【講義ノート】「不思議現象の心理学」2020/06/19

さて本日、6月19日、金曜日の授業ですが、テレパシーの話からつなげていって、共時性シンクロニシティ)というテーマを扱います。

まずは「集合的無意識と共時性ーユングの著作を中心にー」【必須】に目を通してください。(画像が表示されない場合は、お知らせください。これは、はてなブログで起こっている不具合で、個々のページの画像を張り替える作業を進めています。)

フロイトユングという二人の精神科医の説を紹介しています。二人とも、テレパシーのようなものがあると考えてはいましたが、フロイトのほうが合理的で、それは無意識の情報伝達の仕組みだろうと考えました。しかし、ユングのほうがより神秘的で、テレパシーというのは情報が伝わるのではなく、二人の心がシンクロするのであって、それは量子力学という新しい物理学によって説明できるという、突飛なアイディアを展開しました。

授業で「テレパシー」について扱ったのですが、やはり、共時性のことも話題に出てきました。つまり、人から人へと(言語などの物理的な情報を介さずに)情報が伝わったように思える場合も、本当に情報が伝わっているのかもしれないし、情報は伝わってはいなくても、情報が伝わったような気がする場合もありえます。

たとえば、ある人のことをふと考えたときに、ちょうどその人からメールが送られてきた、という体験をすることがあります。この場合、二人の間に、物理的ではない情報交換が行われたと解釈することもできますし、たまたま、偶然だった、と解釈することもできます。しかし、たまたまだったとしても、その出来事には意味があるように感じられますし、そのことをきっかけに、二人の関係はより親密になるかもしれません。こういう、偶然なのだけれども、意味のある偶然のことを「共時性」といいます。これは、じっさいにテレパシーが存在するかどうかとは、別の問題です。

なお、統合失調症など、ある種の精神神経疾患の症状としても、テレパシーのような体験が起こることがありますが、そうした病理的な現象は、また別に考える必要があります。

このことに触れておきたいのは、統合失調症という病気は、そう珍しい病気ではなく、百人に一人ぐらいがかかる病気で、脳が発達し終えて、さらに発達しすぎることによって起こるという説もあり、だいたい二十歳ぐらいで発病する人が多いのです。早期発見、早期治療が有効です。かつては精神の異常だと考えられていましたが、いまでは神経の病気だということが明らかになっており、薬を飲んで治すことができます。ただ、治療せずに放置すると、慢性化し、悪化していきます。

統合失調症の初期の症状で、テレパシーのような体験があります。たとえば「他人の考えていることが自分の頭の中に入ってくる」とか「自分が考えていることが他人に知られてしまう」といった感覚です。これは、どちらかというと、不快な体験です。「言葉がなくても相手の気持ちがわかる」という体験は、どちらかといえば心地よい体験ですが、病的な妄想の場合は、それが被害妄想のような、不快な体験になることで、区別することができます。

心当たりのある人は、精神科医のところに行って相談しましょう。精神科だとか、精神病だとかいうと、なにか怖い感じがしますが、敷居が高いな、と思ったら、ふつうの内科の医者に行ってもいいでしょう。学生相談室に行くのもよいのですが、今は電話での相談しか受けつけていません。

先週、途中までお話ししかけた、PK(サイコキネシス、念力)については、来週以降に扱います。そこから(すこし難しい話になりますが)現代物理学における「物質」と「観測」の問題へと話をつなげていきます。



CE2020/06/18 JST 作成
CE2020/06/19 JST 最終更新
蛭川立

【講義ノート】人類学A 2020/06/15

自宅のWi-Fi環境に不具合が発生し、昨日から接続がうまくいかないのですが、なんとかなりそうなので、人類学Aの授業は今週もリアルタイムディスカッションで行います。

今日のテーマは、南米、アマゾンの先住民の文化、とくにそこで使用されている「アヤワスカ」という薬草茶について、です。

教材ページは、まずは「アマゾン先住民シピボのシャーマニズム」【必須】だけを見てください。(私の著書『彼岸の時間』の、第一章「他界への旅 −アマゾンのシャーマニズムと臨死体験−」【推奨】でも、私じしんの体験も含め、同様のテーマを論じているので、かいつまんでごらんください。)

三年前にこのサイトに移転する以前の「旧蛭川研ブログ」のページにある記事で、パスワード要求画面が出た場合には、例の秘密の合い言葉「5」を入力してください。もし、このページでも画像が表示されないという不具合が発生した場合は、すぐにお知らせください。対応します。

教材ページがまったく見られないというのであれば「アヤワスカ」「蛭川」などとキーワードを入れて検索すると意外にうまく行くかもしれません。最悪でも「アヤワスカ」と入れて検索すると、玉石混淆、いろいろなサイトが出てきます。いや、最悪でなくても、「アヤワスカ」と入力して検索してみてください。私が南米によく行っていたのは15〜25年ぐらい前でしたが、いまでは観光化が進み、精神世界を探求するために先住民の村に行く人も増えたようです。遊び半分で行って現地でトラブルを起こすというケースもあるようです。

昨年度までやってきた口頭での授業とは違い、今週はこのページ、と、はっきり指定しないといけませんね。もちろん、関連するページを辿っていくのは自由です。

困ったことに、なぜかサイト内の画像が表示されないという不具合が続いています。私の手元の機械(MacOSiPhone)では見ることができるのですが、これは、閲覧している環境に依存しているようです。ほかの環境でも見られるかどうか、確認しながら修正作業を進めています。

(ちなみに、私はとくにアップル社の製品を特別に崇拝しているわけではありませんが、スマホとPCのデータを共有したい場合には、iPhoneMacの組合せが便利です。PCではマイクロソフトWindowsが主流で、スマホではGoogle系のAndroidも多いのですが、メーカーが違うと一貫性がないのです。)



CE 2020/06/14 JST 作成
CE 2020/06/15 JST 最終更新
蛭川立

【講義ノート】「不思議現象の心理学」2020/06/05

今週もリアルタイムオンライン授業です。

先週は授業の受講理由についての議論が活発に行われましたが、内容にはあまり進まなかったので、今週は、先週の講義ノートの後半部分と同じで、超心理学の実験的な研究の話です。

リンク先の教材のページで、閲覧する環境によっては画像が表示されないという不具合がリンク先の多くの(ほとんどの?)ページで続発しているようです。

これは、私の手元の機械からだとぜんぶ見えるのですで、わからなかったのです。おそらく、いちどインターネット経由で画像を読み込むと、画像データが手元のコンピュータに保存されるからでしょう。

このはてなブログのシステムに問題が起こっているようです。手元の画像をダウンロードしてアップロードしなおすという応急措置を続けています。

私事ながら、先月の11日にすこし発熱してから、4週間になります。昨日も病院に行ってコロナウイルスの抗体検査のことを相談したりと、忙しくしていました。免疫ができているとはっきりすれば、他人に感染させるのを気にせずに活動できるようになるのですが、検査自体の態勢が整っていないのと、検査の精度が低くて、検査をしても間違った結果が出てしまうといった問題があり、検査を実施するほうも大変のようです。

さて、以下は先週の講義ノートの後半とほぼ同じ内容です。

超心理学」の科学史

例年、この授業では「超心理学」について話をしています。超心理学とは「超常現象」の研究です。

しかし、超常現象とは、意味のよくわからない言葉です。いったいなにが「超」なのでしょう。

「心霊研究」から「超心理学」へ

歴史をたどれば、超常現象の研究は、心霊研究、つまり心霊現象の研究に由来します。

心霊研究というのもまた怪談のような用語ですが、ようするに、肉体の死後も霊魂は残るのか、という問題を、宗教ではなく科学によって研究しようという研究です。

臨死体験の中で、自分の意識が自分の肉体から離れて浮かんでいるような体験をすることがあります。これを体外離脱体験といいます。通俗的には幽体離脱という言葉を使うこともあります。

