【講義ノート】「人類学A」2020/10/26

文理融合の学際領域としてとりあつかってきた人類学ですが、遺伝、生殖という自然人類学的なテーマから、婚姻、親族、社会といった、文化人類学社会人類学的なテーマへと移行していきます。

春学期の人類学Aの授業を受講した皆さんには、2003年に中国で調査中にSARS騒動に巻き込まれてしまったことを何度もお話しましたが、かんじんの調査の内容については、きちんと整理してお話しませんでした。たとえば、「走婚ー雲南モソ人の別居通い婚」などのページがありますが、当時の体験談と研究資料が混ざったままで整理できていません。整理できないところが現地調査のリアリティでもあるのですが。

〈自然〉と〈文化〉

現代社会・近未来社会における人類遺伝学の科学社会学的位置づけについて、「個人向け遺伝子解析」の社会的意味についても並行して論じてきました。この中で、個人の遺伝子検査の先にあるものとして、「DNA婚活」というサービスがはじまっていることについて紹介しました。

「DNA婚活」というものには、どこか違和感を感じます。教材の本文中に書いたことの繰り返しですが、この「ジーンパートナー」は、解析には「科学的な根拠」があるとしています。たとえば、人間は相手の体臭を手がかりにして、自分と遺伝的に似ているが近すぎもしない相手を性的なパートナーとして選択しているという研究があります。それは、近親交配を避けながら遺伝的に進化していこうとする進化生態学の理論によって説明されます。

しかし、脳に備わった生物学的なシステムが進化生物学的に最適化されていたとしても、たとえば、一夫多妻的な婚姻と、多産多死のシステムによって遺伝的な進化が実現されるという意味での合理性であって、それは、一夫一妻的な婚姻、そして子どもたちと共に家庭を築いていくという近代社会の主観的、文化的な幸福とは、かならずしも一致しません。

一人ひとりの人間が平等に生きる権利を持ち、子孫を残す権利がある(子孫を残さない権利もある)というのが、近代社会の基本理念です。そのことによって人間集団の遺伝子プール全体に有害な突然変異が増えていくことや、逆により良い遺伝子を増やして人類を進化させていくという優生学的な思想は、忌避されます。なぜなら、個々人が幸福に生きる権利のほうが、人類全体が何万年もかけて生物として進化していくことよりも、優先されるからです。

人権の尊重と生物学的優生思想の齟齬を解決する前向きな技術としては、遺伝子編集技術の可能性が考えられますが、これもまた忌避されるものです。そこでは逆に「自然であることが良い」という主張が出てきます。「自然食品」や「自然出産」などがイメージとしては流行していますが、よく考えると、自然であるということは、たとえば出産の時に母子ともにリスクを負うことであって、やはり、これは近代社会の理念とは矛盾するところがあります。

「自然だから良い」とは単純にはいえません。これを「自然主義の誤謬」といいます。この難しい議論については、また別の場所で議論できればと思いますが、人間が物質的身体を持った生物として進化してきたことと、社会、とくに近代社会における、社会的、文化的な人間であることの間には、人間観の祖語があります。それは、事実と価値の齟齬でもあり、理科系の学問と文化系の学問の齟齬でもあります。それを、両方の視点から見ていけるのが、分離を架橋する学問としての人類学である、と私は位置づけています。(「人類学」を「文化人類学」と狭く定義し「自然人類学」を含めないほうが、一般的な使われ方です。)

配偶システムから婚姻制度へ

さて西欧から始まった近代社会のしくみの中で育った人間としては、たとえば婚姻(結婚と同じ意味)とは、好きなものどうしが相手を選ぶ一夫一妻婚であり、なんとなくそれがふつうだと考えがちです。いっぽう、ほかの動物というのは、なんとなく、群れを作る動物もいるけれども、一夫一妻なのかどうか等々、あまり考えないことかもしれません。

配偶システム・婚姻制度について、自然人類学的な視点からは、まずは、サル類の一種としての人類の進化史を振り返り(→「人類の進化と大脳化」)、類人猿と現生人類の配偶システムについて種間比較を行い(→「ヒト上科の配偶システム」)ます。同じサル目(霊長類)でも、配偶システムはさまざまです。

文化人類学的視点からは、人間社会における婚姻と出自の規則について概観します(→「単婚と複婚」「出自の規則」)。人間の社会でも、親族構造は民族によって多様であり、民族の数からすれば、一夫多妻婚の社会のほうが多く、一夫一妻婚の社会のほうがずっと少ないのです。また、原始的な社会は母系的で、進んだ社会は父系的だともかぎりませんし、極東の日本や西欧には、もともと強い父系的・父権的なシステムがあったわけではないことも、他文化との比較によって浮き彫りにされます。

(なお次週11月2日は学園祭期間で、リアルタイム授業もお休みにします。11月16日も「休講」になるかもしれませんが、まだはっきりしていません。11月23日は、祝日ですが、授業は実施します。)

来年度問題分析ゼミについて

西暦2021年度向け問題分析ゼミナール紹介動画がアップされています。インドネシアのバリ島との遠隔通信の様子です。



記述の自己評価 ★★★☆☆
CE 2020/10/26 JST 作成
蛭川立

【講義ノート】「身体と意識」2020/10/23

先週の授業の続きですが、この講義ノートは、「臨死体験」とリスト名を書いた後は、先週と同じ内容です。

Oh-o!Meiji経由でお知らせリンクを送ったのですが、今回の授業内容が特殊であることについて、長々とお知らせメッセージを書いたところ、字数が多すぎて配信できなかったようです。しかし、その後でURLだけ送ったものは、うまく転送されたようでして、皆さんもこのページに辿り着けたでしょうか。

