【講義ノート】「身体と意識」2020/10/23

先週の授業の続きですが、この講義ノートは、「臨死体験」とリスト名を書いた後は、先週と同じ内容です。

Oh-o!Meiji経由でお知らせリンクを送ったのですが、今回の授業内容が特殊であることについて、長々とお知らせメッセージを書いたところ、字数が多すぎて配信できなかったようです。しかし、その後でURLだけ送ったものは、うまく転送されたようでして、皆さんもこのページに辿り着けたでしょうか。

大学生が薬草で疑似臨死体験を起こし、うつ病を自己治療した件について

一昨日、以下のような報道がありました。

news.yahoo.co.jp

まずはこの記事を三ページ目まで読んでください。とくに最後の部分です。

事件が起こったのは去年の七月で、警察が綿密に捜査し、本人と売ったほうの青年の二人を逮捕し、それが報道されたのが三月でした。そのころ私は新型コロナウイルス問題で新年度をどうするのかということで頭がいっぱいで、事件のことを考えている余裕がありませんでした。

悲しいことですが、心を病んだ大学生がネットで危険ドラッグを買って飲んで自殺未遂、救急搬送された、というのは、ままあることです。最初に話を聞いたときには、そういう事件なのだろうなと思っていたのですが、よく調べてみると話は逆で、生きる意味を見失って、自分なんてもうこの世から消えてしまったほうがいいのでは、といった観念にとりつかれて、不登校引きこもりになっていた大学生が、アマゾンの薬草をネットで購入、Amazonで買ったということではなくて、南アメリカのペルーやブラジルで使われてきた、アヤワスカという伝統的な薬草です(正確にいえば、同じDMTを含む似たような植物)、それを飲んで計画的かつ安全に臨死体験を起こし、結果的に人生の意味を取り戻したという、どうやらそれが本当だったと知って驚いたのが今年の六月でした。

以来、ずっと気になっていたテーマなのですが、薬草をお湯に入れて飲んだと言うことが、「麻薬」を「製造」して「施用」したとして罪に問われていたこの大学生、まだ未成年で、家庭裁判所で保護されていたため、間接的な情報しか入手できませんでした。

しかし、その大学生が二十歳になり、成人したので、未公開だった情報が公開され、新聞に載りました。「最強のドラッグ!」のような、いかにも有害そうな書き方はやめてほしいと記者さんには連絡をしたのですが、記事の内容自体は中立的で、結論部分に大学生本人の供述が載っています。今もその大学生はすっかり元気になったままなのだそうです。

昨日、一昨日と、この事件のことを調べていて、授業の準備ができませんでした、というわけでもなくて、ちょうど授業で扱っていた臨死体験というテーマが意外なことにリアルタイムで社会的な事件とリンクして、授業の内容もより立体的に深められると思います。

研究は、たんに知的好奇心を満たすだけではなく、日々現実に起こっている社会現象と関連してこそ、研究としての意味があるとも考えています。

アマゾン川のジャングルに住んでいる原住民が精霊と出会うために使っている幻覚植物について(私が和泉の人類学で講義しているようなテーマです)、そしてDMTという物質が臨死体験を引き起こし、またうつ病を治療する薬にもなるという(私がこの駿河台で講義しているようなテーマです)、これは世界的にはよく研究されていることなのですが、日本では人類学、心理学の両面から研究している人が他にいないらしく、新聞記者の人や弁護士さんから相談があったりで、てんやわんやです。

私もいままでのふつうの人生で、犯罪やら裁判やらと関わるのは初めての体験で、どう対応して良いものやら、目を回しています。しかし、いままで、幻覚植物だとか心霊現象だとか、怪しげな研究として理解されにくかった研究が、こんなところで理解され、役に立つのなら、今まで研究してきた甲斐があった、学者冥利に尽きる、と思い、情報の分析に協力しています。

現時点で私が調べたことと推測したことを、下記のサイトに書きました。これがもし本当なら、大学にも行かず、引きこもってネット世界に逃避している学生のほうが、じつはよく勉強していたという、大学教員としても驚くような出来事です。

hirukawa.hateblo.jp

この事件は、たまたま京都にある某大学の学生さんが救急搬送されて発覚しただけで、南米アマゾンの先住民族が使っている薬草について情報を流してきた「薬草協会」、比較的頭のいい理系の男子大学生を中心に、全国的に広がっていたようです。春学期の「不思議現象の心理学」の期末レポートにも、この事件をネットで見た、ということを書いてくれた人がいました。

彼は、そこそこ大きな大学の、ふつうの学生だったらしく、つまり、いまは大学二年生か三年生か、私のような中年よりも、皆さんのほうがずっとリアルに年齢が近い事件なのです。