臨死体験は、死に瀕するような状態ではなくても、熱を出したり、麻酔が効きすぎたときにも起こります。体外離脱体験は、夢うつつの時、睡眠麻痺(金縛り)のときにも起こります。ということは

「肉体の死後も霊魂は残るのか」

という問いかけは、もっと一般的に

「肉体から離れて精神が活動しうるのか」

という問いかけに拡張できます。

もうすこし難しくいえば、心や意識という精神的経験は、脳などの物質的な肉体とは独立でありうるか、という問いかけです。これは、哲学の分野では二千年以上にわたって真面目に論じられてきたもので、心身問題とか、心脳問題とか、心物問題とよばれます。

「霊魂」という日本語を使うのが怪しげなのかもしれません。「精神」とか「意識」とか「心」といっても、だいたい同じような意味です。

心霊研究という言葉を使うと怪しげに聞こえますが、心身問題といえば、哲学の基本問題であり、正統的な学問なのです。

心霊研究や超心理学をめぐる歴史については「『心霊研究』から『超心理学』へ【参考】」に長い文章を書きました。また「『心霊研究』と『超心理学』の科学史」【参考】に、研究史の年表を書きました。必要におうじて参照してください。

超心理学」は何を研究するのか

人間の心が外部の物質世界とやりとりするときには、常識的には、物質的な身体を介して行います。

知覚

知覚、たとえばものを見る場合は、ふつう、以下のような図式になります。

外部の現象(物質)→眼・耳など(物質)→感覚神経(物質)→脳(物質)=心(精神)

もし、心や意識が感覚器官を介さずに直接、物質的な現象を知覚できるとしたら、以下のような図式になります。

外部の現象(物質)→心(精神)

こういう知覚のことを「超感覚的知覚(ESP)」「感覚外知覚」などと呼びます。近くにあるけれども箱の中に入っていたりするものの場合を「透視」、遠くにあるものの場合は「遠隔視」とも言います。

運動

運動の場合は、知覚の逆になります。

心(精神)=脳(物質)→筋肉(物質)→動かされるもの(物質)

もし、心や意識が手足などの運動器官を介さずに、直接、外界の物質を動かせるとしたら、以下のような図式になります。

心(精神)→動かされるもの(物質)

これを「念力(PK)」や「念動」といいます。念を込めて相手の体に作用して「ヒーリング」を行うのも、これの一種です。

コミュニケーション

運動と知覚を組み合わせたものとして、コミュニケーションがあります。たとえば、会話を例にとってみましょう。

心(精神)=脳(物質)→運動神経(物質)→口(物質)→音波(物質)→耳(物質)→感覚神経(物質)→脳(物質)=心(精神)

音波というのは空気中の分子(窒素や酸素など)を伝わる波です。気体状の分子は目には見えませんが、物質です。真空中では音は伝わりません。

これに対して、心と心が直接コミュニケーションできるとすると、以下のような図式になります。

心(精神)→心(精神)

たったこれだけです!

これを「テレパシー」といいます。和訳して「精神感応」ともいいます。

「テレ」というのは、遠くに離れている、という意味です。言葉がなくても相手と気持ちが通じ合うということはよくあります。それもテレパシーかもしれませんが、お互いに相手の微妙な表情や仕草を見ているからなのかもしれません、本当にテレパシーなのかどうかは、たとえば別々の部屋にいる二人の人間の考えていることがお互いにわかるかどうかを調べなければなりません。

超心理学は、こうした現象が存在するという前提で研究をするわけではなく、それがあるのかないのかを調べるための研究です。たとえばテレパシーが本当にあるとしたら、ある部屋にいる人が考えていることが、ほかの部屋にいる人にわかるか、といった実験をしなければなりません。

超心理学の研究成果

実験の方法と考え方

扱う対象が捉えどころのないぶん、超心理学の実験方法は厳密です。もっとも「超」心理学だけではなく、心理学一般でも、統計処理の方法は厳密です。やはり「心」という、捉えどころのないものを、あえて数字で扱おうとしているからです。

実験心理学と統計的仮説検定」【必須】と「ポスト・ホック解析」【必須】のページをごらんください。抽象的な内容でわかりにくいかもしれませんが、どんな研究をするときにでも必要な考え方です。わからないことがあれば、質問してください。

いまこの文章を書き加えていますが、6月5日の授業はここまでにしましょう。以下の実験結果については、来週にします。もちろん、事前に読んでおいてもらったとしても、それは結構なことです。


実験の結果と解釈

百年ほどかけて地道な研究が行われた結果、テレパシーとESPについては、どうもありそうだという実験結果がえられています。PKについても、なにかありそうだという研究結果です。しかし、扱う対象が難しいので、なかなか結論が出ないまま、いまに至るというのが現状です。

かりにテレパシーという現象があるとしても、その正体がわからないからです。たとえば、声は音波であり、空気の分子の振動です。相手の顔が見えるということは、光という物質を媒介しています。もし真空なら音は伝わりませんし、真っ暗なら相手の姿は見えません。では、なにがテレパシーを伝えているのか。それは未知の物質なのか?もし物質がテレパシーを伝えるのだとしたら、それはテレパシーではない?といった、哲学的に入り組んだ議論になってしまいます。

もしESPが存在するなら、テレパシーというのは、相手の脳内を透視しているのではないか、という議論もあり、区別ができなくなってしまいます。ですから、ESPとテレパシーの研究は合わせて行われてきました(→「ESPの実験研究」(未完成)【参考】)。

それから、PKの研究については「PKの実験研究」(未完成)【参考】をご覧ください。

参考映像

【1】『超心理学』対談出版イベント

以下の映像は、もともとこの講義「不思議現象の心理学」を立ち上げた石川幹人先生との対談です。時間があればぜひ見ておいてください。対談では敢えて私が批判的な意見を述べて、石川先生が説明をする、という流れになっています。超心理学という学問について、どういう態度で研究をすべきか、それがわかるかと思います。

https://youtu.be/k8_bzH4lQeo

『超心理学――封印された超常現象の科学』(紀伊國屋書店)

石川幹人・蛭川立による『超心理学』出版記念トークライブ(紀伊國屋書店新宿南口店)

石川幹人『超心理学』は、日本語で読める本としては随一ですが、同じぐらい充実した内容は、オンライン上の『超心理学講座ー「超能力の科学」の歴史と現状ー』にもアップされています。内容はとても充実しており、私が自分の教材で補う必要などないぐらいです。同僚だから、上司だから褒めているのではなく、逆にいえば、学術的にみて信頼のおけない類書が多いのです。宗教的な本も多々あります。宗教が悪いとは言いません。ただ、宗教と科学は別のものなので、混同してはいけないのです。

【2】参考映像(2)

講義が聴けないぶん、本を読むのもよいのですが、映像で観るのも直感的にわかりやすいものがあります。心霊現象やオカルト的なテーマを扱った番組は、興味本位で学術的には問題のあるものが多いのですが、私じしんが制作に携わった『超常現象』は、なかなかよく作られた番組ですから、しばしば授業で紹介してきました。

どちらかといえば、第一集のほうが「身体と意識」の講義内容と関係し、第二集のほうが「不思議現象の心理学」の講義内容と関係します。

ザ・プレミアム 超常現象 第1集「さまよえる魂の行方」(2014年1月11日放送)

www.nhk-ondemand.jp

幽霊、生まれ変わり、透視、テレパシー…。超常現象を、科学的に解明しようという試みが、急速に進んでいる。第1集は、死後の世界や魂の謎を解明しようという科学者たちに迫る。イギリスで行われた幽霊城の大規模調査。電磁波や低周波音測定器などの最新機器が異常な数値を捉えた。その分析からは、心霊現象の意外な正体が明らかに。さらに、子どもたちが語る前世の記憶や、臨死体験の証言を、科学的に分析する試みを追う。