大学生が薬草で疑似臨死体験を起こし、うつ病を自己治療した件について

一昨日、以下のような報道がありました。

news.yahoo.co.jp

まずはこの記事を三ページ目まで読んでください。とくに最後の部分です。

事件が起こったのは去年の七月で、警察が綿密に捜査し、本人と売ったほうの青年の二人を逮捕し、それが報道されたのが三月でした。そのころ私は新型コロナウイルス問題で新年度をどうするのかということで頭がいっぱいで、事件のことを考えている余裕がありませんでした。

悲しいことですが、心を病んだ大学生がネットで危険ドラッグを買って飲んで自殺未遂、救急搬送された、というのは、ままあることです。最初に話を聞いたときには、そういう事件なのだろうなと思っていたのですが、よく調べてみると話は逆で、生きる意味を見失って、自分なんてもうこの世から消えてしまったほうがいいのでは、といった観念にとりつかれて、不登校引きこもりになっていた大学生が、アマゾンの薬草をネットで購入、Amazonで買ったということではなくて、南アメリカのペルーやブラジルで使われてきた、アヤワスカという伝統的な薬草です(正確にいえば、同じDMTを含む似たような植物)、それを飲んで計画的かつ安全に臨死体験を起こし、結果的に人生の意味を取り戻したという、どうやらそれが本当だったと知って驚いたのが今年の六月でした。

以来、ずっと気になっていたテーマなのですが、薬草をお湯に入れて飲んだと言うことが、「麻薬」を「製造」して「施用」したとして罪に問われていたこの大学生、まだ未成年で、家庭裁判所で保護されていたため、間接的な情報しか入手できませんでした。

しかし、その大学生が二十歳になり、成人したので、未公開だった情報が公開され、新聞に載りました。「最強のドラッグ!」のような、いかにも有害そうな書き方はやめてほしいと記者さんには連絡をしたのですが、記事の内容自体は中立的で、結論部分に大学生本人の供述が載っています。今もその大学生はすっかり元気になったままなのだそうです。

昨日、一昨日と、この事件のことを調べていて、授業の準備ができませんでした、というわけでもなくて、ちょうど授業で扱っていた臨死体験というテーマが意外なことにリアルタイムで社会的な事件とリンクして、授業の内容もより立体的に深められると思います。

研究は、たんに知的好奇心を満たすだけではなく、日々現実に起こっている社会現象と関連してこそ、研究としての意味があるとも考えています。

アマゾン川のジャングルに住んでいる原住民が精霊と出会うために使っている幻覚植物について(私が和泉の人類学で講義しているようなテーマです)、そしてDMTという物質が臨死体験を引き起こし、またうつ病を治療する薬にもなるという(私がこの駿河台で講義しているようなテーマです)、これは世界的にはよく研究されていることなのですが、日本では人類学、心理学の両面から研究している人が他にいないらしく、新聞記者の人や弁護士さんから相談があったりで、てんやわんやです。

私もいままでのふつうの人生で、犯罪やら裁判やらと関わるのは初めての体験で、どう対応して良いものやら、目を回しています。しかし、いままで、幻覚植物だとか心霊現象だとか、怪しげな研究として理解されにくかった研究が、こんなところで理解され、役に立つのなら、今まで研究してきた甲斐があった、学者冥利に尽きる、と思い、情報の分析に協力しています。

現時点で私が調べたことと推測したことを、下記のサイトに書きました。これがもし本当なら、大学にも行かず、引きこもってネット世界に逃避している学生のほうが、じつはよく勉強していたという、大学教員としても驚くような出来事です。

hirukawa.hateblo.jp

この事件は、たまたま京都にある某大学の学生さんが救急搬送されて発覚しただけで、南米アマゾンの先住民族が使っている薬草について情報を流してきた「薬草協会」、比較的頭のいい理系の男子大学生を中心に、全国的に広がっていたようです。春学期の「不思議現象の心理学」の期末レポートにも、この事件をネットで見た、ということを書いてくれた人がいました。

彼は、そこそこ大きな大学の、ふつうの学生だったらしく、つまり、いまは大学二年生か三年生か、私のような中年よりも、皆さんのほうがずっとリアルに年齢が近い事件なのです。

下にも書いたとおり、以前に私の研究室で臨死体験の研究をしていた岩崎さんという人が、ネット上に論文をアップしています。

岩崎美香 (2011). 『旅として臨死体験ー日本人臨死体験者の調査事例よりー
岩崎美香 (2013). 『臨死体験による一人称の死生観の変容ー日本人の臨死体験事例から
岩崎美香 (2016). 『臨死体験後に至る過程ー臨死体験者と日常への復帰ー

ざっくりひとことでまとめると、臨死体験が死後の世界の体験なのかはさておき、臨死体験をして戻ってきた人は、人生観が前向きに変わる、ということです。

人間、死にかければ人生観が変わるだろう、というわけでもないのです。岩崎さんは、死にかけて「あの世」を見ないで戻ってきた人と、「あの世」を見て帰ってきた人の比較研究をしています。「あの世」を見て帰ってきた人のほうが、早く死んで天国に行きたいとは思わず、この肉体を持って生きることの意味をしっかり確認して「この世」に戻ってくる、という研究結果が出ています。

検察の取り調べでは、事件の大学生は、ネット上の記事や論文もかなり読み込んでいて、どうも、岩崎さんの論文も読んでいた可能性があります。もしそうなら、私が指導して大学院生に書かせた論文がネット上に流布し、それを読んだ大学生が、死ぬリスクをおかさずに疑似臨死体験をして人生の意味を取り戻したと、そういうことになりますから、私にとっても当事者性の高い事件でもあります。

