【講義ノート】「人類学A」2020/07/06

人類学Aの、7月6日ぶんの講義ノートです。

「昼の領域」と「夜の領域」

いま、大学のほうでも、活動制限をゆるめて、大学での授業を、少人数の授業から再開していこうという考えもあるのですが、外出自粛のような制限をゆるめると、また感染症が広がってしまう、第二波が来たか、などと言われていますが、これは困ったジレンマです。

原発事故のときにも放射性物質が放出されて問題になりましたが、放射性物質は人間が何をしようが、勝手に分裂して減っていきます。しかし、ウイルスというのは、一種の生き物ですから、人間がじっとしていると減っていき、人間が活動すると増えていく、もっと生物学的かつ社会的な現象なので、難しいところです。

ただ、研究や検査が進みつつあるのは、希望です。感染者数が増えたとはいっても、検査数が増えたので、今まで発見されなかった感染者が発見されやすくなったという数字も含んでいます。若い人は感染しても無症状であることが多いので、検査が進むと、見かけ上、若者に感染が拡大しているような数字になります。

はしかのウイルスはもっぱら空気感染するそうですが、今回の新型コロナウイルスは唾液に多く含まれており、飛沫感染が多いという知見も蓄積されてきています。つまりは、他人の唾液が自分の口の中に入るという、そういう状況を重点的に避ければよいということです。

このことは、感染者がどんな「クラスター」から起こりやすいのかということから推測できます。「夜の街」という言葉を目にすることが多くなりましたが、これは不適切な表現ですね。定義がはっきりしません。

性風俗産業であれば、唾液と唾液が直接接触することもあるでしょうから、これは特殊です。もっと一般的な状況としては、複数の人と話をしながら食事をすることです。しかし、これは昼夜を分かたず行われていることです。ただ、そういう場合でも、しゃべるときにはマスクをする、食べるときにはしゃべらない、といった細かい(難しい?)配慮をすれば、感染のリスクは減るでしょう。

ただ同じ部屋にいてはいけないとか、人との距離を遠ざけるとか、そういう大まかなところから、より細かい対応ができるようになれば、たとえば飲食店は唾液に注意、でも黙ってパチンコをするのはリスクが低い、といった、感染の拡大防止と社会的活動の活性化とを両立させていける方法が考えていけるでしょう。

余談からすこし話を戻すと、中国の雲南省モソ人、「通い婚」の習慣がある民族の話をしました。ふだんは別々に暮らしている男女が、夜だけ共に過ごす。日本語にも「夜這い」という言葉があります。暗い場所だから目立たなくていいのかと思いきや、そういう具体的な理由だけではなく、昼間は日常的な労働の世界、夜は非日常的性的な世界と、そういう「昼/夜」という象徴的な観念があるようでした。日本語の「夜の街」という言葉も、実際になにをしているかというよりも「夜」という象徴的な観念なのでしょう。

今日の本題の、脳の進化のところでもお話したいのですが、人間は基本的に昼行性の動物です。夜は寝ます。脳が大きいので、脳を休めるために、長時間寝る必要があります。またすこし性的な話題で恐縮ですが、「寝る」という言葉が性的行為の比喩であるのも不思議なことです。本当に眠っていたら、なにもできませんから。

私はオーストラリア(ブリスベン)にも住んでいたことがあるのですが、オーストラリア大陸は地理的な隔離のゆえに、一億年ぐらい前の地球はこんな感じだったのか、という動物相が残っています。オーストラリアというと、コアラやカンガルーなどの有袋類の世界なのですが、昼間は寝ていて出てきません。カンガルーなども、夜にピョンピョン出てくるので、びっくりします。

昼間はというと、商店街にも、大学の構内にも、大きな飛べない鳥たちが闊歩しています。意外なことですが、鳥は恐竜の子孫です。

一億年前には爬虫類である恐竜が昼の世界を支配していて、哺乳類は夜の世界で暮らしていました。いまでも哺乳類には夜行性の種が多く、霊長類、猿の仲間でも、原始的なものは夜行性です。暗いところでも目が見えたり、嗅覚を使ってコミュニケーションをしたりします。霊長類の一部が昼行性になり、昼の世界で進化していきました。人間もその系統です。フェロモンによるコミュニケーションはほとんどなくなり、暗い場所では目が見えにくい反面、色覚が発達しました。だから人間にとっては昼間に活動するのがふつうで、夜の世界は特殊な世界なのです。

コミュニケーションの濃度

先週は、大学生がブラジルのアヤワスカ茶を飲んで救急車で運ばれたとか、逮捕されたとか、そういう事件を聞いて慌てていました。(その事件の真相解明は進んでいますが、授業ではこれ以上触れません。)そこから派生して、ブラジルの社会についてお話をししました。

いま、ブラジルでも新型コロナウイルスが感染を拡大しているようです。そもそも欧米とアジアでは百倍ぐらい違う、これはなぜなのか。流行しているウイルスの種類が違うのだという説もありますし、しかし、文化的な要因もあるでしょう。ブラジルでは、挨拶として相手を抱きしめます。相手の両側のほっぺたにキスをします(男性どうしではあまりやりません)。言葉も交わします。「全部良い?」「全部良いよ!」という、決まり文句があります。キスという言葉に翻訳できるのかどうか、これらの一連の行動を「beijos」といいます。独特の挨拶行動です。