ザ・プレミアム 超常現象 第2集「秘められた未知のパワー」(2014年1月18日放送)

www.nhk-ondemand.jp

念力、テレパシー、透視、予知…。「超能力」と称される不思議なパワーは本当に存在するのか?トリックや思い込みだとする風潮が主流を占める中、その真偽を最新の科学的手法で見極めようと挑む研究者たちがいる。脳科学や統計科学を駆使したさまざまな実験から、ごく普通の人々にも科学では説明がつかない不可思議な能力が備わっているという驚くべき可能性が浮かび上がってきた。科学の先にある謎は、私たちに何を物語るのか。

220円で視聴が可能です。それだけの経済的余裕があれば、ぜひ観てもらいたい映像です。ただし、視聴期限が72時間と決まっています。990円払うと「見放題」になります。

なお、YouTubeなど、インターネットにアップされている動画については、とくにテレビ番組をアップしてある動画が多いのですが、これには著作権などの問題があります。古い番組で、テレビ局に問い合わせても保管されていないような番組がネットで見られるのは便利なのですが、この点についての私の考えは「インターネット情報の普遍性と著作権について」に書きました。



CE2020/06/03 JST 作成
CE2020/056/05 JST 最終更新
蛭川立

【講義ノート】不思議現象の心理学 2020/05/29

春学期の後半もオンライン授業となり、教室でスプーン曲げも披露できなくなってしまいました(ユリ・ゲラーさんのことは「『超能力』と心物問題』【参考】で触れました。)

けれども、授業は掲示板方式にしたほうが、ずっと活発な議論ができるということもわかって、オンライン授業にして良かったな、と意外な発見もしています。いま、社会全体がインターネットを介したコミュニケーションの実験をしているともいえます。

さて、講義の内容ですが、前日ぐらいには予習ができるようにと、書きはじめましたが、いま木曜日の夜で、まだ書き続けています。

しばらく、ウイルス感染症の話をしていましたが、そろそろ本題である、超常現象や超心理学の話に入っていきます。

私は、死の瀬戸際まで行ったことはないのですが、SARS流行下の中国だけではなく、発熱などのときに、死後の世界を垣間見たような体験をしたことがあります。こんなことを言うと自分とは無関係な怪しげな話かと思う人もいるようですが、昨年度以前の授業でレポートを書いてもらったりしたところ、二十歳ぐらいの人でも、五十人に一人ぐらいは、臨死体験のような体験をしていることがわかりました。

必修ではないのに私の講義を聞きに来ている人たちは、不思議現象が好きな人たちであって、サンプルとして偏っているという可能性もあるのですが、毎年、履修者数が数百人と非常に多いので、こういうサンプリングバイアスは、あまりないだろうと考えています。(情コミ学部の一学年の定員が500人で、3年4年あわせて1000人になります。今年度の受講者は他学部とあわせて約1000人です。)

私じしんが臨死体験のような体験をしたことがありますが、だからといって死後の霊魂は天国や地獄に行くのだと信じているわけではありません。それは、夢を見ているときのような幻覚だと考えることもできます。そのあたりから、話を進めていきます。

以下は先週の講義ノートの後半と同じ内容です。

超心理学」の科学史

例年、この授業では「超心理学」について話をしています。超心理学とは「超常現象」の研究です。

しかし、超常現象とは、意味のよくわからない言葉です。いったいなにが「超」なのでしょう。

「心霊研究」から「超心理学」へ

歴史をたどれば、超常現象の研究は、心霊研究、つまり心霊現象の研究に由来します。

心霊研究というのもまた怪談のような用語ですが、ようするに、肉体の死後も霊魂は残るのか、という問題を、宗教ではなく科学によって研究しようという研究です。

臨死体験の中で、自分の意識が自分の肉体から離れて浮かんでいるような体験をすることがあります。これを体外離脱体験といいます。通俗的には幽体離脱という言葉を使うこともあります。

臨死体験は、死に瀕するような状態ではなくても、熱を出したり、麻酔が効きすぎたときにも起こります。体外離脱体験は、夢うつつの時、睡眠麻痺(金縛り)のときにも起こります。ということは

「肉体の死後も霊魂は残るのか」

という問いかけは、もっと一般的に

「肉体から離れて精神が活動しうるのか」

という問いかけに拡張できます。

もうすこし難しくいえば、心や意識という精神的経験は、脳などの物質的な肉体とは独立でありうるか、という問いかけです。これは、哲学の分野では二千年以上にわたって真面目に論じられてきたもので、心身問題とか、心脳問題とか、心物問題とよばれます。

「霊魂」という日本語を使うのが怪しげなのかもしれません。「精神」とか「意識」とか「心」といっても、だいたい同じような意味です。

心霊研究という言葉を使うと怪しげに聞こえますが、心身問題といえば、哲学の基本問題であり、正統的な学問なのです。

心霊研究や超心理学をめぐる歴史については「『心霊研究』から『超心理学』へ【参考】」に長い文章を書きました。また「『心霊研究』と『超心理学』の科学史」【参考】に、研究史の年表を書きました。必要におうじて参照してください。

超心理学」は何を研究するのか

人間の心が外部の物質世界とやりとりするときには、常識的には、物質的な身体を介して行います。

知覚

知覚、たとえばものを見る場合は、ふつう、以下のような図式になります。

外部の現象(物質)→眼・耳など(物質)→感覚神経(物質)→脳(物質)=心(精神)

もし、心や意識が感覚器官を介さずに直接、物質的な現象を知覚できるとしたら、以下のような図式になります。

外部の現象(物質)→心(精神)

こういう知覚のことを「超感覚的知覚(ESP)」「感覚外知覚」などと呼びます。近くにあるけれども箱の中に入っていたりするものの場合を「透視」、遠くにあるものの場合は「遠隔視」とも言います。

運動

運動の場合は、知覚の逆になります。

心(精神)=脳(物質)→筋肉(物質)→動かされるもの(物質)

もし、心や意識が手足などの運動器官を介さずに、直接、外界の物質を動かせるとしたら、以下のような図式になります。

心(精神)→動かされるもの(物質)

これを「念力(PK)」や「念動」といいます。念を込めて相手の体に作用して「ヒーリング」を行うのも、これの一種です。

コミュニケーション

運動と知覚を組み合わせたものとして、コミュニケーションがあります。たとえば、会話を例にとってみましょう。

心(精神)=脳(物質)→運動神経(物質)→口(物質)→音波(物質)→耳(物質)→感覚神経(物質)→脳(物質)=心(精神)

音波というのは空気中の分子(窒素や酸素など)を伝わる波です。気体状の分子は目には見えませんが、物質です。真空中では音は伝わりません。

これに対して、心と心が直接コミュニケーションできるとすると、以下のような図式になります。

心(精神)→心(精神)

たったこれだけです!

これを「テレパシー」といいます。和訳して「精神感応」ともいいます。

「テレ」というのは、遠くに離れている、という意味です。言葉がなくても相手と気持ちが通じ合うということはよくあります。それもテレパシーかもしれませんが、お互いに相手の微妙な表情や仕草を見ているからなのかもしれません、本当にテレパシーなのかどうかは、たとえば別々の部屋にいる二人の人間の考えていることがお互いにわかるかどうかを調べなければなりません。

超心理学は、こうした現象が存在するという前提で研究をするわけではなく、それがあるのかないのかを調べるための研究です。たとえばテレパシーが本当にあるとしたら、ある部屋にいる人が考えていることが、ほかの部屋にいる人にわかるか、といった実験をしなければなりません。

(5月29日の授業は、ここまでにしておきます。以下に、参考映像を挙げておきます。必読リンクはありません。)

参考映像

【1】『超心理学』対談出版イベント

以下の映像は、もともとこの講義「不思議現象の心理学」を立ち上げた石川幹人先生との対談です。時間があればぜひ見ておいてください。対談では敢えて私が批判的な意見を述べて、石川先生が説明をする、という流れになっています。超心理学という学問について、どういう態度で研究をすべきか、それがわかるかと思います。

https://youtu.be/k8_bzH4lQeo

『超心理学――封印された超常現象の科学』(紀伊國屋書店)

石川幹人・蛭川立による『超心理学』出版記念トークライブ(紀伊國屋書店新宿南口店)