事件を読み解く基礎知識

しかし、これほど不思議な事件を読み解くには、相応の基礎知識が必要です。明後日にも雑誌の取材の人が来るというので、そういう場合に備えて、まずはこのあたりを予習して、知識を身につけておいてください、ということで、こちら【必読】に解説ページを作ってみました。そこから先にさらにリンクがありますが、必要におうじて参照してください。

リンクがあちこちに飛んで、内容が重複していたり、私もだいぶ混乱していますが、現場のリアルな雰囲気はお伝えできているかもしれません。逮捕だとか犯罪だとか裁判だとか、およそそういう世界は初体験ですし、もともと犯罪関係のニュースやミステリー小説などにもとくに関心がなかったものですし、加害者が被害者を殺害したとか、誰かが自殺したとか、そういう痛ましい事件は正直なところあまり好きではありません。たとえフィクションであったとしてもです。

世の中には色々な出来事がありますが、えてして「わかりやすくて」「不幸な」事件のほうが大きく報道され、人々の共感を呼びます。もちろん、そういう事件の原因を究明し、繰り返さないような対策が必要です。しかしいっぽうで「わかりにくくて」「幸福な」事件は、共感の前に理解するのが難しく、報道もあまりされないものです。「わかりやすくて」「幸福な」出来事も大いにけっこうですし、また同時に「わかりにくくて」「幸福な」出来事の謎を解いていくのが学者の仕事です。「わかりにくくて」「不幸な」事件の謎を解いていく名探偵は多いですが「わかりにくくて」「幸福な」事件の謎を解いていくのが、やはり学者の本懐だと、少なくとも私はそれが生きがいで研究をしています。(アマゾンのジャングルに探検に行ったり、オカルト的なものが大好きだというわけではないのです。)

取材や原稿の話をとりまとめつつ、同時並行で、本当に口でしゃべって授業をしているときのように、話し言葉で、まとまりのない話になってしまいましたが、会話とは違って、また上にさかのぼって文章を加筆修正しています。リンクもWorld Wide Web的に、リゾーム的に増殖中です。



(以下は、先週の講義ノートと同じ内容です。)

臨死体験

臨死体験というのは、死に瀕したときに、光の世界に行って、死んだご先祖様に出会い、また戻ってくる、といった体験です。それに先立って、体外離脱体験が起こることが多いのですが、臨死体験を、文字どおり、肉体が死んだときに魂が抜けて、あの世に行く、ととらえると、意識が身体を離れるのは当然のことです。

しかし、それは否定も肯定もできません。研究が進んでいないから、というよりは、それが、一人称的、主観的な体験だからです。そもそも、肉体から霊魂が抜け出したとしても、その霊魂は、どこに行くのでしょう。それは、雲の上や、地下のような、物理的な場所ではありえません。

私たちは、死の淵から生還した人から、臨死体験の体験談を聞くことができますが、それは、生還したからであって、本当に死んでしまった人からは、死んでいくときの体験を聞くことはできません。

誰もが、最後は死んでいくという体験をするでしょうから、そのときには、臨死体験者が語るような体験をするかもしれないし、しないかもしれません。(なお、いままで何万人もの研究が行われてきましたが、臨死体験者のほぼ全員が、天国、極楽のような世界に行ってきたといいます。しかし自殺未遂者だけは、地獄のような体験をしたという人の割合が多いのです。なぜなのかはわかりませんが、あるていど長生きしてから、老衰か、あまり苦しまない病気で逝きたいものですね。)

臨死体験の話をしていると、これは非常に興味深いテーマなので、長くなってしまいます。こんな話を長々としても、一部の特殊な人しか興味がないことかなと思っていたのですが、最近、この授業の履修者が増えてきて、情コミ学部だけでも8割ぐらいの人が受講しているようで、しかも、レポートで、授業で扱ったような体験で、自分で体験したことを分析してください、という課題を出すと、かなりの人数の人が、自分の臨死体験について書いてくれるのに、とても驚いています。一般人口の臨死体験経験者は、50人に一人ぐらいだといわれていますが、二十歳ぐらいの年齢でも、100人に一人ぐらいはいるようです。大学生ぐらいの年齢で、事故や病気など、とても大変な思いをした人が多いのですね。

家族や友人など、身近な人が体験をしている確率は、10分のⅠ以上でしょう。けっして特殊な問題ではないことがわかります。

瀕死状態から生還した人の場合は、約三割が体験するといわれます。体験しても忘れてしまう人がおおいことからすると、ひょっとしたらすべての人が死にゆくときに臨死体験のような体験をするのかもしれません。誰もが一回だけ死というものを体験するわけですから、誰もが少なくとも一回は体験する、そういう意味では普遍的な体験なのかもしれません。

臨死体験については、これはかねてよりブログ上の未完成記事「臨死体験」や、著書『彼岸の時間』の第一章「他界への旅」をはじめ、多数の場所で繰り返し議論してきましたが、逆に、まだ要領よくまとめきれていません。

臨死体験の映像資料

臨死体験についてはすぐれた映像資料が多数あります。とりわけ再現映像は、文字で読んで理解しようとするよりも、ずっと直感的にわかりやすいものです。

1990年代に立花隆によって構成されたNHKスペシャル臨死体験』は日本での先駆的な秀作でした。最近では同じNHKで2014年に放送されたBSプレミアム『超常現象』が、臨死体験をとりあげています[*1]。自作自演の映像作品『死生観の人類学』でも国際臨死体験研究学会の様子などを紹介しましたが、CGによる再現映像などを入れる予算はありませんでした。

