【講義ノート】「人類学A」2020/05/18

のっけから私事になってしまいますが、ここ一週間ほど下痢と発熱をともなう風邪のような症状があり、右往左往しておりました。内科医の診察を受けたところ、まあ、ただの風邪でしょうから、様子をみてくださいと言われました。(→「2003年雲南 2020年東京 発熱の記録」)

こちらの教材も予習できるように早めに準備しておきたかったのですが、作業がすこし遅れておりまして、コンテンツとリンクが混乱しています。どうかご理解のほどを。


いま世界で起こっている感染症のことについて考えることは重要ですが、それを個々の学問分野と結びつけていくことは更に重要です。とはいえ、時事的な問題ばかりに振り回され、いつまでたっても人類学という本題に入れないのでも本末転倒です。

そう言いながらも、ちょっと風邪のような症状が出ただけでも気になって病院や保健所に電話したり、普通の病気はとちがい、感染症というのは社会を巻き込んでいくものですから、身をもって関わらざるをえないのです。人類は、世界大戦のような目に見える暴力とは違う意味で、あるいは、人口の半分が死亡してしまうような壮絶な伝染病とも違う、今までになかった出来事の中にいます。



先週に引きつづき、ここ数ヶ月の所感を綴った「ウイルス感染症にかんする考察」をとっかかりにして話を進めようかと思いつつ、珍獣食文化についての議論を「肉食の象徴論 ー人畜共通感染症の文化的背景ー」という別のページに切り出しました。

講義というのは、演繹的に概念の説明から始めたほうが体系的なものになるのですが、帰納的に具体例から入ったほうが初学者にはわかりやすい、というジレンマがあります。いきなり「人類学とは何か?」という大前提から入っていくよりは、できるだけ具体的な、今ここで起こっていることと結びつけながら、話をはじめたほうがわかりやすいのです。

人類学の授業に対するコメントに、もっと先生の冒険談が聞きたい、というものがありました。しかし、学者は冒険家とはちがい、危険を冒すのは目的ではなく、むしろ、いかに安全に調査を進めるために危険を回避するか、そちらのほうに醍醐味があります。

個人的には、そもそもが軟弱者ですから、冒険などといえるほどの冒険はしたことはありません。しかし、中国で2003年にSARS騒動(そして2013年の鳥インフルエンザ問題)に遭遇してしまったことは、いままでの調査旅行の中では、2001年9月11日の同時多発テロ事件のときに南米にいたことと同じか、それ以上の「冒険」でした。とはいえ、敢えて危険な場所に行ったわけではありません。安全だろうと思って行ったところで、突発的な事件に巻き込まれてしまったのです。

中国の屋台で怪しい食べ物を食べて病気になった、という冒険談は面白いかもしれません。しかし、それが人類学という学問の本質ではありません。

いま、世の中が「コロナ」で大混乱です。しかし、その原因はどこにあるのでしょう。安倍政権の政策の誤りでしょうか、中国政府の情報隠蔽でしょうか。

しかし、大元をたどれば、じつは、市場に落ちていたコウモリの糞である可能性が高いのです。中国の屋台で謎の珍獣が売られている、などというのは、どこか遠くの世界の出来事かと思いきや、それが全世界を揺るがす大問題の元凶になってしまうのですから、なんともグローバルな不条理です。しかし、その不条理さに理性的に向かい合うことができるのが人類学の本領です。

詳細は「肉食の象徴論 ー人畜共通感染症の文化的背景ー」に書きましたが、日本人が「中国は不潔だ」などと言えば、異民族を蔑視するだけで終わってしまいます。しかし、東京でもハクビシンは増殖し、「通」はカフェでジャコウネコの糞を賞味しているのですから、ひとつ間違えれば、東京の商店街から謎の伝染病が発生し、世界的な大流行が起こってもおかしくはないのです。

海外の辺境に不思議なものを求めて旅をして、物珍しい土産話を持ち帰るだけでは終わりではないのです。しばらく海外にいて、ひさしぶりに日本に戻ってくると、ふだん暮らしている平穏な日常の中にも、不思議なものがたくさんあることに気づきます。

[文化]人類学は異文化理解の方法であり、自文化を映す鏡である、という所以です。



人類学Aと人類学Bは独立の科目ではありますが、同じ教員の担当であり、どちらも最初に「人類学とは何か」という定義から講義を始めています。この授業では、人類学とは、人間やその社会を、自然科学と人文・社会科学の両面からとらえる学問だという立場で進めていきます。

自然人類学においては、とくに生物学、さらには遺伝学と脳神経科学が重要になってきます。ウイルスとの戦い、というのは比喩的に理解しやすい表現ですが、ウイルスとはいわば純粋な遺伝情報であり、ウイルスのに目的があるとすれば、それはただ自らの遺伝情報のコピーを増やすことであり、人間など宿主を攻撃するという目的を持っているわけではありません。ウイルスが自身の遺伝情報をコピーするために宿主の体を借りるために、宿主が病気になることもあるということです。

ウイルスにもDNAを持つものもあれば、RNAを持つものもあり、新型コロナウイルスは1本鎖RNAであり、それが感染しているかどうかを知るためには、唾液などに含まれる微量のウイルスをPCR法によって増幅して検査することができます、といっても、RNAPCRという言葉を知らないと理解できません。

文化人類学社会人類学の側面としては、2003年のSARS流行事件から、中国雲南省少数民族ナシ族・モソ人の伝統文化の調査へと話をつなげていきます。社会構造の面では、とくにモソ人の社会では、通い婚を基本とした母系社会が特徴的で、また精神文化の面では、独特の他界観を反映した葬送儀礼が特徴的です。SARS流行下での調査は大変でしたが、自分が死にかけているときに隣の家でお葬式が始まるという不思議なシンクロニシティが起こり(自分が生き延びたいっぽうで亡くなられたかたがおられたのは残念ですが)葬送儀礼の一部始終をしゅざいすることができました。その時の映像をお見せしながら、授業を進めていきます。

読むべきページ

あらためてまとめておきます。

まず「人類学とは何か?」には目を通しておいてください。

それから「2003年4月、SARS流行下、四川省・雲南省における調査記録」を見てください。長い時系列の記録ですが、四川省成都の夜市に行った4月18日の記録から「肉食の象徴論 ー人畜共通感染症の文化的背景ー」に飛んでください。

その後、また「2003年4月、SARS流行下、四川省・雲南省における調査記録」に戻って、4月21日に雲南省に移動した記録から、「走婚と送魂ー雲南ナシ族・モソ人の親族構造と死生観」に飛んでください。そのページの中に以下の四個のリンクがあります。

これらをそれぞれ見てもらえれば結構です。かなり内容が多いので、上に書いた内容だけで二週間ぶんになりそうです。

リンク先のページの先に、さらにリンクがありますが、これは、どこまでも辿っていけるものです。関心のあるところに飛んでみてください。



口頭でお話しすれば簡単なことでも、いざ文字で書いてみるとダラダラと長くなってしまいます。余談や冗談など書きはじめるときりがありませんし、教材を提示しながら音声で解説を補う、という方法も検討してみます。

CE2020/05/16 JST 作成
CE2020/05/18 JST 最終更新
蛭川立