下にも書いたとおり、以前に私の研究室で臨死体験の研究をしていた岩崎さんという人が、ネット上に論文をアップしています。

岩崎美香 (2011). 『旅として臨死体験ー日本人臨死体験者の調査事例よりー
岩崎美香 (2013). 『臨死体験による一人称の死生観の変容ー日本人の臨死体験事例から
岩崎美香 (2016). 『臨死体験後に至る過程ー臨死体験者と日常への復帰ー

ざっくりひとことでまとめると、臨死体験が死後の世界の体験なのかはさておき、臨死体験をして戻ってきた人は、人生観が前向きに変わる、ということです。

人間、死にかければ人生観が変わるだろう、というわけでもないのです。岩崎さんは、死にかけて「あの世」を見ないで戻ってきた人と、「あの世」を見て帰ってきた人の比較研究をしています。「あの世」を見て帰ってきた人のほうが、早く死んで天国に行きたいとは思わず、この肉体を持って生きることの意味をしっかり確認して「この世」に戻ってくる、という研究結果が出ています。

検察の取り調べでは、事件の大学生は、ネット上の記事や論文もかなり読み込んでいて、どうも、岩崎さんの論文も読んでいた可能性があります。もしそうなら、私が指導して大学院生に書かせた論文がネット上に流布し、それを読んだ大学生が、死ぬリスクをおかさずに疑似臨死体験をして人生の意味を取り戻したと、そういうことになりますから、私にとっても当事者性の高い事件でもあります。

事件を読み解く基礎知識

しかし、これほど不思議な事件を読み解くには、相応の基礎知識が必要です。明後日にも雑誌の取材の人が来るというので、そういう場合に備えて、まずはこのあたりを予習して、知識を身につけておいてください、ということで、こちら【必読】に解説ページを作ってみました。そこから先にさらにリンクがありますが、必要におうじて参照してください。

リンクがあちこちに飛んで、内容が重複していたり、私もだいぶ混乱していますが、現場のリアルな雰囲気はお伝えできているかもしれません。逮捕だとか犯罪だとか裁判だとか、およそそういう世界は初体験ですし、もともと犯罪関係のニュースやミステリー小説などにもとくに関心がなかったものですし、加害者が被害者を殺害したとか、誰かが自殺したとか、そういう痛ましい事件は正直なところあまり好きではありません。たとえフィクションであったとしてもです。

世の中には色々な出来事がありますが、えてして「わかりやすくて」「不幸な」事件のほうが大きく報道され、人々の共感を呼びます。もちろん、そういう事件の原因を究明し、繰り返さないような対策が必要です。しかしいっぽうで「わかりにくくて」「幸福な」事件は、共感の前に理解するのが難しく、報道もあまりされないものです。「わかりやすくて」「幸福な」出来事も大いにけっこうですし、また同時に「わかりにくくて」「幸福な」出来事の謎を解いていくのが学者の仕事です。「わかりにくくて」「不幸な」事件の謎を解いていく名探偵は多いですが「わかりにくくて」「幸福な」事件の謎を解いていくのが、やはり学者の本懐だと、少なくとも私はそれが生きがいで研究をしています。(アマゾンのジャングルに探検に行ったり、オカルト的なものが大好きだというわけではないのです。)

取材や原稿の話をとりまとめつつ、同時並行で、本当に口でしゃべって授業をしているときのように、話し言葉で、まとまりのない話になってしまいましたが、会話とは違って、また上にさかのぼって文章を加筆修正しています。リンクもWorld Wide Web的に、リゾーム的に増殖中です。



(以下は、先週の講義ノートと同じ内容です。)

臨死体験

臨死体験というのは、死に瀕したときに、光の世界に行って、死んだご先祖様に出会い、また戻ってくる、といった体験です。それに先立って、体外離脱体験が起こることが多いのですが、臨死体験を、文字どおり、肉体が死んだときに魂が抜けて、あの世に行く、ととらえると、意識が身体を離れるのは当然のことです。

しかし、それは否定も肯定もできません。研究が進んでいないから、というよりは、それが、一人称的、主観的な体験だからです。そもそも、肉体から霊魂が抜け出したとしても、その霊魂は、どこに行くのでしょう。それは、雲の上や、地下のような、物理的な場所ではありえません。

私たちは、死の淵から生還した人から、臨死体験の体験談を聞くことができますが、それは、生還したからであって、本当に死んでしまった人からは、死んでいくときの体験を聞くことはできません。