海外のドキュメンタリーとしては、イギリスBBCの『驚異の超心理世界』(NHK教育テレビによる邦訳)や、近年ではDiscovery Channelの『Through the Wormhole』におさめられた「Is there life after death?」などがあります。SF映画というフィクションの中で臨死体験の内容を映像化したものとしては、もはや古典となった『Brainstorm』があります。また、やはりNHKで放映された『チベット死者の書』では、チベット仏教の経典に書かれている死と転生の体験がCGによって再現されています。

臨死体験研究の日本語論文

蛭川の研究室の大学院で学んだ岩崎美香さんが、日本語圏では先駆的な研究を続けてきました。いくつかの論文はWEB上で公開されています。

岩崎美香 (2011). 『旅として臨死体験ー日本人臨死体験者の調査事例よりー
岩崎美香 (2013). 『臨死体験による一人称の死生観の変容ー日本人の臨死体験事例から
岩崎美香 (2016). 『臨死体験後に至る過程ー臨死体験者と日常への復帰ー

岩崎さんは、臨死体験そのものよりも、臨死体験から生還した人の人生観、世界観の変化に注目して研究してきました。これは、とてもユニークな分析です。

事故や病気で死にかけてから戻ってくれば、人生観が変わるのは当然です。しかし、死にかけて臨死体験をせずに戻ってきた人が、これからはもっと命を大切にして残された人生を歩もう、と考えるのに対し、臨死体験をして戻ってきた人は、いずれは死ねば天国のような場所に行くのだろうけれども、それから肉体を持って生きている間は、精一杯生きよう、という、独特の人生観を持つようになるのです。

死後の世界があるかないか、それは死んでみなければわからないことですが、いずれにしても、どう生きるかは、これは現実に意味のあるテーマです。



記述の自己評価 ★★★☆☆
(講義の補助のための覚書であり、大ざっぱな口語調です)
CE2019/10/17 JST 作成
CE2020/10/23 JST 最終更新
蛭川立

*1:『超常現象 1集 さまよえる魂の行方』。 www.nhk-ondemand.jpNHKオンデマンドで視聴できる。)

【講義ノート】「人類学B」2020/10/12+19

先週、10月12日は開店休業のようになってしまい、申しわけありませんでした。昨年度までですと、学会で発表したり会議で議論したりと、そちらのほうを優先せざるをえない場合は、休講ということで、講義をお休みにしていたのですが、リアルタイム掲示板なら、ノートPCが手元にあり、電波さえつながれば、同時並行でできるかと思ったのですが、ちょっと無理でした。今年度の授業は試行錯誤ですが、ちょっと読みが甘かったようです。恐縮です。

さて、今週、10月19日の授業ですが、もういちど、同じ内容を繰り返します。それは、先週、議論ができなかったからでもありますが、かなり広大な分野を扱っているので、むしろ2週間かけて議論する必要がある内容だとも考えるからです。また、遺伝子がパーソナリティを規定する、などということを、サラリと言っていますが、分子遺伝学や脳神経科学の基礎知識があって理解できるものですが、生物学を専門としない大学の、1〜2年生のみなさんには、まずその基本から説明する必要があるかなということで、すこし説明を補充しました。

個人向け遺伝子解析

今週のテーマは「個人向け遺伝子解析」です。唾液を検査会社に送ると、DNAの遺伝情報を読み取ってくれるというサービスです。相場は、1〜2万円です。

私が試したものですが、主なサービスとしては

などがあります。

主な目的は、自分がどんな病気に罹りやすいかということを知ることです。一種の健康診断です。

私がやってみたところでは、喉頭がんにかかる確率が、平均より1.2倍高い、と出てきました。ガンになるのも、遺伝的な要因と、環境の両方があります。しかし、たくさんの要因が交絡しているので、遺伝子検査でわかるのは、せいぜい「罹患するリスクが1.2倍高い」というぐらいです。

遺伝的健康診断

ガンになる確率が高いということがわかってどうするのか、なのですが、たとえば、喉頭がんにかかりやすい人は、喫煙を控えましょう、といった生活習慣指導もついてきますから、多少は参考になります。

(本当に命にかかわるような重病が確実に発病しやすい場合は、逆に教えてくれません。)

自分のルーツを探る

また、自分の遺伝子を調べることで、自分の祖先がどこから来たのかを知ることができます。

アフリカで誕生した現生人類が日本列島までやってきたのは、多数のルートだということがわかっています(→「遺伝子からみた日本列島民の系統」)。自分の祖先が、どのルートを辿ってきたのかを知ることができます。

自分の性格を知る

人間の認知機能、簡単にいえば頭の良さやパーソナリティ、簡単にいえば性格には個人差があるが、その要因は、遺伝と環境が、おおよそ半々か、それ以上であり、遺伝率は意外に高いということが知られています「パーソナリティと遺伝子」、「認知機能・パーソナリティの小進化」を参照。

個人向け遺伝子解析でも、あなたの性格は?あなたの音楽的才能は?といった分析をしてくれるサービスもあります。

もっとも、知能や性格に遺伝的な部分が多いとしても、たくさんの遺伝子がかかわっているため、どの遺伝子が脳のどの機能とかかわっているのかは、まだわからないことだらけで、あなたはこういう遺伝子を持っているから、こういう性格です、といった分析結果が出てきたとしても、血液型性格占いと同じぐらいのものだというのが実情です。しかし、将来研究が進めば、もっと詳しいことがわかってくるかもしれません。