石川幹人『超心理学』は、日本語で読める本としては随一ですが、同じぐらい充実した内容は、オンライン上の『超心理学講座ー「超能力の科学」の歴史と現状ー』にもアップされています。内容はとても充実しており、私が自分の教材で補う必要などないぐらいです。同僚だから、上司だから褒めているのではなく、逆にいえば、学術的にみて信頼のおけない類書が多いのです。宗教的な本も多々あります。宗教が悪いとは言いません。ただ、宗教と科学は別のものなので、混同してはいけないのです。

【2】参考映像(2)

講義が聴けないぶん、本を読むのもよいのですが、映像で観るのも直感的にわかりやすいものがあります。心霊現象やオカルト的なテーマを扱った番組は、興味本位で学術的には問題のあるものが多いのですが、私じしんが制作に携わった『超常現象』は、なかなかよく作られた番組ですから、しばしば授業で紹介してきました。

どちらかといえば、第一集のほうが「身体と意識」の講義内容と関係し、第二集のほうが「不思議現象の心理学」の講義内容と関係します。

ザ・プレミアム 超常現象 第1集「さまよえる魂の行方」(2014年1月11日放送)

www.nhk-ondemand.jp

幽霊、生まれ変わり、透視、テレパシー…。超常現象を、科学的に解明しようという試みが、急速に進んでいる。第1集は、死後の世界や魂の謎を解明しようという科学者たちに迫る。イギリスで行われた幽霊城の大規模調査。電磁波や低周波音測定器などの最新機器が異常な数値を捉えた。その分析からは、心霊現象の意外な正体が明らかに。さらに、子どもたちが語る前世の記憶や、臨死体験の証言を、科学的に分析する試みを追う。

ザ・プレミアム 超常現象 第2集「秘められた未知のパワー」(2014年1月18日放送)

www.nhk-ondemand.jp

念力、テレパシー、透視、予知…。「超能力」と称される不思議なパワーは本当に存在するのか?トリックや思い込みだとする風潮が主流を占める中、その真偽を最新の科学的手法で見極めようと挑む研究者たちがいる。脳科学や統計科学を駆使したさまざまな実験から、ごく普通の人々にも科学では説明がつかない不可思議な能力が備わっているという驚くべき可能性が浮かび上がってきた。科学の先にある謎は、私たちに何を物語るのか。

220円で視聴が可能です。それだけの経済的余裕があれば、ぜひ観てもらいたい映像です。ただし、視聴期限が72時間と決まっています。990円払うと「見放題」になります。

なお、YouTubeなど、インターネットにアップされている動画については、とくにテレビ番組をアップしてある動画が多いのですが、これには著作権などの問題があります。古い番組で、テレビ局に問い合わせても保管されていないような番組がネットで見られるのは便利なのですが、この点についての私の考えは「インターネット情報の普遍性と著作権について」に書きました。



(以下は、来週以降の参考です。以下のような内容を詳しく説明しようとすると(皆さんがその内容を理解しようとすると)、まだ何時間もかかってしまうでしょう。リンク先で画像が表示されないという不都合が起こっているようです。ご指摘いただければ対応します。)

超心理学の研究成果

百年ほどかけて地道な研究が行われた結果、テレパシーとESPについては、どうもありそうだという実験結果がえられています。PKについても、なにかありそうだという研究結果です。しかし、扱う対象が難しいので、なかなか結論が出ないまま、いまに至るというのが現状です。

かりにテレパシーという現象があるとしても、その正体がわからないからです。たとえば、声は音波であり、空気の分子の振動です。相手の顔が見えるということは、光という物質を媒介しています。もし真空なら音は伝わりませんし、真っ暗なら相手の姿は見えません。では、なにがテレパシーを伝えているのか。それは未知の物質なのか?もし物質がテレパシーを伝えるのだとしたら、それはテレパシーではない?といった、哲学的に入り組んだ議論になってしまいます。

もしESPが存在するなら、テレパシーというのは、相手の脳内を透視しているのではないか、という議論もあり、区別ができなくなってしまいます。ですから、ESPとテレパシーの研究は合わせて行われてきました(→「ESPの実験研究」(未完成)【参考】)。

それから、PKの研究については「PKの実験研究」(未完成)【参考】をご覧ください。



CE2020/05/27 JST 作成
CE2020/05/28 JST 最終更新
蛭川立

【講義ノート】人類学A 2020/06/01

この記事の文章は不自然な表現、または文意がつかみづらい状態になっており、修正が必要とされています[*1]

人類学Aですが、コロナウイルス感染症の話題から本題につなげていくという方式にしたので、シラバスの予定とはスケジュールがだいぶ変わっています。しかし、順序が変わるだけで、授業の内容全体は変えないように計画しています。

大学に入ったはずなのに大学には入れない一年生の皆さんには教室での講義がお届けできなくて残念です。ふだんなら口でしゃべっていることを文字にするのもなかなか大変です。余談や冗談も、文章にはしづらいものです。