それに比べると、日本人は「ソーシャルディスタンス」が遠いですね。遠くて、なおかつ声も小さいから、唾液も飛びません。ブラジルの大学で、日本語を学んでいる西洋系の学生と、道端ですれ違ったことがありました。彼は、私の姿に気づくと、ちょっと腰を屈めて、会釈しました。言葉はひと言も発しませんでしたが、この学生さんは「生きた日本語」をきちんと勉強しているな、と感心しました。

脳の進化

話を本題に元に戻しましょう。ヒトをヒトたらしめているもの、人類の進化、脳の進化というテーマです。

人類学という学問以前に、脳という特殊な構造と機能は、あるていど知っておくのは一般教養ということで、「神経伝達物質と向精神薬」からリンクを張っている動画だけでもざっと見てもらえれば、というお話をしました。

ここまでは一般教養ですが、人類学という学問の特徴は、比較する、ということにあります。それは、人間と他の生物を比較して、生物の多様性の中で人間の独自性を知ることであり、また同じ人間の中でも、民族や文化の比較を行い、その多様性の中で、個々の民族や文化の独自性を知ることでもあります。

大きな脳を持つことは、他の生物と比べた、人間の大きな特徴です。なぜ人間の脳はこれほど大きいのか、それは、進化のプロセスを追うことによって研究することができます。「脳の系統発生と個体発生」のページを見てください。ふつう「発生」という言葉は、一個の受精卵が分裂して人間の形になっていくプロセスという意味で使われます。子どもが大人になることを「発達」といいますが、これは英語だと同じ「development」になります。

ところで、生物の進化をふり返ると、もともと単細胞生物だったものが、多細胞生物になり、植物や動物へと進化してきました。これも「発生」ですから、進化のことを「系統発生」ということもあります。進化を「系統発生」という場合は、個々の個体の発生は「個体発生」と呼ばれて区別されます。

リンク先にも書きましたが「個体発生は系統発生を繰り返す」と言います。動物の祖先である単細胞生物は、精子のように、シッポが生えていて、海の中を泳いで暮らしていたと考えられています。それが、受精卵になり、それが分裂し、形態形成が進み、人間の場合は、だいたい十ヶ月で分娩、出産、つまり子宮の外に出てきます。しかし、発生の過程をみると、最初の二ヶ月ぐらいで急速に形態形成が進みます。最初はオタマジャクシのような形をしていた胎児が、手足が生えて、尻尾が退化し、カエルのようになります。いったん形成された尻尾が退化し、いったん形成されたエラが退化し、その代わりに肺ができます。子宮の中で、何億年かの進化が繰り返されているわけです。それから、脳が大きくなります。あとは、胎児の形はあまり変わらずに、大きさが大きくなっていきます。

系統発生の図のほうには、脊椎動物の脳の進化の図を載せておきました。哺乳類は、単孔類(原始的な哺乳類)であるカモノハシと、鯨類(げいるい)である、ナガスクジラが載っています。クジラやイルカはとても大きな脳を持っているのですが、手足を器用に使って道具をつくったりはしませんし、何を考えているのかは、意外に研究されていません。

そしてもうひとつの系統、霊長類(サル目)ですが、こちらは「人類の進化と大脳化」のほうに詳しく書いておきました。人間の脳が急速に大きくなったのはなぜか、その理由はよくわかっていません。

じつは、脳が大きくなることは、生存のために良いことばかりではないのです。、神経細胞というのは、エネルギーをたくさん消費します。身体の他の部分の細胞の、十倍ぐらいエネルギーを消費します。だから、大きな脳を持つことは、エネルギー的には損失なのです。損失してまでも、脳を大きくする必要は何だったのか、ということが問題になるわけです。

飽食の時代に生きていると、むしろカロリーのとりすぎで健康を害するという、逆のことが問題になっているので、脳がカロリーを消費しすぎて飢えてしまうという状況は想像しにくいですね。(余計なカロリーを消費して健康になりたければ、身体を動かすよりも、難しいことをたくさん考えて、脳細胞を酷使し、それでカロリーを消費するほうが効率が良いことになります。ひょっとして、おうちで脳科学ダイエット、のようなメソッドは、私が知らないだけで、もうあるのかもしれませんが。)

以前の授業で気候変動についての鋭い質問があったので、大幅に加筆しておきましたが、地球の気温が下がり、寒冷化して環境が厳しくなったのを乗り越えるために、大きな脳が進化してきた、という理由もありそうです。

(上記のリンクには、すべて目を通してください。画像が表示されない場合は、報告してください。)



CE2020/07/05 JST 作成
CE2020/07/06 JST 最終更新
蛭川立

【講義ノート】「不思議現象の心理学」2020/07/10

すみません、今週も授業準備が遅れています。ここ数日、予想外の仕事が舞い込んできてしまい、バタバタしていました。しかし、だからといって大学の授業という本務を疎かにする理由にはなりませんが、どうかご理解ください。といいますか、脳と意識の科学、物理学の哲学というのは、まさに私の専門とする領域でありまして、本当は熱く語りたいのですが(熱く語ったものが下記のリンクです)しかし、手短にわかりやすくまとめるのは、逆に難しいものです。

当初の講義計画では、この授業の最後のほうは、以下のような内容を予定していました。

07/03 記憶・予知・自由意志
→「時間反転対称性の破れ・・・
07/10 意識科学と現代物理学
『超常現象』は現代物理学で説明できるか
現代物理学と心物問題
07/17 科学・未科学疑似科学
科学と非科学の境界設定問題
07/24 全体のまとめ
秋学期「身体と意識」予告編

