【講義ノート】人類学A 2020/05/25

人類学Aの講義メモです。教室での授業なら当日にお話しすることですが、オンラインで教材にリンクする形にしているので、事前に目を通してもらえたほうがよかろうかと、こんな具合の口語的な文体で書いています。

なお、一部、画像が表示されないという不具合が起きています。もし教材ページで画像が表示されない場合には教えてください。すぐに対処します。

どのリンク先の記事を読むべきかについては、【必須】【推奨】【余談】の3種類に分けておきました。

人間は「象徴」を食べる

象徴的効果の「象徴」は、文化人類学ではとても重要な概念です。

MERS、SARS、そして現在感染を広げているCOVID-19の病原体であるコロナウイルスは、すべてコウモリに由来することが明らかになっています(→「SARS関連コロナウイルスの生物学」【余談】)。エボラ出血熱などの自然宿主もコウモリです。

しかし、コウモリを食べることが問題なのではなく、コウモリの排泄物にコロナウイルスが住んでいて、それを食べるだけではなく、触っただけでも感染してしまいます。また、狂犬病というとイヌだけがかかる病気のようですが、狂犬病のイヌが駆逐されつつある現在、コウモリが狂犬病を媒介することが問題になっています。私も狂犬病のワクチンを打っていますが、狂犬ならぬ狂コウモリに噛まれるのが怖いからです。

中国ではコウモリの糞が、夜盲症などに効く「夜明砂」という漢方薬として珍重されています。これも、含まれる成分の薬理学的な作用というよりは「コウモリ」=「暗いところでも目が見える」という象徴的思考によるものです。

こうした薬が、希少で高価であると、希少で高価だということ自体に価値が見出され、流通するということもあります。昼食前の時間にこのようなスカトロジー的な話ばかりで恐縮ですが、普通は食べない変なものだから余計に効きそうだという意味合いもあるでしょう。

中国の四川料理には「コウモリに蚊を食べさせて蚊の身体が消化されて蚊の眼球だけが排泄されたものお湯に溶かしたスープ」というものがあるそうです。私は飲んだことはありませんが、四川省成都の夜市で謎の病原菌に感染してしまった私にとっては切実な問題ですし、コロナウイルス感染症が何度も繰り返されている元凶としても切実な問題です。

こういう話ばかりをしていますが、これは「中国人が変なものを食べるからいけない」という偏見ではありません。グルメな日本人にとっても、それは対岸の火事ではありません。

東京の喫茶店から謎の伝染病が大流行するという事件が起こりうる可能性も指摘しましたが(→「『最高の人生の見つけ方』」【余談】)フランスのパリで魚屋さんが2019年の12月に新型コロナウイルスに感染していたことが明らかになり、今月になって真面目な医学雑誌に発表されました。これは、新型コロナウイルス感染症が中国だけに由来するという定説を覆す大発見です。この感染がフランス料理の食材に由来する可能性もあります。

食べ物だけではなく、たとえばコウモリの排泄物は「バットグアノ」という名前の肥料としても使われています。Amazonでもふつうに売っています。

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「原産地:インドネシア/原料:こうもりのふん」

(この「人間は『象徴』を食べる」の節について、事実関係の詳細は「SARS-CoV-2の起源と感染源」【余談】の後半に書きました。)

プラセボ効果と象徴的効果

相変わらず毎週同じ話をしていますが、ちょうど二週間前に風邪のような症状があり、ねんのため熱を測ったところが37℃を超えていて、心配になって保健所に電話し、保健所の人には医者に行くように言われ、ある医者に電話をしたら診察を断られ、また別の医者に電話をしたら、やっと診察をしてもらえました。

ただの風邪でしょうと言われて、風邪薬を出してもらって、ねんのため二週間ぐらいは自宅で様子を見てください、ということでした。あれから二週間が経ち、ちょうど外出自粛勧告も解除されるようです。

風邪薬を飲んで、咳や喉の痛みは良くなりました。しかし、薬が効いたのではなくて、たんに自然治癒しただけかもしれません。薬を飲んだから良くなるだろう、という思い込みで、喉の痛みが気にならなくなったのかもしれません。これを、プラセボ効果といいます。プラセボ効果については、不思議現象の心理学という、駿河台での講義科目で扱いますが(→「プラセボ効果と象徴的効果」【必須】)、このリンク先の記事の後半に書いた「象徴的効果」は、人類学と重なる内容ですから、ぜひ読んでください。

そもそも、ふだんなら、ちょっと風邪気味だろう、ということでやりすごしていたのが、わざわざ体温を測ってしまい、測ってみたら37℃を超えていたから熱がある、ひょっとしていま流行りの新型コロナというやつに感染したのかもしれない、保健所に相談しよう、医者に相談しようと慌ててしまうのは、逆に、たいした症状でもないのに余計に不安に思えてきてしまう、主観的な認知バイアスでもあります。

冷たい「風」が「風邪」を起こす?