ふだんの講義なら、以下のような調子になります。

今のウイルスなんてそんなに怖くないですよ、17年前のSARS(サーズ)、今のが新型だとすると、まあ旧型コロナウイルスですかね、中国では非典(フィーティエン)と言ってましたけど、中国語の発音おかしいですか。どうしても声調というのがわからないんですね、非典型肺炎のことです。17年も前ですよ、皆さんまだ生まれていたかいないかですね、あれはもっと強力でしたよ、熱が38度以上ないと発病したと見なされないんですが、中国と香港以外にはあまり広がらなかった。感染力が弱かったからでもあります。日本には来なかったことになっています。ひょっとしたら、私が日本に持ち込んだ第一号かもしれませんけどね、これは抗体検査をしてもらわないとわからないので、早く検査をしてもらいたいんですね。自分は曾て支那の山中で最前線で倒れ、九死に一生を得て引き揚げてきたのだ、向こうで緊急状態宣言だと、中国語では緊急状態と言いますね、戒厳という、もともとは戦争や内乱のときに行われていた、日本語ではなんと言うんでしょう、英語はステイト、オヴ、エマージェンシイ、それを自然災害や伝染病にも適用できるようにした、これが中華人民共和国の緊急状態という状態ですね、そういう状態では、もう本気で軍や警察と対峙しなくちゃいけない、でもそれは社会の秩序を維持するためなんですけどね、みんなパニックになって、わーっとなるわけですが、わーっとなっている群衆を、制服を着た人たちがね、それを統制する、ある程度の人権を侵害したとしても、社会の秩序を守ることが優先される。いまの日本の緊急事態とやらとは大違いだ、などと、また昔の武勇伝を話しはじめると、それもう何回も聞かされたよ、そう思っているかもしれません。何度も昔話ばかり繰り返すようになったら、脳が老化してきたんでしょうね、しかし、過去の教訓を若い人に伝えて行くのも仕事だと思うんですよ。最近ネイチャーっていう、イギリスの科学雑誌に発表されたんですけどね、旧型コロナウイルスに罹って回復した人はもう抗体を持っていて、その抗体を使ってワクチンが作れるかもしれないそうです。それなら皆さん、教室で講義をして私と濃厚接触すれば抗体が身につくかというと、それは無理です。抗原であるウイルスは唾液やら何やらで感染しますが、抗体は輸血でもしないかぎり他人には伝わりませんからね。しかし旧型コロナウイルスに比べればいまの新型コロナウイルスは進化しています。感染力が強くて症状は軽い、若くて元気な人だと感染してもほとんど症状が出ない。だから怖いのではなくて、だから怖くないんです。これがウイルスの進化です。ウイルスは宿主(しゅくしゅ)に寄生して生きるので、宿主が死ぬと自分も生きられないんですね。みなさんは若いから、たぶん感染してもほとんどは大丈夫でしょうけど、いや保証はできませんけどね、それでも大学に来ないほうがいいのは、知らないうちに感染していて、自分がウイルスの運び屋になって、老人や病人にうつしてはいけないと、だから気をつける必要があるわけです。マスクをするのも他人に感染させないためですね、だいたいは。しかしウイルスにしてみれば、うっかり老人や病人に感染してしまって殺してしまうのは、これはウイルスにとっては誤算で、宿主が死ぬと自分も死にますからね、そういう失敗をするウイルスは子孫を残せず、生き残れない。しかし集団全体からみれば老人や病人はいずれ他の理由でも死にますからね、とか、ブラジルの大統領がそういう暴言を吐いて問題になったようですが(←こんな黒冗句はふだんは喋っていても、文字には書きにくいのです)最終的には全員に感染して全員が症状が出ないというところで収束する、寄生から共生になって安定するわけです。ウイルスと戦って、全滅させて、終息させる、こちらのシュウソクは、終わる息という漢字ですけど、戦って打ち負かすのではなくて、共生へと収束する。このシュウソクというのは、これは数学用語ですが、ある一定の値で落ち着いていく、お互いにお互いを支え合いながら、安定した状態で安定する、これが生態系のバランスです。難しい言葉ではホメオスタシスといいます。高校で生物を勉強した人は聞いたことがあるかもしれませんね。ウイルスにとってもそれが理想なのです。これをウイルスの弱毒化といいます。弱毒、毒が弱まるという意味です。詳しいことは、ここからリンクを張っているこのページですね「ウイルスの弱毒化と共進化【興味があれば読んでみてください】」、このページに書いたので、興味がある人は読んでみてください。ウイルスによっては人間の遺伝子とともに何万年も何億年もずっといっしょに進化してきたものもあるわけです。そもそも人間の持っている遺伝子の半分以上がウイルスだと、そういうことも最近になってわかってきました。たとえば白血病を引き起こすウイルスですね、いや、ごくたまに白血病を起こすけれどもほとんど無害なウイルスが人類発祥の地であるアフリカと、そして日本に多いという話があります。これは、この「ウイルス進化論【興味があれば読んでみてください】」ページに書きましたけど、こういう研究が、日本人のルーツを探る研究ともつながってくるわけです。よく人から、どんな研究をしていますかと聞かれて、人類学ですというと、ええと、人類学っていうのは、人類の研究ですか、と聞かれて、困ってしまうんですけど、たしかに高校までの教科にないですよね、人類学。歴史学とか地理学とか生物学とか、想像ができますけど、人類学とはなにか、それをこの授業でお話しているわけです。たまに、人類学というのは、日本人のルーツを探るとか、そういう研究ですか、と言われることもありますね。日本人はどこから来たんですか、とか聞かれるんですけど、それも人類学の研究分野ですね。まあそう聞かれたら、どこを経由してきたのかは諸説ありますが、ようするに日本人はアフリカから来たと答えることにしています。世界中の人類は、ホモ・サピエンス、という学名で、ぜんぶ同じ種(しゅ)です、生物学でいうところの種、スピシーズですね。いろんな民族がいて、差別したり戦争したりもしているのですけど、そうは言っても全員が同じホモ・サピエンスなんですね、全員がアフリカから来たわけです。だから人類はみな兄弟姉妹だというわけです。云々。

口頭で話せば五分ぐらいで終わるものを、そのまま文字にすると、非常に異常な感じがします。

文字に書いていたらきりがないので、自分でしゃべったものを録音してみようか、とも思ってはいるのですが、誰もいないところでマイクに向かって一人でしゃべろうとすると、これまた非常に不自然な感じがしてきて、ぎこちなくなってしまって、うまくしゃべれません。

じつは、人間にとって文字とはとても不自然なものなのです。「化石人類の物質文化と精神文化【来週以降の講義の資料です(図表が表示されないかもしれませんが、復旧作業中です)】」という記事に書きましたが、人類の祖先が言葉を話しはじめたのは数十万年前です。言語といっても音声言語です。音声言語の長い歴史に比べると、文字の発明はたかだか数千年前です。それも長い間、一部のエリート男性しか使えなかったわけです。昔の中国の漢字がそうですね。はじめは天下国家の行く末を占う、占いの記録として、甲骨文字からはじまって、長い間役人が書類を書くために使っていた記号なんですね。中国から漢字を借用した日本もそうでした。今の日本のようにほぼ全員文字が使えるようになったのは、これは明治以降の教育制度の普及ですね。日本語というのがまた最高に難しいんですね。留学生の皆さんは日本語を勉強するのが本当に大変だったと思います。文字が、漢字があって、これは中国から借りてきたもので、しかも輸入した地域や時代が違うから読み方も違う、そして日本独自の仮名があるわけですが、これがさらにひらがなとカタカナの二種類があります。漢字だけでも何千文字あるかわかりません。それで中華人民共和国では皆が漢字を使えるようにと、簡体字、簡単な漢字を開発したわけです。韓国朝鮮はどうかというと、漢字は一部のエリートが使うもので、ふつうの人はハングルという文字を発明して、これだけでやろうということになったんですね。ハングルというのは中国ではなくて古代のインドの文字をモデルにして作られた合理的な文字のシステムで、たぶん世界でいちばん合理的な表音文字の体系だと思います。それでも、いまでも海外では、国や地域によっては、とくに女性が、じゅうぶんな教育を受けられなくて読み書きができないところもあります。大学だって日本は戦前までは女性は入れませんでした。明治の女子短大は先駆的だったわけです。それが発展して情コミ学部になったわけです。これも16年前のことですけど、そういう女子教育の伝統があるから、情コミは、ジェンダー的に、学生数の男女比が、毎年ほぼ半々なんです。入試の合格者を出すときに調整なんかしていません。自然にそうなっているんです。すごいですね。いま教室を見回してみると、男子と女子がほぼ半々いるわけですが、それが文字だけだとわからないですね。男女というのは、これは男性優先の性差別的表現ですかね、でも逆に雌雄という言葉もありますよね。そういうふうに、ふだん当たり前のこと、当たり前に使っている言葉の意味なんかを分析していくのが、また人類学の面白さですね。また話が脱線してしまいました、すみません、話を戻しましょう。さて今日の講義ですが、云々。



前回は、食物や薬物の象徴的分類についての講義でした。ここから、とくに神経系に作用する向精神薬の話に入っていきます。併せて、脳の働きやその進化についての基礎知識も勉強していきましょう。

そのあとは、精神展開薬と変性意識状態の文化について概観するという展開にします。中国の雲南省少数民族などの葬送儀礼のことも、話が途中になっていましたが、後日また詳しくお話します。

今後のオンライン授業の順序としては、「麻薬」や「ドラッグ」と十把一絡げにされている向精神薬について、ひととおりの分類ができるようになってから(→「向精神薬の分類」【このページはぜひ読んでください】「向精神薬の呼称」【このページもぜひ読んで正しい用語を学んでください】)、精神展開薬が使用されている文化(→「中米先住民文化と精神展開性植物(画像が表示されないという不具合が報告されていますが、現在復旧作業中です)」「アマゾン先住民シピボのシャーマニズム」「南島の茶道 ーカヴァの伝統と現在ー」【以上の3ページだけで3週間ぶんの授業資料になります。6月1日の時点では必須ではありませんが、余裕があれば読んでください。来週にはアマゾンか中米の話はできます】)を見ていきます。

向精神薬だとか精神展開薬などの難しい用語も出てきましたが、その意味については、脳や神経細胞の機能と進化とも併せて授業の中で解説していきます。



なにか質問があれば聞いてください。コメントがあれば、どうぞ。

ふだんの授業だと、こう、大教室にたくさんの聞き手が並んでいて、質問はありますか、と聞いても、シーンとして、誰も手を上げない。それが今年度から文字のディスカッションにしたら、急に発言が増えてきて、これは非常に興味深い現象ですが、とくに一年生の皆さん、こんなに面白いことは秋学期にはもうなくなるかもしれません、いや、きっとなくならないですよ、この緊急事態をきっかけにして、社会の、コミュニケーションのありかたが、大きく変わると思います。