じっさいには、講義はあともう3回になりました。24日も実施します。24日が最後の授業になります。秋学期の「身体と意識」を履修する予定の人には予告編、履修しない人にはダイジェスト版、となるような形で、全体を総括します。

その一週間前の授業では、そもそも「科学」とか「科学的ではない」という問題を議論します。

そうすると、今週の授業では、以下に挙げたような、かなりハードコアな内容を一気に扱うことになります。

→「時間反転対称性の破れ・・・
『超常現象』は現代物理学で説明できるか
現代物理学と心物問題

リンク先には、今までに私が一般向けに、わかりやすく書いたものがアップしてあります。それでもまだ、わかりにくいかもしれません。なにしろ、20世紀になってから発展してきた、現代物理学の話になっているからです。高校でも理科はそんなにやらなかった、という人には、とっつきにくいですね。基礎からきちんと勉強していけば、とても美しくて、(本当の意味で)不思議な世界なのですが。

思い切って単純化しましょう。

まず「予知」の問題です。予知とは、未来がわかることです。(予測とか、予報とか、同じような意味の言葉もあります。)

たとえば、10年前に、何をしていたか。これは「記憶」ですから、思いだせます。過去の写真などの記録もあるかもしれません。

しかし、10年後に、何をしているのか。これは「予知」ですから、わかりません。占い師などに言われて、10年後に本当だとわかったら、それは、予知という超能力でしょうか?

単純な自然現象であれば、予知(予測)は、不思議なことではありません。2030年7月25日に月食が起こる、といったことは、正確に予測でき、ほぼ、外れることはありません。

しかし、占い師さんのところに行って、10年後を占ってもらったとします。10年後には、30歳?結婚して、んー、白い色の家に住んでいて、小さな子どもが見えます。三歳ぐらいの男の子?などなど、そんなことを言われるかもしれません。

それが当たるかどうかは、10年後になってみないとわかりません。その占いが当たるように努力することもできます。結婚相手を探すこと、白い家を探すこと、等々。

いっぽう、占いを外すように努力することもできます。そちらのほうが簡単です。結婚しない、とか、子どもをつくらない、と決めて実行することはできます。もっと極端なことをいえば(あくまでも思考実験ですが)10年以内に自殺をすることも、理屈の上では可能です。

人間は、占い師の話を聞いた上で、将来、どう生きるべきか、努力をすることができます。すべてが可能とはかぎりませんが、許された制約条件の枠内では、未来は自由に選べるのです。これを「自由意志 free will」と言います。

自由意志は、人間(と、一部の動物?)に特有の能力です。10年後に月食が起こると聞いて、太陽と月が位置を変えるということはありません。太陽や月には意志がないからです。

しかし、人間の脳は、有機分子の集合体、物質の集合体です。分子の挙動も、天体の挙動も、同じ運動法則に従います。もし、そうなら、すべては事前に決まっていて(運命?)自由意志など錯覚だ、ということになります。自分が自由に意思決定しているような気持ちになっているだけだ、ということです。

すべては物質の運動法則だけで説明される、と考えることもできます。たとえば、ある20歳の人が占い師のところに行きたくなり、占い師のところに行き、十年後には結婚していると言われ、しかし30歳ではまだ結婚したくないと考え、30歳の時点では未婚だったとします。そういうプロセス全体が脳や身体を構成する分子の挙動であって、占い師のところに行って話を聞いたり、話を聞いて人生を考えなおしたり、そういうことを、自分の自由意志でやっていると思っていることが、じつは錯覚だった、ともいえるのです。

皆さんは、自分の誕生日を知っているでしょう。たとえば、1999年11月19日、のように。それでは、死亡年月日はわかるでしょうか。それは、わかりませんね。本当は、2092年2月9日と決まっていて、知らないだけなのかもしれません。しかし、知ってしまえば、また変な話で恐縮ですが、それより前に「自由意志」によって自殺することもできます。

これは、矛盾です。パラドックスです。

ようするに何が言いたいのか?

もっと単純化しましょう。つまり、予知とか予言とかいうと、不思議だ、超能力だ、という気がするかもしれませんが、じつは、逆なのです。「未来のことがわからない」ほうが、不思議現象なのです。そして、未来のことについては「自由意志」によって選択できることもまた、不思議現象なのです。

この授業では、透視能力や、スプーン曲げのようなPKの話をしてきました。スプーンが曲がるのは不思議なことですが、腕や指が曲がることも不思議だと考えれば、スプーンや指を「自由意志」によって曲げられる、その「自由意志」こそが、本当に不思議な現象なのです。

この世界がすべて物質でできており、太陽や月が回転しつづけるような物理法則に従っているのなら、それを計算すれば、過去のことも、未来のことも、すべて正確に知ることができます。これを「決定論」と言ったりもします。しかし「自由意志」と「決定論」は、根本的に対立します。

決定論」と「自由意志」の問題は、これもまた哲学上の中心的な問題です。

占いは当たるのか?といった話は、浅いレベルの不思議現象です。本当は、占い師の言うこととは反対のことさえできてしまう「自由意志」のほうが、本当の不思議現象なのです。

だから何?