(昨年度までの講義では、教室のPCから自分の分析結果のページにログインして結果をお目にかけていたのですが、今年はそれができません。一例として「GeneLife」で、クロニンジャーのTCIの「自己超越性」について「検査」した結果をこちらにアップしておきました。)

以上ですが、詳しいことは「個人向け遺伝子解析」のページに詳細に書きましたので、ごらんください。

来週以降の予定

来週以降の授業は、遺伝、生殖という自然人類学的なテーマから、婚姻、親族、社会といった、文化人類学社会人類学的なテーマへと移行していきます。

春学期の人類学Aの授業を受講した皆さんには、2003年に中国で調査中にSARS騒動に巻き込まれてしまったことを何度もお話しましたが、かんじんの調査の内容については、きちんと整理してお話しませんでした。たとえば、「走婚ー雲南モソ人の別居通い婚」などのページがありますが、当時の体験談と研究資料が混ざったままで整理できていません。整理できないところが現地調査のリアリティでもあるのですが。

来年度問題分析ゼミについて

西暦2021年度向け問題分析ゼミナール紹介動画が公開されました。



記述の自己評価 ★★★☆☆
CE 2020/10/11 JST 作成
CE 2020/10/19 JST 最終更新
蛭川立

【講義ノート】「身体と意識」2020/10/08

異なる意識の状態に対応して、異なる現実が体験される、ということで、いちばんわかりやすい例として、睡眠中の夢をとりあげました。

人生90年なら30年は睡眠

この授業では、夢分析や夢占いなどについては、とりあげません。心理療法、カウンセリングなどでは、夢の内容を分析することもあります。とくに、精神分析という精神療法の流派では、そういう方法を用います。子どものころの夢、とくに両親との関係が夢に出てくる場合には、それを分析することで、心の問題が解決することがありえますが、現在では、精神分析など、夢には重要な意味があるという考えには疑問が多いとされています。夢の内容の多くは無意味だという説が有力です。(ただし、夢の内容だけでなく、経験したことをセラピストや医師と話し合うこと自体で悩みが解決したりすることはあります。)

かりに夢の内容が無意味だからといって、夢を見ることが無意味だというわけでもありません。悪夢ならともかく、楽しい夢は楽しめばいいわけです。

人生の三分の一は睡眠です。一生を90年とすると、じつに30年を睡眠状態ですごすわけです。そのうちのかなりの部分を、夢の世界ですごします。起きている世界を楽しむように、夢の世界も楽しめばよいわけです。

夢分析や夢占いは、夢の内容を分析して、目覚めているときに生活をより快適にしよう、と考えますが、夢の内容自体を快適にしようという発想ではありません。

明晰夢

夢の中で「これは夢だ」と気づくことがあります。これを「明晰夢」といいます(→「明晰夢」)。明晰夢にも二段階あって、夢の中で「これは夢だ」と気づく段階、さらに、夢の内容を自分の意志で変えてしまえるという段階があります。

夢の内容を自分で変えてしまうことができれば、夢の世界を自由に楽しめます。現実の生活というものは、なかなか思うようにはならないこともありますが、夢は夢なので、やろうと思えば、かなり簡単に内容を変えられます。

明晰夢については、個人差があります。おそらく、百人に一人ぐらいは、毎日の夢が明晰夢で、それが当たり前だという人がいます。私の授業などを聞いて、99%の人が自分とは違うのか、と思って驚く人がいます。

明晰夢を一度でも見たことがある人は、大学生の話を聞くかぎりは、80%ぐらいです。

練習をすれば、明晰夢を見られるようになるといわれています。いろいろな方法があるようですが、けっきょくは、明晰夢を見ようという意志が大事であるようです。

入眠時幻覚と体外離脱体験

夢の変種としては、入眠時幻覚があります。俗に金縛りというものです。

ふつう、睡眠は、ノンレム睡眠、つまり夢を見ない眠りから始まり、レム睡眠、夢を見る眠りから覚めます。

しかし、体質や状況によっては、レム睡眠から眠りに入るときがあります。たとえば、体がとても疲れていて、意識が覚醒したまま、体のほうが先に眠ってしまう場合などです。これを、入眠期の夢とか、入眠時幻覚といいます。

意識ははっきりしているのに、身体だけが動かないので、体の上に誰かが乗っているような重みを感じることもあります。こういう場合を、睡眠麻痺といいます。

以上の内容の詳しいことは「入眠時幻覚と睡眠麻痺」を読んでください。

意識と体がずれてしまったり、意識と体が分離してしまうような感覚になることもあります。完全に分離してしまったような感覚を、体外離脱体験といいます。俗に幽体離脱ともいいます(→「明晰夢と体外離脱体験」)。

臨死体験

体外離脱体験がよく体験されるのは、臨死体験のときです。臨死体験というのは、死に瀕したときに、お花畑に行って死んだ祖父母に会う、という体験です。それに先立って、体外離脱体験が起こることが多いのですが、臨死体験を、文字どおり、肉体が死んだときに魂が抜けて、あの世に行く、ととらえると、意識が身体を離れるのは当然のことです。

しかし、それは否定も肯定もできません。

私たちは、死の淵から生還した人から、臨死体験の体験談を聞くことができますが、それは、生還したからであって、本当に死んでしまった人からは、死んでいくときの体験を聞くことはできません。

誰もが、最後は死んでいくという体験をするでしょうから、そのときには、臨死体験者が語るような体験をするかもしれないし、しないかもしれません。(なお、いままで何万人もの研究が行われてきましたが、臨死体験者のほぼ全員が、天国、極楽のような世界に行ってきたといいます。しかし自殺未遂者だけは、地獄のような体験をしたという人の割合が多いのです。なぜなのかはわかりませんが、あるていど長生きしてから、老衰か、あまり苦しまない病気で逝きたいものですね。)

