【講義ノート】「不思議現象の心理学」2020/07/10

すみません、今週も授業準備が遅れています。ここ数日、予想外の仕事が舞い込んできてしまい、バタバタしていました。しかし、だからといって大学の授業という本務を疎かにする理由にはなりませんが、どうかご理解ください。といいますか、脳と意識の科学、物理学の哲学というのは、まさに私の専門とする領域でありまして、本当は熱く語りたいのですが(熱く語ったものが下記のリンクです)しかし、手短にわかりやすくまとめるのは、逆に難しいものです。

当初の講義計画では、この授業の最後のほうは、以下のような内容を予定していました。

07/03 記憶・予知・自由意志
→「時間反転対称性の破れ・・・
07/10 意識科学と現代物理学
『超常現象』は現代物理学で説明できるか
現代物理学と心物問題
07/17 科学・未科学疑似科学
科学と非科学の境界設定問題
07/24 全体のまとめ
秋学期「身体と意識」予告編

じっさいには、講義はあともう3回になりました。24日も実施します。24日が最後の授業になります。秋学期の「身体と意識」を履修する予定の人には予告編、履修しない人にはダイジェスト版、となるような形で、全体を総括します。

その一週間前の授業では、そもそも「科学」とか「科学的ではない」という問題を議論します。

そうすると、今週の授業では、以下に挙げたような、かなりハードコアな内容を一気に扱うことになります。

→「時間反転対称性の破れ・・・
『超常現象』は現代物理学で説明できるか
現代物理学と心物問題

リンク先には、今までに私が一般向けに、わかりやすく書いたものがアップしてあります。それでもまだ、わかりにくいかもしれません。なにしろ、20世紀になってから発展してきた、現代物理学の話になっているからです。高校でも理科はそんなにやらなかった、という人には、とっつきにくいですね。基礎からきちんと勉強していけば、とても美しくて、(本当の意味で)不思議な世界なのですが。

思い切って単純化しましょう。

まず「予知」の問題です。予知とは、未来がわかることです。(予測とか、予報とか、同じような意味の言葉もあります。)

たとえば、10年前に、何をしていたか。これは「記憶」ですから、思いだせます。過去の写真などの記録もあるかもしれません。

しかし、10年後に、何をしているのか。これは「予知」ですから、わかりません。占い師などに言われて、10年後に本当だとわかったら、それは、予知という超能力でしょうか?

単純な自然現象であれば、予知(予測)は、不思議なことではありません。2030年7月25日に月食が起こる、といったことは、正確に予測でき、ほぼ、外れることはありません。

しかし、占い師さんのところに行って、10年後を占ってもらったとします。10年後には、30歳?結婚して、んー、白い色の家に住んでいて、小さな子どもが見えます。三歳ぐらいの男の子?などなど、そんなことを言われるかもしれません。

それが当たるかどうかは、10年後になってみないとわかりません。その占いが当たるように努力することもできます。結婚相手を探すこと、白い家を探すこと、等々。

いっぽう、占いを外すように努力することもできます。そちらのほうが簡単です。結婚しない、とか、子どもをつくらない、と決めて実行することはできます。もっと極端なことをいえば(あくまでも思考実験ですが)10年以内に自殺をすることも、理屈の上では可能です。

人間は、占い師の話を聞いた上で、将来、どう生きるべきか、努力をすることができます。すべてが可能とはかぎりませんが、許された制約条件の枠内では、未来は自由に選べるのです。これを「自由意志 free will」と言います。

自由意志は、人間(と、一部の動物?)に特有の能力です。10年後に月食が起こると聞いて、太陽と月が位置を変えるということはありません。太陽や月には意志がないからです。

しかし、人間の脳は、有機分子の集合体、物質の集合体です。分子の挙動も、天体の挙動も、同じ運動法則に従います。もし、そうなら、すべては事前に決まっていて(運命?)自由意志など錯覚だ、ということになります。自分が自由に意思決定しているような気持ちになっているだけだ、ということです。

すべては物質の運動法則だけで説明される、と考えることもできます。たとえば、ある20歳の人が占い師のところに行きたくなり、占い師のところに行き、十年後には結婚していると言われ、しかし30歳ではまだ結婚したくないと考え、30歳の時点では未婚だったとします。そういうプロセス全体が脳や身体を構成する分子の挙動であって、占い師のところに行って話を聞いたり、話を聞いて人生を考えなおしたり、そういうことを、自分の自由意志でやっていると思っていることが、じつは錯覚だった、ともいえるのです。

皆さんは、自分の誕生日を知っているでしょう。たとえば、1999年11月19日、のように。それでは、死亡年月日はわかるでしょうか。それは、わかりませんね。本当は、2092年2月9日と決まっていて、知らないだけなのかもしれません。しかし、知ってしまえば、また変な話で恐縮ですが、それより前に「自由意志」によって自殺することもできます。

これは、矛盾です。パラドックスです。

ようするに何が言いたいのか?

もっと単純化しましょう。つまり、予知とか予言とかいうと、不思議だ、超能力だ、という気がするかもしれませんが、じつは、逆なのです。「未来のことがわからない」ほうが、不思議現象なのです。そして、未来のことについては「自由意志」によって選択できることもまた、不思議現象なのです。

この授業では、透視能力や、スプーン曲げのようなPKの話をしてきました。スプーンが曲がるのは不思議なことですが、腕や指が曲がることも不思議だと考えれば、スプーンや指を「自由意志」によって曲げられる、その「自由意志」こそが、本当に不思議な現象なのです。

この世界がすべて物質でできており、太陽や月が回転しつづけるような物理法則に従っているのなら、それを計算すれば、過去のことも、未来のことも、すべて正確に知ることができます。これを「決定論」と言ったりもします。しかし「自由意志」と「決定論」は、根本的に対立します。

決定論」と「自由意志」の問題は、これもまた哲学上の中心的な問題です。

占いは当たるのか?といった話は、浅いレベルの不思議現象です。本当は、占い師の言うこととは反対のことさえできてしまう「自由意志」のほうが、本当の不思議現象なのです。

だから何?

つまり、本当に不思議なことは、人間が意志や意識を持っているということなのです。

そんなことは当たり前で、不思議ではないとか、自由意志なんかない、自由意志なんか錯覚だ、と考えてもいいのではないか?とみることもできます。

最後につけ加えておきますが、自由意志の問題は、むしろ倫理学の問題かもしれません。たとえば、人を殴ったり、物を壊したりすれば、それは犯罪であって、責任をとらなければなりません。手が勝手に動いて相手にぶつかっただけだ、自分には意志などなかった、自由意志なんて錯覚でしょう、といえば、行為に対して責任をとるという考え自体がなくなってしまいます。自由意志という考え方は、むしろ倫理的に必要なのだ、と考えることもできます。



CE 2020/07/03 JST 作成
CE 2020/07/09 JST 最終更新
蛭川立