さて、咳が出たり、喉が痛んだりするのを「カゼ」と言います。これは、冷たい風に吹かれて起こる病気だという、一種の象徴的な概念ですが、ただし、温度が低いと風邪をひきやすいのは事実です。これに対して、熱を出すのは体の反応です。部屋を暖かくすることにも効果があります。

今では医学的な研究が進み、たとえばインフルエンザウイルスは寒くて乾いた環境では増殖し、熱くて湿った環境では弱ってしまうことが知られています。だからインフルエンザが冬に流行し、春になるとおさまり、また冬になると流行するのです。「カゼ」という概念にも医学的な根拠があるわけです。(ただし、新型コロナウイルスは熱帯や南半球でも流行しており、あんがい高温多湿にも強いといわれていますから、まだまだ油断はできません。)

風邪をひいたらコカ・コーラを飲めばいい?

冷たい風が風邪という病気を起こすというのは、ある程度は事実ですし、同じような考えは世界中にあります。たとえば中央アメリカのマヤ系先住民族には、咳や喉の痛みは「冷たい」病気であって、「熱い」薬草を摂取すれば治る、という考えがあります(→「中米先住民文化における飲食物の民俗分類」【必須】)。

リンク先に表を書きましたが「熱い」食べ物とは、たとえばトウガラシやカカオやトマトです。これらは中南米原産の植物です。カカオにはカフェインが含まれていますから、それで体が温まって元気になるような気がするのかもしれません。ちなみにカカオに砂糖を入れてココアやチョコレートにするのは、ヨーロッパでの発明であって、もともとココアには砂糖を入れず、トウガラシを入れて飲むのが伝統だったそうですから、とてもホットな飲料ですね。

ポシュというのは、トウモロコシから作られるお酒です。トウモロコシも中米が原産です。中米の先住民というと遠くの世界のようですが、アボガドなど、日ごろ食べているものの多くが中米の先住民が栽培した植物で、ヨーロッパ経由で世界各地に広がりました。酒を飲むと体が温まりますから、これも「熱い」飲食物だと分類されます。

しかし、意味がよくわからないものもあります。たとえば、牛肉は熱い食べ物で、鶏肉は冷たい食べ物だとされます。

新しい時代になって入ってきたコカ・コーラも、冷たい病気を治せる熱い飲み物だとされています。たしかにコカ・コーラにも少量のカフェインが含まれています。しかし実態は「コカ・コーラ=文明世界からもたらされた新しい健康飲料」というイメージもあるようです。しかし、おなじコカ・コーラ社の炭酸飲料でも、ファンタ・オレンジは「冷たい」飲み物だから、風邪には効かないと、現地の人たちは言います。冷やしてあれば、どちらも冷たいはずなのですが。

このように、象徴的な分類には、医学的な根拠のある合理的なものと、不合理だけれども、その文化の中で信じられているものがあります。

「薬物」の民俗分類

コカ・コーラというのも不思議な飲み物で、その歴史を辿っていくと、20世紀の現代史とも密接に関わっていることがわかります(→「興奮するモダン/沈静するポストモダン」【推奨】)。

もともとコカ・コーラは、ワインでした。しかし、アメリカでの、お酒は体に悪いという風潮の中で、コカインとカフェインをブレンドした飲料に変わりました。コカインだとか覚醒剤だとかいうと怖いもののように思われますが、それもまた私たちの文化が持つ、医学的な根拠のない民俗分類なのです(→「向精神薬の民俗分類」【必須】)。たとえばエチル・アルコールエタノール)はかなり危険な薬物であり、風邪をひいたときに飲んでも身体は温まりますが、飲みすぎれば身体に有害です。エタノールは消毒用としても使われますが、細菌やウイルスを殺すだけの毒性があるからです。

余談ながら消毒用のエタノールは70%の濃度が必要ですが、コロナウイルスエンベロープ(殻のようなもの)を破壊して殺すのには40%あればいいという研究があります(→「酒を蒸留して消毒液にすると3万人の命が救える?」【余談】)から、あるていど濃いお酒であれば、そのまま消毒薬になりそうです。消毒用アルコールが品薄で価格が高騰していますが、私はサントリーのジン(40%)を消毒用に使っています(→「やってみなはれ。やらなわからしまへんで」【余談】)そのほうが安価だからです。

人類学の面白さ

こんな事態になって、試験はどうなるのか?単位は取れるのか?なにをどう勉強したらいいのか?と心配になっている人も多いでしょう。試験やレポートのことはまだ流動的ですが、あまり細かい知識を問うことはしません。人類学の面白さは、いままで当たり前だと思っていた常識が、あっと裏返るような視点です。たとえば、コロナウイルスの感染は漢方薬から始まったのか?とか、お酒は大麻よりも危険なのか?消毒に使えるのか?等々、違った角度から物事を考える方法論です。

細かい知識を暗記するよりも、ものの考えかたを身につけることが重要です。成績評価でもそういう「考えかた」を問います。大学での勉強というのはそういうものです。とくに一年生の皆さんにはお話しておきたいことです。

口頭で話せばすぐに終わる話を文字で書くと、とても長くなってしまいますが、今週のぶんはこれぐらいにしておきます。

(先週話しかけていた中国の少数民族モソ人の他界観と葬送儀礼の話は、またすこし先にお話します。)



CE2020/05/24 JST 作成
CE2020/05/25 JST 最終更新
蛭川立