やオカルト的なテーマを扱った番組は、興味本位で学術的には問題のあるものが多いのですが、私じしんが制作に携わった『超常現象』は、なかなかよく作られた番組ですから、しばしば授業で紹介してきました。

どちらかといえば、第一集のほうが「身体と意識」の講義内容と関係し、第二集のほうが「不思議現象の心理学」の講義内容と関係します。

ザ・プレミアム 超常現象 第1集「さまよえる魂の行方」(2014年1月11日放送)

www.nhk-ondemand.jp

幽霊、生まれ変わり、透視、テレパシー…。超常現象を、科学的に解明しようという試みが、急速に進んでいる。第1集は、死後の世界や魂の謎を解明しようという科学者たちに迫る。イギリスで行われた幽霊城の大規模調査。電磁波や低周波音測定器などの最新機器が異常な数値を捉えた。その分析からは、心霊現象の意外な正体が明らかに。さらに、子どもたちが語る前世の記憶や、臨死体験の証言を、科学的に分析する試みを追う。

ザ・プレミアム 超常現象 第2集「秘められた未知のパワー」(2014年1月18日放送)

www.nhk-ondemand.jp

念力、テレパシー、透視、予知…。「超能力」と称される不思議なパワーは本当に存在するのか?トリックや思い込みだとする風潮が主流を占める中、その真偽を最新の科学的手法で見極めようと挑む研究者たちがいる。脳科学や統計科学を駆使したさまざまな実験から、ごく普通の人々にも科学では説明がつかない不可思議な能力が備わっているという驚くべき可能性が浮かび上がってきた。科学の先にある謎は、私たちに何を物語るのか。

220円で視聴が可能です。それだけの経済的余裕があれば、ぜひ観てもらいたい映像です[*1]。ただし、視聴期限が72時間と決まっています。990円払うと「見放題」になります。



普段の講義で話をしていることを文字で書こうとすると、じつに冗長な文章になってしまいます。誤字脱字や、文法的におかしいところもあります。口で喋ると、意外に気にならないものが、文字にすると、気になってしまいます。

ウイルスの感染も問題ですが、いま、人間どうしのコミュニケーションのあり方が問われています。それこそ、テレパシー通信などが可能になればよいのではないかと、SF映画のようなことを考えてしまいます。

さしあたり、喋ったものを録音してネット上にアップする、という方法を実験中です。



CE2020/05/21 JST 作成
CE2020/05/22 JST 最終更新
蛭川立

*1:インターネットにアップされている動画についての考えは「インターネット情報の普遍性と著作権について」に書きました。