いつも言っていることですけど、私は敢えてポジティヴで前向きなことを言いたいのですけど、というのは、日本の政治家も、ほかの人たちも、あまり明るく前向きなことを言わない。たしかに、いまは苦しいことも多いでしょうけど、もちろんそれは厳しい現実です。しかし、これを乗り越えれば、うまく乗り越えれば、きっと豊かな未来が開けていくはずです。困難を乗り越えて、そして今までの生活を取り戻そうと、それだけではなく、社会の混乱を逆手にとって、ピンチをチャンスに、混乱というと悪い言葉ですが、それは社会やコミュニケーションの自由度が上がることです。でも楽観的ということと楽天的ということは違うんですよ。何も考えずに楽しくしているだけでは、社会はもっと混乱していくでしょうけど、それは工夫次第で、きちんと前向きに考えて状況を把握して、混乱を自由な豊かさに変えていければ、これは予想もしなかったような未来が展開していきます。そして、未来を担うのは、これから社会を創っていく皆さんです。私のように昔話ばかりする老兵は去っていきます。皆さんが一生懸命働いて、それで年金生活をさせてもらいます。期待しています。できなかった入学式の祝辞みたいになってしまいましたが、今日の授業はこれで終わりにします。ご静聴ありがとうございました。



CE 2020/05/26 JST 作成
CE 2020/06/01 JST 最終更新
蛭川立

【講義ノート】人類学A 2020/05/25

人類学Aの講義メモです。教室での授業なら当日にお話しすることですが、オンラインで教材にリンクする形にしているので、事前に目を通してもらえたほうがよかろうかと、こんな具合の口語的な文体で書いています。

なお、一部、画像が表示されないという不具合が起きています。もし教材ページで画像が表示されない場合には教えてください。すぐに対処します。

どのリンク先の記事を読むべきかについては、【必須】【推奨】【余談】の3種類に分けておきました。

人間は「象徴」を食べる

象徴的効果の「象徴」は、文化人類学ではとても重要な概念です。

MERS、SARS、そして現在感染を広げているCOVID-19の病原体であるコロナウイルスは、すべてコウモリに由来することが明らかになっています(→「SARS関連コロナウイルスの生物学」【余談】)。エボラ出血熱などの自然宿主もコウモリです。

しかし、コウモリを食べることが問題なのではなく、コウモリの排泄物にコロナウイルスが住んでいて、それを食べるだけではなく、触っただけでも感染してしまいます。また、狂犬病というとイヌだけがかかる病気のようですが、狂犬病のイヌが駆逐されつつある現在、コウモリが狂犬病を媒介することが問題になっています。私も狂犬病のワクチンを打っていますが、狂犬ならぬ狂コウモリに噛まれるのが怖いからです。

中国ではコウモリの糞が、夜盲症などに効く「夜明砂」という漢方薬として珍重されています。これも、含まれる成分の薬理学的な作用というよりは「コウモリ」=「暗いところでも目が見える」という象徴的思考によるものです。

こうした薬が、希少で高価であると、希少で高価だということ自体に価値が見出され、流通するということもあります。昼食前の時間にこのようなスカトロジー的な話ばかりで恐縮ですが、普通は食べない変なものだから余計に効きそうだという意味合いもあるでしょう。

中国の四川料理には「コウモリに蚊を食べさせて蚊の身体が消化されて蚊の眼球だけが排泄されたものお湯に溶かしたスープ」というものがあるそうです。私は飲んだことはありませんが、四川省成都の夜市で謎の病原菌に感染してしまった私にとっては切実な問題ですし、コロナウイルス感染症が何度も繰り返されている元凶としても切実な問題です。

こういう話ばかりをしていますが、これは「中国人が変なものを食べるからいけない」という偏見ではありません。グルメな日本人にとっても、それは対岸の火事ではありません。

東京の喫茶店から謎の伝染病が大流行するという事件が起こりうる可能性も指摘しましたが(→「『最高の人生の見つけ方』」【余談】)フランスのパリで魚屋さんが2019年の12月に新型コロナウイルスに感染していたことが明らかになり、今月になって真面目な医学雑誌に発表されました。これは、新型コロナウイルス感染症が中国だけに由来するという定説を覆す大発見です。この感染がフランス料理の食材に由来する可能性もあります。

食べ物だけではなく、たとえばコウモリの排泄物は「バットグアノ」という名前の肥料としても使われています。Amazonでもふつうに売っています。

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「原産地:インドネシア/原料:こうもりのふん」

(この「人間は『象徴』を食べる」の節について、事実関係の詳細は「SARS-CoV-2の起源と感染源」【余談】の後半に書きました。)

プラセボ効果と象徴的効果

相変わらず毎週同じ話をしていますが、ちょうど二週間前に風邪のような症状があり、ねんのため熱を測ったところが37℃を超えていて、心配になって保健所に電話し、保健所の人には医者に行くように言われ、ある医者に電話をしたら診察を断られ、また別の医者に電話をしたら、やっと診察をしてもらえました。

ただの風邪でしょうと言われて、風邪薬を出してもらって、ねんのため二週間ぐらいは自宅で様子を見てください、ということでした。あれから二週間が経ち、ちょうど外出自粛勧告も解除されるようです。

風邪薬を飲んで、咳や喉の痛みは良くなりました。しかし、薬が効いたのではなくて、たんに自然治癒しただけかもしれません。薬を飲んだから良くなるだろう、という思い込みで、喉の痛みが気にならなくなったのかもしれません。これを、プラセボ効果といいます。プラセボ効果については、不思議現象の心理学という、駿河台での講義科目で扱いますが(→「プラセボ効果と象徴的効果」【必須】)、このリンク先の記事の後半に書いた「象徴的効果」は、人類学と重なる内容ですから、ぜひ読んでください。

そもそも、ふだんなら、ちょっと風邪気味だろう、ということでやりすごしていたのが、わざわざ体温を測ってしまい、測ってみたら37℃を超えていたから熱がある、ひょっとしていま流行りの新型コロナというやつに感染したのかもしれない、保健所に相談しよう、医者に相談しようと慌ててしまうのは、逆に、たいした症状でもないのに余計に不安に思えてきてしまう、主観的な認知バイアスでもあります。

冷たい「風」が「風邪」を起こす?

さて、咳が出たり、喉が痛んだりするのを「カゼ」と言います。これは、冷たい風に吹かれて起こる病気だという、一種の象徴的な概念ですが、ただし、温度が低いと風邪をひきやすいのは事実です。これに対して、熱を出すのは体の反応です。部屋を暖かくすることにも効果があります。

今では医学的な研究が進み、たとえばインフルエンザウイルスは寒くて乾いた環境では増殖し、熱くて湿った環境では弱ってしまうことが知られています。だからインフルエンザが冬に流行し、春になるとおさまり、また冬になると流行するのです。「カゼ」という概念にも医学的な根拠があるわけです。(ただし、新型コロナウイルスは熱帯や南半球でも流行しており、あんがい高温多湿にも強いといわれていますから、まだまだ油断はできません。)

風邪をひいたらコカ・コーラを飲めばいい?