臨死体験の話をしていると、これは非常に興味深いテーマなので、長くなってしまいます。続きは来週にします。こんな話を長々としても、一部の特殊な人しか興味がないことかなと思っていたのですが、最近、この授業の履修者が増えてきて、情コミ学部だけでも8割ぐらいの人が受講しているようで、しかも、レポートで、授業で扱ったような体験で、自分で体験したことを分析してください、という課題を出すと、かなりの人数の人が、自分の臨死体験について書いてくれるのに、とても驚いています。一般人口の臨死体験経験者は、50人に一人ぐらいだといわれていますが、二十歳ぐらいの年齢でも、100人に一人ぐらいはいるようです。家族や友人など、身近な人が体験をしている確率は、10分のⅠ以上でしょう。けっして特殊な問題ではないことがわかります。

大学生ぐらいの年齢で、事故や病気など、とても大変な思いをした人が多いのですね。もちろん、その多くは助かって、後遺症もないわけですが、助かった人だけが生き延びて、この授業を履修しているのでしょうが、さて、続きはまた来週にします。



記述の自己評価 ★★★☆☆
CE2020/10/08 JST 作成
蛭川立

【講義ノート】「身体と意識」2020/10/08

異なる意識の状態に対応して、異なる現実が体験される、ということで、いちばんわかりやすい例として、睡眠中の夢をとりあげました。

夢分析や夢占いなどについては、とりあげませんでした。心理療法、カウンセリングなどでは、夢の内容を分析することもあります。とくに、精神分析という精神療法の流派では、そういう方法を用います。子どものころの夢、とくに両親との関係が夢に出てくる場合には、それを分析することで、心の問題が解決することがありえますが、現在では、精神分析など、夢には重要な意味があるという考えには疑問が多いとされています。夢の内容の多くは無意味だという説が有力です。

夢の変種としては、入眠時幻覚があります。俗に金縛りというものです。

ふつう、睡眠は、ノンレム睡眠、つまり夢を見ない眠りから始まり、レム睡眠、夢を見る眠りから覚めます。

しかし、体質や状況によっては、レム睡眠から眠りに入るときがあります。たとえば、体がとても疲れていて、意識が覚醒したまま、体のほうが先に眠ってしまう場合などです。

意識ははっきりしているのに、身体だけが動かないので、体の上に誰かが乗っているような重みを感じることもありますし、意識と体がずれてしまったり、意識と体が分離してしまうような感覚になることもあります。完全に分離してしまったような感覚を、体外離脱体験といいます。俗に幽体離脱ともいいます。



記述の自己評価 ★★★☆☆
CE2020/10/08 JST 作成
蛭川立

【講義ノート】「人類学B」2020/10/05

人類学Bの講義ノートです。10月5日のディスカッションの資料です。

先週は、原始的な生命から人間への進化をざっと振り返りましたが、今週は、アフリカで誕生したホモ・サピエンスが、どのように地球上の各地に移住していったかという歴史をたどります。

近年は、遺伝子(〜DNA)の分析で、人類の系統関係はかなりはっきりわかってきました。「遺伝子からみた人類の系統関係」【必読】に書いたとおりですが、とくに母→子へしか伝わらないミトコンドリアのDNAの分析と、父親から息子へしか伝わらないY染色体の分析によって、人類の移住、拡散のルートが、かなり明らかになってきました。

とくに、アフリカを出た人類が、どのように日本まで辿りついたかは「遺伝子からみた日本列島民の系統」【必読】に書きました。上記二つの記事は「蛭川研究室旧館」のほうにあり(サイトに入るのに秘密の数字を入力する必要があります)、内容にも重複するところもあり、整理して「蛭川研究室新館」の資料集に移動させる予定です。

今では一万円ぐらい払うと「個人向け遺伝子解析」【今は必読ではありません、来週扱います】が受けられます。一ヶ月ぐらいで、自分の持っているゲノムを全部解読してくれます。ちなみに私は父方も母方も縄文人で、とくに母方が北インド由来という、日本人には千人に一人しかいない珍しい系統なのだそうです。ネパールあたりに行くと現地の人に溶け込んでしまうのですが、顔が似ているからでしょうか。(今は文字だけの授業で恐縮です。)



なお、遺伝子の話をするにあたっては、その科学社会学的な文脈をわきまえておく必要があります。

人種や民族によって遺伝子には違いがあります。性別によっても違いはあります。個々人にも知能やパーソナリティの遺伝的な違いがあります。これらは、人種や民族や性別にかかわらず人間はみな平等だという理念と食い違うようにとらえられます。とくに、日本のような場所にいるとわかりにくいのですが、人種や民族の問題は、グローバルには大きな問題です。そのことについて「人種・民族・文化」【閲覧推奨】に書いておきました。

人間は人種や民族や性別の違いによらず平等であり、差別されてはならない、というのが近代社会の理念です。しかし、その理念と、人種や性別による遺伝子の違いがある、という事実とは、別の問題です。前者は社会的な価値に関わる問題であり、後者は客観的な事実にかかわる問題だからであり、これは、よくよく分けて考える必要があります。



人類の起源や日本人のルーツを探る、というのは、それ自体でも興味深い研究ですが、人間を生物としてとらえる自然人類学は、医学という応用分野にも結びついています。

つい先日、9月30日に、ネイチャーという科学雑誌に、時事的で興味深い論文が発表されました。

https://www.eurekalert.org/multimedia_ml/pub/web/12536_web.jpg
ネアンデルタール人に由来する、新型コロナウイルス感染症を重症化させるリスクを持った遺伝子の分布[*1]

