【講義ノート】「身体と意識」2019/11/08

臨死体験は、精神と身体の関係(心身問題)あるいは精神と物質の関係(心物問題)という哲学上の問題を考える上で、もっとも極端であるがゆえに、もっともわかりやすい現象である。

ブログ上の未完成記事「臨死体験」や、著書『彼岸の時間』の第一章「他界への旅」をはじめ、多数の場所で議論しているが、自分じしんが研究してきた分野であるがゆえに、何度も色々な場所に論考を発表してきたいっぽうで、まだ要領よくまとめきれていない。

映像資料としては蛭川自身が制作に協力した『超常現象』[*1]と自作自演の映像作品『死生観の人類学』を紹介したい。

臨死体験の解釈は、大きく二つに分かれる。すなわち

  • 実際に死後の世界を体験してきた
  • 瀕死の脳が引き起こす幻覚である

という、対立する仮説である。結論から先にいえば、どちらが正しいかということは、客観的には確かめることはできない。その結論に至るプロセスは、今後の講義で心身問題についての学説史を追っていく中で明らかにしていきたい。今後の講義のテーマは、時代順に、おおよそ、以下のように列挙できる。

  1. 肉体と霊魂はそれぞれ別個の実体だという素朴な呪術的・神話的世界観
  2. 肉体と霊魂との関係を体系的に説明しようとした宗教哲学の形成
  3. 世界を物質の離合集散によって説明しようとする唯物論的科学(とくに脳神経科学)の発展
  4. 現代物理学の発展による、観測者の意識の役割の再評価
  5. コンピュータの発明による、仮想現実技術の実現

抽象的な用語を列挙すると意味がよくわからないかもしれないが、それは今後の講義の中で説きほぐしていきたい。

1は、現代文明人でも素朴に感じる「素朴実在論」という世界観に対応する。情緒と感覚を鋭敏化させてきた日本文化は、論理的な分析を発展させなかったが、日本語の「モノ」という概念は、物質と精神を論理的に分析する以前の素朴な感覚をよくあらわしている。

『彼岸の時間』の中では北海道アイヌの他界観を紹介したが、その後、東京の三鷹アイヌの女性、アシリ・レラさんに、臨死体験談を伺うことができた。山で負傷し、トンネルをくぐってあの世へ行ってきたのだという。しかし、そのことで人生観は変わらなかったという。というのも、子どものころから、死ぬとトンネルをくぐって死んだ人の暮らす世界に行くと聞いて育ったからだそうだ。

2の体系、つまり宗教的信念体系から哲学的思考体系へという文化的発展が起こったのは、とりわけ古代のインドとギリシアにおいてであった。哲学といえば古代のギリシアに始まり、近代の西欧で発展した思考の体系のほうが主流として語られるが、それは、科学=技術という形で、外部世界を物質的に改変するという実用性において抜きんでてていたからである。いっぽうで、古代のインドで始まり、とりわけ仏教という、宗教的ではない宗教の体系の中で発展していった思想のほうが、内的経験の分析においては優れていたということも看過できない。

講義では、仏教・インド哲学の系譜の中で、とくにチベット仏教の霊魂観・世界観を紹介したい(→「輪廻と解脱」)。また映像資料としてNHKスペシャルチベット死者の書[*2]も紹介したい。仏教経典の中に記述されている、死によって霊魂が肉体から分離し、輪廻転生のサイクルへ移行する経験世界を、CGを駆使して再現を試みた、秀逸な映像である。1993年に放映されたもので、1995年に地下鉄サリン事件を起こしたとされるオウム真理教の教材として使われていたともいう[*3]

2014年に公開された映画『トランセンデンス』では、モラヴェックが『電脳生物たち』で議論したように、人間の脳の情報をコンピュータへと「ダウンロード」する技術がテーマになっている。(監督は『インセプション』(2010年)[*4]などを手がけたクリストファー・ノーランである。)


トランセンデンス 予告編

肉体が死ぬ前に脳の情報をコンピュータへ保存することは、単純に情報量という観点からすれば、じゅうぶんに可能な技術である。しかし、もし意識だけがコンピュータに移動しても、感覚器官を含む身体がなければどうにもならない[*5]。その違和感を解決するために、けっきょく物理的身体に戻りたくなってしまうかもしれない。そのことは『トランセンデンス』の中でも描かれているが、これは、死後、肉体から解放された霊魂が、また新たな肉体を求めて転生してしまうという、インド・仏教的な霊魂観と類似しているところがある。この講義では、つねに現代の情報社会の問題を視野に入れながら議論を進めたい。



2019/11/07 JST 作成
2019/11/08 JST 最終更新
記述の自己評価 ★★★☆☆
(講義のためのノートなので文章としては不完全であり、口頭で補う必要がある。)
蛭川立

*1:『超常現象 1集 さまよえる魂の行方』 www.nhk-ondemand.jp(BD/DVDにはなっていないが、NHKオンデマンドで視聴できる。)

*2:

NHKスペシャル チベット死者の書 [DVD]

NHKスペシャル チベット死者の書 [DVD]

*3:宗教情報リサーチセンターの研究員のかたから伺った話だが、正確には未確認。

*4:

*5:蛭川立 (2017).「他界体験と仮想現実」渡辺恒夫・三浦俊彦・新山喜嗣(編)『人文死生学宣言——私の死の謎——』春秋社, 63.

人文死生学宣言: 私の死の謎

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