冷たい風が風邪という病気を起こすというのは、ある程度は事実ですし、同じような考えは世界中にあります。たとえば中央アメリカのマヤ系先住民族には、咳や喉の痛みは「冷たい」病気であって、「熱い」薬草を摂取すれば治る、という考えがあります(→「中米先住民文化における飲食物の民俗分類」【必須】)。

リンク先に表を書きましたが「熱い」食べ物とは、たとえばトウガラシやカカオやトマトです。これらは中南米原産の植物です。カカオにはカフェインが含まれていますから、それで体が温まって元気になるような気がするのかもしれません。ちなみにカカオに砂糖を入れてココアやチョコレートにするのは、ヨーロッパでの発明であって、もともとココアには砂糖を入れず、トウガラシを入れて飲むのが伝統だったそうですから、とてもホットな飲料ですね。

ポシュというのは、トウモロコシから作られるお酒です。トウモロコシも中米が原産です。中米の先住民というと遠くの世界のようですが、アボガドなど、日ごろ食べているものの多くが中米の先住民が栽培した植物で、ヨーロッパ経由で世界各地に広がりました。酒を飲むと体が温まりますから、これも「熱い」飲食物だと分類されます。

しかし、意味がよくわからないものもあります。たとえば、牛肉は熱い食べ物で、鶏肉は冷たい食べ物だとされます。

新しい時代になって入ってきたコカ・コーラも、冷たい病気を治せる熱い飲み物だとされています。たしかにコカ・コーラにも少量のカフェインが含まれています。しかし実態は「コカ・コーラ=文明世界からもたらされた新しい健康飲料」というイメージもあるようです。しかし、おなじコカ・コーラ社の炭酸飲料でも、ファンタ・オレンジは「冷たい」飲み物だから、風邪には効かないと、現地の人たちは言います。冷やしてあれば、どちらも冷たいはずなのですが。

このように、象徴的な分類には、医学的な根拠のある合理的なものと、不合理だけれども、その文化の中で信じられているものがあります。

「薬物」の民俗分類

コカ・コーラというのも不思議な飲み物で、その歴史を辿っていくと、20世紀の現代史とも密接に関わっていることがわかります(→「興奮するモダン/沈静するポストモダン」【推奨】)。

もともとコカ・コーラは、ワインでした。しかし、アメリカでの、お酒は体に悪いという風潮の中で、コカインとカフェインをブレンドした飲料に変わりました。コカインだとか覚醒剤だとかいうと怖いもののように思われますが、それもまた私たちの文化が持つ、医学的な根拠のない民俗分類なのです(→「向精神薬の民俗分類」【必須】)。たとえばエチル・アルコールエタノール)はかなり危険な薬物であり、風邪をひいたときに飲んでも身体は温まりますが、飲みすぎれば身体に有害です。エタノールは消毒用としても使われますが、細菌やウイルスを殺すだけの毒性があるからです。

余談ながら消毒用のエタノールは70%の濃度が必要ですが、コロナウイルスエンベロープ(殻のようなもの)を破壊して殺すのには40%あればいいという研究があります(→「酒を蒸留して消毒液にすると3万人の命が救える?」【余談】)から、あるていど濃いお酒であれば、そのまま消毒薬になりそうです。消毒用アルコールが品薄で価格が高騰していますが、私はサントリーのジン(40%)を消毒用に使っています(→「やってみなはれ。やらなわからしまへんで」【余談】)そのほうが安価だからです。

人類学の面白さ

こんな事態になって、試験はどうなるのか?単位は取れるのか?なにをどう勉強したらいいのか?と心配になっている人も多いでしょう。試験やレポートのことはまだ流動的ですが、あまり細かい知識を問うことはしません。人類学の面白さは、いままで当たり前だと思っていた常識が、あっと裏返るような視点です。たとえば、コロナウイルスの感染は漢方薬から始まったのか?とか、お酒は大麻よりも危険なのか?消毒に使えるのか?等々、違った角度から物事を考える方法論です。

細かい知識を暗記するよりも、ものの考えかたを身につけることが重要です。成績評価でもそういう「考えかた」を問います。大学での勉強というのはそういうものです。とくに一年生の皆さんにはお話しておきたいことです。

口頭で話せばすぐに終わる話を文字で書くと、とても長くなってしまいますが、今週のぶんはこれぐらいにしておきます。

(先週話しかけていた中国の少数民族モソ人の他界観と葬送儀礼の話は、またすこし先にお話します。)



CE2020/05/24 JST 作成
CE2020/05/25 JST 最終更新
蛭川立

【講義ノート】「不思議現象の心理学」2020/05/22

時事的なテーマからはじめて、そろそろ授業の本題に入っていきたいと思います。5月22日の10時50分からのリアルタイム・ディスカッションは、このページを開いてもらうところからはじめます。

このページを作ってから、何度も何度も加筆修正しています。ディスカッションの最中にも書きなおすかもしれません。ときどき「再読み込み」してください。

それでも気になるコロナウイルス

五月にしてはすこし肌寒い日々が続いておりますが、皆さん、お元気でしょうか。

風邪をひいただけで気になってしまう

私事ながら、ここ数日すこし風邪気味で(普段ならあまり気にしないことなのですが)どうも気になってしまいます。自分は良いが、他人にうつしてしまってはいけない感染症が流行しているという状況ですと、ねんのため保健所に電話をしたり医者を巡り歩いたりと、あたふたしておりましたが、医者には、ただの風邪でしょう、まあ家で様子をみてください、と笑われ、おうちで勉強をしながら過ごしているところです。

SARSの「トラウマ」

これも個人的なことではありますが、2003年のSARS騒動下の中国(雲南省の山中)で、熱を出して寝込んでしまったことを、何度も何度も思い返しています。思い出話ばかりでは意味がないのですが、いろいろな人と話をしてみると、今回の新型コロナウイルスSARS-CoV-2)が、かつてのSARSウイルス(SARS-CoV-1)の再流行だということが認識されていないようで、やはり、このことは伝えていかなければならない、と、あらためて思っています。

しかも、そのウイルスの由来が、どうやらコウモリの糞だったらしい、ということも、意外に認識されていないようです。なるほど、いま現在、起こっていることを解決することが優先課題でしょう。就職活動がうまくいかない四年生の皆さんも、本当に困りましたね。

しかし、おおもとの原因を突き止めて改善しなければ、この伝染病は、将来、また繰り返されてしまいます。

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中国国際放送局「なぜ中国人は何でも食べる?」写真は中国の雲南省に生息するコウモリ

情報はいくらでも手に入るのでしょうが、全人類を未曾有の事態に巻き込んだ元凶が、中国の(おそらく雲南省の)洞窟に住んでいたコウモリの糞だとすると(ハクビシンセンザンコウを経由したかもしれない)あまりに不条理です。それよりも、当座の苛立ちの矛先を、自国の政府や中華人民共和国の政府にぶつけるほうが、納得しやすいのかもしれません。

巷には陰謀論の類いも流布していますが、陰謀論のような怖い話のほうが、コウモリの糞のようなつまらない話よりも、戦うべき相手をはっきりさせてくれる物語性があるのでしょう。

君達若い者が、まだ生まれていたかどうかは知らないが、自分は嘗て支那の山中で疫病と闘い九死に一生を得て生還したのだ。未来を担う諸君は過去の教訓から学ばねばならない、と、同じ話ばかり説教ばかりするような、まるで老兵の繰り言のように、余談が長くなってしまいました。

5月22日の授業の構成

授業ですが、皆さんの目の前でユリ・ゲラ—直伝のスプーン曲げ(→「『超能力』と心物問題」)を披露したいと思いつつ、なかなか実現できません。しかし、掲示板方式のほうが通常の講義よりもはるかに活発に発言が出てくることに嬉しい驚きを感じていますが、逆に予習用の教材を提示するのが遅れてしまい、恐縮です。

もっとも「不思議現象の心理学」の全体のスケジュールと教材は、すでに「不思議現象の心理学 2020年度」にアップしてあるのですが、前々回、前回の授業から、どの部分に話をつなげていくか、試行錯誤です。

本日の主題

認知バイアス陰謀論臨死体験や祈祷治療の話をしたところですが、もういちどリンク先を整理しておきます。

(参考)と付したページは、必読ではありません。


中国雲南省少数民族モソ人の祭司によるSARSコロナウイルス退散の祈祷(2003年4月)

なお「不思議現象の心理学」と「身体と意識」は独立の授業ですが、続けて履修してもひとまとまりの内容が学べるように工夫してあります。

超心理学」について

例年、この授業では「超心理学」について話をしています。超心理学とは「超常現象」の研究です。

しかし、超常現象とは、意味のよくわからない言葉です。いったいなにが「超」なのでしょう。

「心霊研究」から「超心理学」へ

歴史をたどれば、超常現象の研究は、心霊研究、つまり心霊現象の研究に由来します。心霊現象というのもまた怪談のような怖い話ですが、ようするに、肉体の死後も霊魂は残るのか、という問いかけです。もうすこし難しくいえば、心や意識という経験は、物質的な肉体とは独立であるか、という問いかけです。これは、哲学の分野ではずっと真面目に論じられてきたもので、心身問題とか、心物問題とよばれます。