つまり、本当に不思議なことは、人間が意志や意識を持っているということなのです。

そんなことは当たり前で、不思議ではないとか、自由意志なんかない、自由意志なんか錯覚だ、と考えてもいいのではないか?とみることもできます。

最後につけ加えておきますが、自由意志の問題は、むしろ倫理学の問題かもしれません。たとえば、人を殴ったり、物を壊したりすれば、それは犯罪であって、責任をとらなければなりません。手が勝手に動いて相手にぶつかっただけだ、自分には意志などなかった、自由意志なんて錯覚でしょう、といえば、行為に対して責任をとるという考え自体がなくなってしまいます。自由意志という考え方は、むしろ倫理的に必要なのだ、と考えることもできます。



CE 2020/07/03 JST 作成
CE 2020/07/09 JST 最終更新
蛭川立

【講義ノート】「不思議現象の心理学」2020/07/03

今週は、PK(念力)、つまり、心の力によって物に作用を及ぼすことができるか、というテーマを扱います。

講義がすべてオンラインになってしまい、教室でスプーン曲げを実演することができなくなったのは残念ですが、ロンドンのユリ・ゲラーさんのお宅にお邪魔したときの写真を「「超能力」と心物問題【必須】」にアップしておきました。ユリ・ゲラーのスプーン曲げをマジックで再現した手品師のジェームズ・ランディさんにお目にかかったときの写真もあります。

いっぽうで、地道な実験的研究については「PKの実験研究【前半は必須】」に書いておきました。いきなり量子物理学などの抽象的な話になっていますが、PKの実験の歩みについては、じつは石川幹人先生の「PKの実験」のほうがもっとわかりやすく読めます。(そもそも、この「不思議現象の心理学」は、石川先生の講義だったのですが、石川先生が大学院のほうのお仕事で非常にご多忙になってしまったため、私が引き継いだ講義なのです)

上の二つのリンクに「必須」と書きましたが、スプーン曲げは本当なのかトリックなのか?というのはわかるけれども、なにか急に哲学や物理の話に飛んでしまって、なんだかよくわからないかもしれません。

よくわからない理由の一つは、私の書き方が悪いからです。というよりは、すみません、説明が足りないところは、ほんらいなら教室での授業で補うべきところなのですが、今年度は、それができない代わりに、よくわからないことは、どうぞ、掲示板のほうで質問してください。

そして、よくわからない、もうひとつの理由は、不思議現象は奥が深いからです。スプーン曲げは、じつはマジックなのではないか?とか、トリックなのではないか、というぐらいの話なら、YouTubeにタネ明かし映像がたくさんありますし、言葉で説明されるよりも、動画で見たほうがわかりやすいでしょう。けれども、どうやってスプーンを曲げられるかなど、大学で勉強するほどのことでもありません。

教材の本文にも書いたことの繰り返しですが、腕や指は、曲げようと思えば、そのとおりに曲がります。わざわざ曲げようと思わなくても、無意識のうちに、自然に曲がります。しかし、脳や神経や筋肉の病気になると、思うように曲がらなくなります。そのときに、思うように曲がることの不思議さがわかります。病気にならなくても、病気になったときのことは想像できます。

そうすると、みなさんの一人ひとりの頭の中にある、脳という神経細胞のネットワークの中を電気信号が飛び交っている、そういう物理現象から、知覚や認知や意識や思考や意志という、さまざまな心のはたらきが生じてきていることは、とても不思議なことに思えてきます。この講義は「不思議現象の心理学」というタイトルなのですが、その「不思議現象」とは、念じるパワーでスプーンが曲がるなんて本当なのだろうか、という意味での「不思議現象」だけではなく、じつは、手足が曲がることも不思議だなあ、という意味での「不思議現象」へと一般化されていきます。哲学の分野で「心身問題」とか「心脳問題」とか「心物問題」とか言われる、本質的な問題へとつながっていくのです。

ここまで読んできて、哲学だとか、ナントカ問題とか、そんなことは、どうだっていいじゃないのか、そんなことを考えなくても、生きていくのに困らないし、と思う人もいるかもしれません。しかし、その「どうだっていい」というのもまた、「実証主義」とか「実用主義」という、哲学上のひとつの立場であり、じつは哲学者の世界でも、いまでは「どうだっていい」のほうが有力な立場であり、おかしな話ですが「哲学なんて面倒だからもう不必要だ」というのがいまの哲学の主流なのです。

あるいは、スプーン曲げはマジックなのだから、面白いのだから、べつにタネを暴く必要はないではないか、と思う人もいるかもしれませんし、「不思議なこと」は「不思議なこと」なのだから、科学では解明できないし、科学で解明してもしかたがないという意見も(西洋に比べると日本では)よく耳にします。しかし、この場合の「科学」とは、どういう作業のことなのでしょうか。面白いエンターテインメントから、面白さを奪ってしまうような作業なのでしょうか。人間の心の神秘を解体してしまう作業なのでしょうか。そんな「科学」なら、やらないほうがいいのかもしれません。しかし、これがまた現在の科学哲学では「科学で全て解明できるわけではない、ひょっとしたら何も解明できないかもしれない」といった、否定的ともいえる議論が主流なのです。

スプーン曲げの話から、ナントカ問題だとか、ナントカ主義だとか、やはり話が飛びすぎなのですが、あと一ヶ月かけて、もうすこし、できるだけ具体的な例を挙げながら、ていねいに説明していきます。どうか、お付き合いください。

今回もまた前日の夜になってバタバタと講義ノートを書いておりますが、200円ほどの予算があれば、NHKの『超常現象(2)』【推奨】
www.nhk-ondemand.jp
を見てください。この中には、イギリスのロンドンで、ユリ・ゲラーさんが自宅でスプーンを曲げてみせる映像も入っています。私はこの番組の制作をお手伝いしたのですが、なかなか真面目でいい番組です。この番組のお手伝いをしたのがきっかけで、ユリ・ゲラーさんのお宅に招かれ、番組とほぼ同じような感じで、目の前でスプーンが曲がるのを見ました。この番組には、石川先生も参加した遠隔透視実験も収録されています。時間がなければ(とくに、ところどころに入っている、別のテレビ局が作ったドラマのパロディのような部分を)適当に早送りして観て、あとからゆっくり見なおすこともできます。



CE 2020/07/02 JST 作成
CE 2020/07/03 JST 最終更新
蛭川立

【講義ノート】「人類学A」2020/06/29

今週はまた臨場感あふれる口語体での仮想講義です。

大学生がアマゾンの薬草を飲んで救急車で搬送?