誰もが、最後は死んでいくという体験をするでしょうから、そのときには、臨死体験者が語るような体験をするかもしれないし、しないかもしれません。(なお、いままで何万人もの研究が行われてきましたが、臨死体験者のほぼ全員が、天国、極楽のような世界に行ってきたといいます。しかし自殺未遂者だけは、地獄のような体験をしたという人の割合が多いのです。なぜなのかはわかりませんが、あるていど長生きしてから、老衰か、あまり苦しまない病気で逝きたいものですね。)

臨死体験の話をしていると、これは非常に興味深いテーマなので、長くなってしまいます。こんな話を長々としても、一部の特殊な人しか興味がないことかなと思っていたのですが、最近、この授業の履修者が増えてきて、情コミ学部だけでも8割ぐらいの人が受講しているようで、しかも、レポートで、授業で扱ったような体験で、自分で体験したことを分析してください、という課題を出すと、かなりの人数の人が、自分の臨死体験について書いてくれるのに、とても驚いています。一般人口の臨死体験経験者は、50人に一人ぐらいだといわれていますが、二十歳ぐらいの年齢でも、100人に一人ぐらいはいるようです。大学生ぐらいの年齢で、事故や病気など、とても大変な思いをした人が多いのですね。

家族や友人など、身近な人が体験をしている確率は、10分のⅠ以上でしょう。けっして特殊な問題ではないことがわかります。

瀕死状態から生還した人の場合は、約三割が体験するといわれます。体験しても忘れてしまう人がおおいことからすると、ひょっとしたらすべての人が死にゆくときに臨死体験のような体験をするのかもしれません。誰もが一回だけ死というものを体験するわけですから、誰もが少なくとも一回は体験する、そういう意味では普遍的な体験なのかもしれません。

臨死体験については、これはかねてよりブログ上の未完成記事「臨死体験」や、著書『彼岸の時間』の第一章「他界への旅」をはじめ、多数の場所で繰り返し議論してきましたが、逆に、まだ要領よくまとめきれていません。

臨死体験の映像資料

臨死体験についてはすぐれた映像資料が多数あります。とりわけ再現映像は、文字で読んで理解しようとするよりも、ずっと直感的にわかりやすいものです。

1990年代に立花隆によって構成されたNHKスペシャル臨死体験』は日本での先駆的な秀作でした。最近では同じNHKで2014年に放送されたBSプレミアム『超常現象』が、臨死体験をとりあげています[*1]。自作自演の映像作品『死生観の人類学』でも国際臨死体験研究学会の様子などを紹介しましたが、CGによる再現映像などを入れる予算はありませんでした。

海外のドキュメンタリーとしては、イギリスBBCの『驚異の超心理世界』(NHK教育テレビによる邦訳)や、近年ではDiscovery Channelの『Through the Wormhole』におさめられた「Is there life after death?」などがあります。SF映画というフィクションの中で臨死体験の内容を映像化したものとしては、もはや古典となった『Brainstorm』があります。また、やはりNHKで放映された『チベット死者の書』では、チベット仏教の経典に書かれている死と転生の体験がCGによって再現されています。

臨死体験研究の日本語論文

蛭川の研究室の大学院で学んだ岩崎美香さんが、日本語圏では先駆的な研究を続けてきました。いくつかの論文はWEB上で公開されています。

岩崎美香 (2011). 『旅として臨死体験ー日本人臨死体験者の調査事例よりー
岩崎美香 (2013). 『臨死体験による一人称の死生観の変容ー日本人の臨死体験事例から
岩崎美香 (2016). 『臨死体験後に至る過程ー臨死体験者と日常への復帰ー

岩崎さんは、臨死体験そのものよりも、臨死体験から生還した人の人生観、世界観の変化に注目して研究してきました。これは、とてもユニークな分析です。

事故や病気で死にかけてから戻ってくれば、人生観が変わるのは当然です。しかし、死にかけて臨死体験をせずに戻ってきた人が、これからはもっと命を大切にして残された人生を歩もう、と考えるのに対し、臨死体験をして戻ってきた人は、いずれは死ねば天国のような場所に行くのだろうけれども、それから肉体を持って生きている間は、精一杯生きよう、という、独特の人生観を持つようになるのです。

死後の世界があるかないか、それは死んでみなければわからないことですが、いずれにしても、どう生きるかは、これは現実に意味のあるテーマです。



記述の自己評価 ★★★☆☆
(講義の補助のための覚書であり、大ざっぱな口語調です)
CE2019/10/17 JST 作成
CE2020/10/23 JST 最終更新
蛭川立

*1:『超常現象 1集 さまよえる魂の行方』。 www.nhk-ondemand.jpNHKオンデマンドで視聴できる。)