新型コロナウイルス感染症は、中国(おそらく雲南省のコウモリ)から感染が始まった感染症ですが、なぜか中国や日本など、東アジア・太平洋地域では感染率・重症化率が低く、欧米や南米などでは感染率・重症化率が高いのです。

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新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の人口千人あたり感染者数(2020年9月)[*2]

日本での感染者数は、増減を繰り返してきましたが、だいたい1000人に0.1人、つまり一万人に一人の割合です。(東京はやや多目ですが。)皆さんの周囲で、人間が一万人いるとして、そのうちの一人が感染している、というぐらいの割合です。意外に少ない割合です。(しかし、これが、人口一万人ぐらいの小さな集落だと、逆に、だれか一人感染者がいる(かもしれない)という話になってしまいます。)

日本が清潔で、文化的なソーシャルディスタンスが長いからだという仮説もありますが、地域的にみると、東アジア・西太平洋地域、それから意外に熱帯アフリカでも感染が広がっていません。

逆に、感染者が多いのは、もともとイタリアから大規模な感染が始まったヨーロッパであり、そして南北アメリカ大陸です。

人類学の基礎知識ですが、国や地域を基準とした統計と、民族による統計は、区別して考えなければなりません。日本だと、日本国に住んでいる人の大多数が日本人やアイヌ民族などの先住民で、外国からの移民は少数です。ところが、アメリカ大陸やオーストラリアでは、多民族がざっと

  • モンゴロイド系の先住民族(ほとんどの国で少数民族
  • ヨーロッパ由来の「白人」
  • アフリカ由来(西アフリカから「奴隷」として連れてこられた「黒人」
  • アジア由来(最近になって増えた)

といった層をなしています。

さて今、アメリカ合衆国やブラジルで感染率が高く、1000人に10人、つまり100人に一人の割合です。日本の百倍です。二桁違います。この感染率の違いは、地理的な条件なのか、人種(コーカソイド〜いわゆる「白人」)の違いなのか、ということがわかると、この病気を治す手がかりになります。

アメリカでもブラジルでも、大統領が感染したと報じられていますが、ブラジルの大統領は回復して支持率を上げ、アメリカの大統領は選挙運動を続けられるのか、なかなかお気の毒な状況ですが、共通しているのは、二人とも「白人」だということです。政治的な背景からすれば、両国とも、社会的階層が高くない白人層を支持基盤に持つ保守政権です。これは、もともと社会的な地位が低かった「有色人種」を優遇しすぎたのではないか?という反省からきた反動であり、同じような保守化の傾向は、世界的な趨勢です。

政治の話は政治学の授業に譲るとして、話を戻しますと、この地域差または人種差については、いくつかの仮説が提唱されています。

  1. 欧米で流行しているのは、より強毒化した変異である
  2. モンゴロイドは重症化しにくい遺伝子を、コーカソイドは重症化しやすい遺伝子を持っている
  3. 日本人はヨーロッパ人よりも清潔好きで、もともと「ソーシャルディスタンス」が「長い」(しかし、他の東アジア人は?)
  4. 中国を中心とする地域では、すでに同種異株のSARS(「旧型」コロナウイルス感染症)が流行したため、免疫を持っている人が多い
  5. BCGの接種をした人は、新型コロナウイルスに対する免疫も持っている

冒頭で紹介したネアンデルタール人由来遺伝子の研究は、以上の(2)の仮説を裏づけるものです。

ただし、上記の仮説は互いに背反なものではなく、複数が関与している可能性もあります。人種よりも地域の偏りが大きいとなると、仮説(4)が有力になります。17年前に中国でSARS騒動に巻き込まれ、発熱し、感染したかどうかは不明なまま、日本に送り返されてきた私としては、もっとも気になる仮説です。2003年、中国で雲南省少数民族の社会を調査していたことについては「2003年、SARS流行下、中国での調査記録」【もう読んだという人は、見なくてもよいです】に長い冒険旅行の話を書きましたが、雲南省少数民族の「通い婚」などの話は、また来月ぐらいにお話します。

ネアンデルタール人は、ヨーロッパから西アジアにかけて住んでいました。その後、アフリカから移住してきた現生人類、ホモ・サピエンスと交雑しながら、滅んでいったと考えられています。現代人の遺伝子の中にも、ネアンデルタール人に由来する遺伝子がすこしだけ含まれているのですが、その割合は、ヨーロッパから西アジアにかけての地域に多いのです。(15世紀以降、南北アメリカ大陸などに世界中に移住したヨーロッパ人も含みます。)この三種類の人類の系統関係は「現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人 ーホモ族の三亜種?ー」【関心があればお読みください】に書きました。

ただし、これはあくまでも仮説です。しかし、大昔のネアンデルタール人の遺伝子が、現代の世界で起きている大問題と、意外なところでつながっているというのは、興味深い視点です。



さて、ウイルスとはなにかというと、遺伝情報を担っているRNAやDNAのような分子であり、それが「感染」するということは、個体間で遺伝子が「水平伝播」することです。

ふつう、遺伝情報は、親から子へ、精子や卵の中にあるDNAを介して伝わっていきます。これを「垂直伝播」といいます。

そういう、遺伝情報の伝播という視点からすると、遺伝子は、親から子だけではなく、ウイルスを介して、ある人から他人へ、あるいはコウモリのような他の動物から人間へも伝播しているわけです。