先々週、先週あたりから、南米アマゾンの先住民族が使用してきた薬草について、という話をしていたところですが、なぜか、その話と並行するように、とある大学の学生さんが、授業でもお話をした、アマゾンの薬草、アヤワスカという植物ですね、これをネットで、通販で買って、飲んで、救急車で運ばれたという事件が起きたそうです。いくつかの報道を見ると毒草を飲んで自殺しようとした、とも読めます。)

(追記:どうやら、事件の実態は、ある大学生が、うつ病になり、もう死んでしまいたい、という気持ちになり、そこで、ネット上でうつ病が治るという薬草、つまりアヤワスカを見つけて、飲んだら、治ってしまった、ということらしく、報道されている事実とは、逆です。)

いま、新聞社からの取材が来て、対応を考えています。

なにか事件が起きたときに、まだ実情がはっきりしていないうちから、実名や年齢や、どこの大学の学生なのか、等々、安易に口外したり、報道してはいけないと、そのことにも気をつけています。マスメディアは、逮捕された、とかいうと、すぐに実名で報道してしまうのですが、たとえ二十歳以上だったとしても、将来のある大学生の個人的な問題を、安易に公表してはいけませんね。

ネットの通販で、クレジットカード番号を登録しておけば、なんでも手に入る、便利な時代になったものですが、カードの暗証番号を乗っ取られたり、そういうセキュリティも問題ですし、こういう、怪しい商品にも気をつけなければなりません。

とくに、薬とかサプリメントとか、普通のものなら不良品だったで済まされますけど、口に入れるものは、気をつける必要があります。痩せる薬、などといって売られている薬に、じっさいには効果がなかった、というのならともかく、かえって身体の具合が悪くなったり、これは気をつけなければなりません。

事件が起きたのは何ヶ月も前のことだそうで、前々からすこし小耳に挟んでいたのですが、私の研究領域とも重なることなので、気になっていました、新聞の取材が来たのも、南米の先住民族が使っている薬草について、人類学的な専門知識を持っている人が他にいないのだそうです。(本当は、東京大学国立民族学博物館など、それなりにちゃんとした大学や研究所にも、詳しい先生は複数おられるのですが、先生がたはみなご多忙のようです。)


情報が錯綜していて、詳しいことはわからないのですが、そして、その事件自体は、事件に関わった大学生の人権上の問題もありますから、この授業で詳しくお話しする必要もないのですが、一般的な事実の背景は、時事的な問題しても、お話をしておこうと思います。ちょうど薬物乱用の話をしていたところでしたが、ネットでよくわからない薬を飲んで事故を起こすというのは、薬そのものが悪いのではなくて、知識がないのに一人で勝手に飲んだりするから、問題が起こるわけです。

ブラジルという社会

アヤワスカという薬草ですが、南米、とくにブラジルの社会では広く流通しています。

まずは、ブラジルという国のことを知る必要があります。私は、2004年、情コミ学部ができたばかりの年の、春休みと夏休みの期間に行き来しながら、ブラジルのクリチバという、ブラジル第三の都市にある、ベゼッハ・ヂ・メネゼス大学という大学で、研究員をしていました。


パラナ州クリチバはブラジル第三の高原都市

そのときに調べたことを、研究会で発表した資料があります。「ブラジルの最先端都市で混交する宗教文化【必須】」というタイトルで、大学のサーバー上に写真をアップしてあります。(ただ、これは研究会での発表のレジュメなので、口頭で補うことを前提にしており、要点しか書いていません。)

ブラジルの社会をひとことで言うと「ひとつの国にすべてがある」です。先住民族がいて、ポルトガル人を皮切りに、世界各地から移民が来て、日系移民もたくさんいます、それらが混じり合って、非常に多様な社会をつくっています。

多様性という意味では、アメリカやオーストラリアとも似ているのですが、アメリカでも、やはり西欧系の白人がマジョリティーで、人種のるつぼとはいっても、実際には混じっていません。それぞれの人種ごとに違う場所に住んでいます。しかし、ブラジルは本当に混じってしまっているという、多文化社会です。

ブラジルの多様性の特徴のひとつが、宗教の多様性です。ブラジルにはたくさんの宗教団体があって、共存しており、多くの普通の人たちが、複数の宗教団体に出入りしています。それが、普通の人にとって、当たり前のことになっています。ここでは、とくにブラジルの宗教文化について扱っていますが、宗教とか宗教団体というものの社会的な意味づけが、日本とはまったく異なります。

アマゾンの薬草、アヤワスカをも、ブラジルでは、宗教団体の中で使われています。外見はふつうの教会で、中ではアマゾンの不思議な薬草をお茶にして、歌って踊る、ということが、ふつうに行われています。陽気で、寛容な社会ですが、これは、日本にいると、なかなか想像ができないところです。

ウンバンダの動画

上記のリンク先の静止画は表示されますが、3の「ウンバンダ」の動画がうまく表示されないようです。私じしんが撮影したものですが、あらためてYouTubeのリンクを張っておきます。