心霊研究や超心理学をめぐる歴史については「『心霊研究』から『超心理学』へ」に長い文章を書きました。また「『心霊研究』と『超心理学』の科学史」に、研究史の年表を書きました。必要におうじて参照してください。

超心理学」が研究すること

人間の心が外部の物質世界とやりとりするときには、常識的には、物質的な身体を介して行います。

  • 知覚、たとえばものを見る場合は、見られる物質→眼(という物質)→脳(という物質)=心、という図式になります。
  • 運動の場合は、逆になります。心=脳(という物質)→筋肉(という物質)→動かされる物質、という図式になります。
  • それから、コミュニケーションの場合は、心=脳(という物質)→口(という物質)→音波(という物質)→耳(という物質)→脳(という物質)という図式になります。

それに対して「超心理学」とか「超常現象」というと、なんのことやら、意味がわかりにくいのですが、おおよそ、以下のような現象の可能性を研究します。

  • 感覚器官(眼や耳など)を介さずに、心が直接、物を知覚することができるだろうか?
    • これを「超感覚的知覚(ESP)」と呼びます
  • 運動器官(筋肉など)を介さずに、心が直接、物を動かすことはできるだろうか?
    • これを「念力(PK)」と呼びます
    • 祈るだけで病気が治る「ヒーリング」もこれの一種です
  • コミュニケーションのための器官(声を出すこと、耳で聞くこと、目で見ること)を介さずに、心と心が直接、コミュニケーションをとることができるだろうか?
    • これを「テレパシー」と呼びます

こうした現象が存在するという前提で研究をするわけではなく、それがあるのかないのかを調べるための研究が続けられてきました。扱う対象が難しいので、なかなか結論が出ないまま、いまに至るというのが現状です。

超常現象を信じること、疑うこと

また、こうした研究を行うがわの動機にも、3種類の立場があります。

  1. 「超常現象は存在する」と信じていて、それを実証したい
  2. 「超常現象など存在しない」と信じていて、それを実証したい
  3. 「超常現象が存在するかしないかはわからない」、だから研究したい

ふつうは3であるべきですし、私は3の立場です。

1は、いわば信仰の問題です。信仰は価値の問題です。信仰は生きる意味を与えてくれます。しかし客観的な科学の研究対象にはなりません。

2は、いわゆる懐疑主義という立場です。このような批判的な立場は、科学的な研究には必要なことです。宗教とは信じること、科学とは疑うことです。宗教は生きる意味を与えてくれますが、科学は生きる意味を与えてくれません。宗教と科学は対立するものではなく、別次元のことです。

ただし「超常現象が存在しない」ということを信じてしまうと、やはり宗教になってしまいます。懐疑論懐疑主義という立場は、行きすぎると、こういう「宗教」になってしまいます。

なぜ幽霊は怖いのか

「心霊現象」などと(日本語で)いうと、怪談のような怖い話かと、そんな暗いイメージがあります。

深夜に隣室でゴトリと音がしたとき、とっさに怖いと感じるものです。

誰かが入ってきたのかもしれない。恐るおそる隣室を覗いてみても、誰もいない。誰もいないと「心霊現象か」などと考えてしまいます。じっさいには、建物がきしんだり、小物が倒れただけかもしれないのに、です。

ここには以下のような認知バイアスが存在します。

  • 物音に「意図」を感じてしまうバイアス
  • しかも悪い「意図」を感じてしまうバイアス

「妄想」や「陰謀論」は、こうした認知バイアスから発展してくるものが多いのです。

「心霊現象」は「死」を連想させるから、怖いのでしょうか。

怪談は怖い話です。典型的な怪談においては、死者の幽霊が、生者を殺そうとします。殺されるのは怖いことです。しかし、問題を以下のように整理することもできます。

  • もし幽霊が実在するなら、死んでも幽霊として生きられるのだから、死ぬのは怖くない?
  • もし肉体が死ねばすべてが終わるのなら、幽霊は幻覚にすぎないのだから、怖くない

屁理屈でしょうか?

ともあれ、生きている人間が襲ってくるほうが、怪談よりも怖いものですし、もし人間が死んで幽霊になるのなら、なぜ人を恨む幽霊ばかりなのでしょう。この世に未練があるからでしょうか。しかし、この世に未練があるのなら、友達や家族や恋人に会いたくてやってくる友好的な幽霊や、飲食娯楽等、肉体的快楽を求めてやってくる幽霊もいるはずです。

懐疑=思考の作法

錯覚や認知バイアスは、この授業全体の主題ではなく、不思議なものを信じすぎないようにするための客観性を保つ視点を持つために必要な懐疑的知識ということです。

これはまた、原発事故やウイルス感染症などのリスクに対して、過大評価せず、また過小評価もせず、できるだけ客観的に対処する方法論でもあります。(あるいは、いかに理性的であろうとしても、どうしても考えが偏ってしまうことに自覚的であるための方法論でもあります。

「不思議現象の心理学」で扱う問題を、手短に要約すれば、以上のようなことです。

参考映像『超常現象』

講義が聴けないぶん、本を読むのもよいのですが、映像で観るのも直感的にわかりやすいものがあります。心霊現象やオカルト的なテーマを扱った番組は、興味本位で学術的には問題のあるものが多いのですが、私じしんが制作に携わった『超常現象』は、なかなかよく作られた番組ですから、しばしば授業で紹介してきました。

どちらかといえば、第一集のほうが「身体と意識」の講義内容と関係し、第二集のほうが「不思議現象の心理学」の講義内容と関係します。

ザ・プレミアム 超常現象 第1集「さまよえる魂の行方」(2014年1月11日放送)

www.nhk-ondemand.jp

幽霊、生まれ変わり、透視、テレパシー…。超常現象を、科学的に解明しようという試みが、急速に進んでいる。第1集は、死後の世界や魂の謎を解明しようという科学者たちに迫る。イギリスで行われた幽霊城の大規模調査。電磁波や低周波音測定器などの最新機器が異常な数値を捉えた。その分析からは、心霊現象の意外な正体が明らかに。さらに、子どもたちが語る前世の記憶や、臨死体験の証言を、科学的に分析する試みを追う。

ザ・プレミアム 超常現象 第2集「秘められた未知のパワー」(2014年1月18日放送)

www.nhk-ondemand.jp

念力、テレパシー、透視、予知…。「超能力」と称される不思議なパワーは本当に存在するのか?トリックや思い込みだとする風潮が主流を占める中、その真偽を最新の科学的手法で見極めようと挑む研究者たちがいる。脳科学や統計科学を駆使したさまざまな実験から、ごく普通の人々にも科学では説明がつかない不可思議な能力が備わっているという驚くべき可能性が浮かび上がってきた。科学の先にある謎は、私たちに何を物語るのか。

220円で視聴が可能です。それだけの経済的余裕があれば、ぜひ観てもらいたい映像です[*1]。ただし、視聴期限が72時間と決まっています。990円払うと「見放題」になります。



普段の講義で話をしていることを文字で書こうとすると、じつに冗長な文章になってしまいます。誤字脱字や、文法的におかしいところもあります。口で喋ると、意外に気にならないものが、文字にすると、気になってしまいます。

ウイルスの感染も問題ですが、いま、人間どうしのコミュニケーションのあり方が問われています。それこそ、テレパシー通信などが可能になればよいのではないかと、SF映画のようなことを考えてしまいます。

さしあたり、喋ったものを録音してネット上にアップする、という方法を実験中です。



CE2020/05/21 JST 作成
CE2020/05/22 JST 最終更新
蛭川立

*1:インターネットにアップされている動画についての考えは「インターネット情報の普遍性と著作権について」に書きました。