Umbanda ritual (1)


Umbanda ritual (2)

ウンバンダというのは、西アフリカ系移民の宗教運動です。何をするのかというと、集団で踊るのです。歌ったり踊ったりという文化は、たぶんに西アフリカに由来します。

しかし、映像は教会の中です。イエスやマリアの像があり、基本的にはキリスト教ということになっています。しかし、教会の礼拝で集団で踊るというのは、やはりアフリカ的な要素です。

しかも、回転しながら踊るのは、これは、おそらくスーフィズムに由来します。トルコのイスラーム神秘主義です。ブラジルには西アジア系の移民も多く、そういう文化が混じっています。キリスト教の教会の中でイスラームの踊りを踊っている、これもブラジル的な寛容さ、混合文化です。

ウンバンダなど、個々のケースについて説明するだけでも長くなってしまいますが、つまり、ブラジルでは地球上の色々な民族の文化が大規模に混じり合っている、そういう場所だということです。繰り返しですが、アメリカでは異なる文化の共存が重要視されますが、キリスト教の教会の中でイスラームの踊り、という、混合は起こらないのです。

(今回の教材は、えらくまた口語的になってしまいました。ちょっと時事的な話題で、興奮してしまい、失礼いたしました。また授業の中で続報をお知らせすることがあるかもしれません。)



CE 2020/06/27 JST 作成
CE 2020/06/29 JST 最終更新
蛭川立

【講義ノート】「不思議現象の心理学」2020/06/26

先週はテレパシーとシンクロニシティ共時性)について議論しました。

アリがフェロモンによって群れを動かしているという件について、面白いシミュレーションを見つけました。『アリの行列モデル』というサイトにあります。

先週は「テレパシー」とはいっても、統合失調症などの精神疾患に伴ってあらわれるテレパシーのような感覚とは違うのだ、というお話もしました。

ここでまた脇道にそれるようですが、精神疾患の基礎知識も勉強しておきましょう。おおまかなところは「精神疾患の分類【必須】」を見てください。精神疾患については、精神医学が扱う領域で、この授業ではあまり詳しく扱いませんが、この授業で言いたいことは、不思議体験と、脳の病気である「精神病」とは区別されなければならない、ということです。「超常(paranormal)」は、病的ではない体験のことです。「心理学における『異常』と『超常』【参考】」で、細かい言葉のニュアンスを説明しておきました。

精神疾患の話は、認知バイアス、つまり「錯覚・幻覚・認知バイアス【推奨】」と、そこからリンクを張られている「日本における出生数、死亡数とその原因【参考】」と、「【資料】友野典男『行動経済学』【推奨】」と、それから記事全体の後に続いている「妄想と陰謀論【推奨】」と、続いていくのですが、これは、授業の最初のほうで、新型コロナウイルスに対するリスクの評価であるとか、生物兵器陰謀論だとか、そういったことを議論したときに、もうお話しましたね。

精神病などというと、頭がおかしいというイメージがありますが、それは程度の問題です。誰しも、人間です、機械のように100%合理的には考えられません。どうしても感情的になってしまいます。謎の病気が感染を拡大している、ということになれば、そちらに注意が向いてしまい、他のことは忘れがちになってしまいます。これが、未知のリスクは高く見積もられ、既知のリスクは低く見積もられる、というバイアスです。しかし、わけのわからないものを過度に恐れるようにバイアスがかかること自体は、ある意味で適応的だともいえます。

陰謀論というのは、はっきりした原因を知りたいという願望が行きすぎたものです。自然災害のようにふりかかってきた災難が、偶然に起こったと考えるのは、不条理です。嫌なものです。偶然の災難というのは、人間の努力によって解決のしようがありません。ところが、その事件の背後に悪い人間的意図があると考えれば、その敵を倒せば問題は解決するのだという「物語」になります。物事の原因を知りたい、原因を知って、それを解決したいと考えるのは、正常な科学的思考です。しかし、その仮説が極端になると、それは妄想となり、陰謀論となります。

正常な思考と病的な思考の間には、はっきりとした線を引くことができず、機械のように正確な思考と、精神病的に歪んだ思考の中間ぐらいが、ふつうの人間の思考だということです。思考にバイアスがかかることには、意味があるのです。そのときに、バイアスがかかっているな、と、自覚できれば、それでよいのです。



CE 2020/06/26 JST 作成
蛭川立

【講義ノート】「人類学A」2020/07/06

人類学Aの講義ノート、6月29日ぶんです。前日までにはという目標で作文中です。

先週は神経伝達物質のはたらきを勉強しました。今週は、脳の構造について、もうすこしマクロにみていきます。とくに、ヒトだけがとくに大きな脳を進化させたのはなぜか、というテーマは、自然人類学の中心課題でもあります。

ヒトだけが、というときには、他の動物と比較する必要があります。他の動物の脳の大きさと比較して、人間の脳がどのていど大きいのか、この、比較という観点は、人類学に特有のものです。人類学は人間を研究する学問ですが、他の人文社会科学と違うところがあるとすれば(浅く広くではありますが)他の動物と人間を比較するという視点です。

ですから、人類学を学ぶにあたっては、四十億年にわたる生物進化全体の中で人間の位置を定位することが重要です。

また中国の市場の話ですが、北京の市場からまた新型コロナウイルスが出てきた、出所はサーモンだ、といった噂が流れています。専門家は、ありえないと否定、などと報じられていますが、なぜサーモンがありえないのかといえば、このウイルスはもっぱら哺乳類の間で感染するもので、魚類や無脊椎動物とは関係がないからです。

人間として生き、人間中心にものを見ていると、人間と他の動物、という枠組みで見てしまいますが。新型コロナウイルスからみれば、哺乳類とそれ以外、なのです。だから、コウモリとヒトは同じ哺乳類で、サーモンは魚類だから無関係なのです。(コウモリは哺乳類です。)

生物の呼称について(追記)

ヒトとは人間のことですが、動物の一種ということを強調するときはヒトとカタカナで書きます。生物名はカタカナで書くというのは、生物学の取り決めです。「人」と漢字で書いても同じ意味なのですが、生物学的には「ヒト」と書きます。美しい「桜」や「すみれ」も「サクラ」「スミレ」と、あえて無機的なカタカナで書きます。



CE 2020/06/24 JST 作成
蛭川立

【講義ノート】人類学A 2020/06/22

6月22日ぶんの人類学Aの講義ノートです。

先週までは、世界各地の伝統文化で、脳神経系に作用する薬草や物質が、どのように使用されてきたのかについて、お話をしてきました。

今週は、当初の講義計画(→「人類学A 2020年度」)で、6月いっぱいで扱うことを予定していた、脳や神経系の構造や機能についての、基礎知識に戻って、お話をしたいと思います。(じっさいにお話をするわけではありませんが、授業時間は、教材の内容について、質疑応答をする、ということですね。)

この1ページだけは読んでください、というのを指定するとすれば、「神経伝達物質と向精神薬」(の前半だけ)【必須】です。画像が表示されないという不具合があるかもしれませんが、動画は見られると思います。見られない場合には、この
https://www.youtube.com/watch?v=_Ql_sFeK7nE
URLをクリックしてください。

脳の構造や神経伝達物質については、教材ページからもリンクを張っていますが、wikipediaのページが参考になります。
脳 - Wikipedia
神経細胞 - Wikipedia
神経伝達物質 - Wikipedia

あちこちのリンクに飛んでいって、好きな勉強ができるという意味では、Wikipediaは便利な情報源ですが、ただし、学術的な厳密さを欠くところがあります。小さな間違いがたくさんあります。しかし、図表などを見て、おおまかに理解するのには、役に立ちます。

それでも、高校で化学や生物を学んでいない人、受験科目で理科を選択していない人(ほとんどの皆さんがそうだと思います)にとっては、わかりにくいところがあるでしょう。

ただ、ここでは、だいたいのイメージをつかんでください。高校の教科書レベルまでさかのぼって説明するための余裕はないのですが、すみません、掲示板に質問を書き込んでもらえれば、基本的なことであっても、お答えします。

脳と神経の直感的イメージ

まず、みなさんの頭の中に入っている、脳という器官です。いつもの授業なら、模型をお見せするのですけど、私が模型を持っている動画は、情コミ学部のゼミ紹介のページ
ゼミナール紹介動画(問題分析・解決ゼミナール/3・4年生) | 明治大学
にあります。
youtu.be
これは、三年生からのゼミを選ぶときの参考映像です。東南アジアのインドネシアに調査に行っているゼミ生からの生中継です。私のゼミでは、海外に行って現地で調査をする人もいれば、本を読んで文献研究をする人もいます。

(ひょっとして、私がしゃべっているのを初めて見た人もいますか。三年ほど前に、だいぶ太っていたときに撮った映像なので、顔が丸くてお恥ずかしいですが、いまはダイエットをして、もうすこしスリムな小顔になりました。いまの顔は、このブログの右上に出てきますかね。それから、白衣を着ているのは、科学者や医者といったイメージの、コスプレというか、パフォーマンスでありまして、ふだんは着ていません。)

さて、改めて考えてほしいのですが、こういう脳という器官が、皆さんたち、一人ひとりの頭の中に入っているのです。その脳は、たくさんの神経細胞ニューロン)の集まりであり、ニューロンというのは、電線のようなもので、そこを電気が流れています。その電気の流れが、人間の思考や感情です。

コンピュータやスマホの中にも、細い電線がたくさん張り巡らされていて、そこを電気信号が流れることで、情報処理を行っています。脳とコンピュータは、よく似た仕組みで動いているのです。スマホでいえば、マイクが耳で、カメラが目で、スピーカーが口です。

AI(人工知能)は、コンピュータの性能が、人間と同じレベルになったものです。iPhoneのsiriなども、しゃべってみると、かなり賢いですね。

しかし、神経細胞神経細胞の間は、直接つながっているのではなく、すこし隙間が空いています(シナプス)。ここでは、電流ではなく、神経伝達物質という、物質が、情報を伝達しています。送り手の神経細胞に電流が流れているときには、シナプス神経伝達物質が放出され、受け手の神経細胞神経伝達物質を受けとると、受け手の神経細胞に電流が流れていきます。

神経伝達物質には、たくさんの種類がありますが、これは知っておいたほうがいい、というのは、ドーパミンノルアドレナリンセロトニン(5-HT)、GABA(γーアミノ酪酸)の、四種類です。このうちで、GABAだけは、神経の活動を抑制するという、逆のはたらきをします。

向精神薬はどのように作用するのか

向精神薬は、シナプスにおける神経伝達物質の代わりをしたり、その量を増減させて、精神状態に作用します。

たとえば、カフェインやメタアンフェタミン覚せい剤)は、ドーパミンノルアドレナリンの量を増やします。だから、眠気が覚めて、元気になります。カフェインも覚せい剤も、どちらも同じような物質です。というと、皆さん、驚くかもしれません。

では、覚せい剤はなぜ怖いのでしょう。その理由としては、いきなり注射をするからであり、それが暴力団の資金源になっているという、社会問題とも結びついているからです。どんな薬でも、いきなり血管に注射するのは、とても危険です。

いっぽう、精神展開薬のことは、すでに紹介しましたが、南米、アマゾンで使われている、アヤワスカに含まれるDMTや、中米の先住民が使っている「マジック・マッシュルーム」に含まれるシロシビンなどです。これらは、シナプスにおけるセロトニンの量を増やします。その結果、脳が特殊な興奮状態になり、トランス状態に入ったり、目覚めているのに、目を閉じると夢のような世界を見たりします。大麻やその主成分であるTHCも、弱い精神展開薬です。

幻覚が見える薬というと怖いのですが、夢を見るような感じです。夢は、幻覚で、内容も支離滅裂ですが、だからといって精神が異常になったわけではありません。朝起きれば、だいたい忘れてしまいます。

それから、GABAのように、神経を刺激する物質としては、睡眠薬があります。カフェインとは逆に、神経のはたらきが抑制され、眠くなります。睡眠薬というと怖いもののようですが、いまの睡眠薬は、たくさん飲んだら死んでしまうようなものではありません。

たとえば、GABAが入ったチョコレートなどがふつうに売られています。

これも、睡眠薬と同じはたらきをするものです。食べると、脳の興奮が静まり、心がリラックスします。飲みすぎても眠くなるほどではありませんし、ましてや意識不明の重体になることはありません。そんなものは、ふつうのコンビニでは売ることはできません。

南太平洋で使われているカヴァ、その成分であるカヴァインも、そしてお酒のエチルアルコールエタノール)も、この系統の薬物です。

エチルアルコールは独特の作用を持っています。飲むとまず、理性的な部分が眠ってしまい、しかし感情的な部分は活動し続けます。そのときに、理性の抑圧がとれて、楽しくコミュニケーションがとれることもあるし、怒りっぽくなったり、暴力を振るう人もいます。

お酒を飲んでしばらくすると、脳の理性的な部分も感情的な部分もぜんぶ眠ってしまいます。お酒も飲み過ぎると、最初は楽しいのですが、最終的には意識を失って倒れてしまいます。眠ってしまうというよりは、意識不明の重体になることがあるので、睡眠薬よりも危険です。

こうした内容は、文化人類学社会人類学の範囲外です。自然人類学では、脳の進化というテーマは扱いますが、脳や神経系の細かいことは扱いません。しかし、脳神経科学の基本は、どの学問分野にとっても、基本であり、あるいは、一般教養だともいえます。

大学での勉強について(補足)

この授業では、いわゆる「麻薬」や「ドラッグ」のような、微妙なテーマも扱っていますが、もちろん、遊び半分で取り上げているわけではありません。むしろ、皆さんには、正しい知識を身につけてもらいたいと思っています。

中学や高校でも、薬物乱用をしないように、という授業があったかもしれませんが、それは、どのような薬物が、どのようなメカニズムで、どのように身心に悪影響を及ぼすのか、あるいは、使いかたによっては、病気を治したり、良い使いかたができるのかについて、詳細を学ぶことはありません。あるいは、お酒やコーヒーも過度に摂取すれば有害なのですが、それが日本の文化という文脈で論じられることはありません。

このようなことを長々と書くのは、高校までの勉強と、大学での勉強は、違うのだということを、強調したいからです。

高校までの勉強は、すでに知られていることを学び、ともすれば、それを暗記するだけ、ということで終わってしまいがちです。もちろん、基礎的な知識を覚えて身につけることは大事なことです。

しかし、大学での勉強というのは、高校までで学んだ知識にもとづきつつも、まだ研究の途上にあって、はっきり答えが見つかっていない問題について、すぐには答えの出ない問題について、批判的に学んでいく、ということが大事になってきます。

この授業では、当初の講義計画の順序を入れ替える形で、現在の新型コロナウイルス感染症というテーマについても扱いました。これは、人類学という学問の枠組みを超える問題かもしれませんが、いま現在起こっていて、社会的に大きな問題になっており、解決策が模索されている、そういう、すぐには正解の出ない問題を、多角的に、冷静に考えていくということもまた、大学での勉強の特徴と、その重要性を知ってほしかったからでもあります。

この授業の議論の中では、客観的な事実と、私の個人的な意見が混じってしまっているところがありますが、それも、批判的にとらえてほしいと思います。つまり、私が授業でお話したことを、無批判に覚えて、試験で良い点数をとればよい、ということではなく、私の話もまた「この先生の言っていることは間違っているのではないか」「他の先生の言っていることと違うが、どこが違うのだろう」という、批判的精神を持って聞いてほしいですし、そして、なにか疑問があれば、どうか、遠慮なく意見を言ってください。双方向的ディスカッションという方式で授業を行っているのは、そのためです。

今年は掲示板方式の授業にしたことで、これは予想外のことだったのですが、講義形式の授業よりも、議論が活発になりました。二年生以上の皆さんは、ちょっと驚いているかもしれません。(私も驚いています。)一年生の皆さんは、入学早々、大学内での授業が受けられないという困った状況の中で、しかし、上級生の人たちといっしょに議論ができる、良い機会に恵まれたともいえます。

(リンク先の画像が表示されないという不具合は続いていますが、修復作業を進めています。)



CE 2020/06/21 JST 作成
CE 2020/06/22 JST 最終更新
蛭川立