というところで「ウイルス進化論」【閲覧推奨】というページを見てください。

ウイルスというと、まずは「病原体」というイメージですが、それは、病気を引き起こすウイルスの存在が気づかれやすいからで、じつは、病気を起こさないウイルスのほうがたぶん、ずっと多く、日々、色々な人(や、その他の動物)の間で「感染」つまり「水平伝播」していると思われます。「思われます」などと曖昧なことしか言えないのは、じっさいには、病気を起こすウイルスを見つけて、それを退治するほうが緊急課題ですから、無害な(あるいは有益な?)ウイルスが、どれぐらい存在し、感染しているのかについては、ほとんど調べられていないからです。

しかし、ウイルス進化論の中の図にあるように、ヒトのゲノム(人間が持っているDNAの遺伝情報)の中で、じっさいに形質を発現させている、意味のある領域(エクソン)は、そのうちの1%ぐらいしかない、ということは、以前から知られていました。残りの99%は正体不明だったのですが、どうやら、半分以上が、ウイルスとトランスポゾン(同じ個体の内部で動き回るウイルス)だということがわかってきました。

いま、一人ひとりが持っている遺伝子、これは両親から受け継いだものだけではなく、ウイルスの感染によって受け継いだものも、かなりの割合で含まれているのかもしれません。「かもしれません」というのは、これもまた、まだ研究が進んでいないからです。

ウイルス進化論のページの中段には、性行為感染症ウイルスの話を書きました。性行為感染症というのも、まずは、感染させない、しないことが大事、という医学的な問題ですが、これも、進化論的な視点から考えることができます。

もちろん、性行為は、男女、雌雄の遺伝子が、精子と卵を通じて、次世代に引き継がれる、そういう場ではあるのですが、霊長類の社会進化は、また後日扱いますが、ヒトやボノボは、排卵期以外、妊娠しやすい時期以外にも盛んに交尾します。その意味としては、雌雄のコミュニケーションだろうという社会的な仮説が有力です。しかし、それが、ウイルスの感染の場面でもあるのも事実です。ここで「感染」というと病気のことを考えますが、じっさいには病気を起こさない無害なウイルスも「水平伝播」しているものと考えられます。

水平伝播しながら進化してきたウイルスの例として「HTLV-1(ヒトTリンパ好性ウイルス/ヒトT細胞白血病ウイルス1型)」を挙げておきました。このウイルスの分布を見ると、縄文人、その末裔であるアイヌや沖縄の人たちが、アフリカ由来の非常に古い遺伝子を持っていることがわかります。

余談のほうが本題より長くなってしまいましたが、もうひとつ、ウイルス進化論のページの下のほうに、ウイルスと脳の共進化という話を書いておきました。おそらくウイルスの大半は無害なものですが、病気を起こす有害なウイルスもいるいっぽうで、進化を引き起こす有益なウイルスもいるはずです(有益と有害を兼ねているものもいるでしょう)。

その中でも興味深いのは、脳の働きにかかわる遺伝子が、ウイルスを介して伝播しているという研究です。病気を引き起こすウイルスがいる一方で、大ざっぱに言うと、ですが、感染すると頭が良くなるウイルスもいるかもしれない、という話です。

精神病を引き起こすウイルスがいるのではないかという研究がある一方で、精神病的な素因が創造性の発露につながるという側面もあります。天才と狂気との関係は、かねてより議論されてきたことです。

というところで、来週は、遺伝子がどのように人間の性格や精神疾患とかかわっているか、というところに、話をつなげていきます。

(5日のディスカッションまでに、まだ加筆修正するかもしれませんが、おおよそは以上のような内容で、事前に目を通しておいてください。)



CE2020/10/03 JST 作成
蛭川立

【講義ノート】「身体と意識」2020/10/02

身体と意識、二回目の講義ノートです。

初回では、人間の意識は複数の意識状態をとりうる、それぞれの意識状態に対応して、それぞれ異なるリアリティが体験される、などとお話しましたが、何のことやら、かもしれません。

いちばんわかりやすいのは、睡眠中に見る夢です。まずは、睡眠と夢の生理学的なところから勉強していきましょう。

ヒトは昼行性動物ですから、昼間に起きていて、夜は眠ります。夜に寝ているときに、夢を見ます。寝ている間にも、だいたい90分のサイクルでレム睡眠が繰り返され、一回の睡眠で何回も夢を見ます。詳しくは「睡眠と覚醒のリズム」【必ず読んでください】をごらんください。

他の動物が意識といえる経験を持っているのかどうかは、よくわかりませんが、睡眠と覚醒を繰り返し、しかも、夢を見るのは、哺乳類と鳥類です。動物の種類によってもずいぶんと睡眠時間は違います。何のために夢を見るのか、その意味についてはすべてが解明されているわけではありませんが、乳幼児はレム睡眠が長く、加齢とともに徐々に減っていくことからして、外部からの情報を長期記憶として固定し、新しいことを学習していくために役立っていると考えられています。さて、ここまでの一段落のことは「睡眠と夢見の系統発生と個体発生」【これも必読】に書きました。

まずは、知っておいてほしいのは、だいたい上記の内容です。



余談ですが、個人的には、朝起きるのが大変で、夜になると目が冴えてしまい、こんどは眠れなくなる、という持病があります。これを「睡眠相後退症候群」といいます。それが病気といえるのかどうかは程度の問題で、夜も人工的な照明がふつうにある文明環境では、誰しもがそういう生活になりがちだということはあります。

しかし、人間の体内時計を調べてみると、この時計の周期は24時間よりすこし長くて、25時間ぐらいだと言われています。真っ暗な部屋で何日も暮らしてもらうという実験をして、明らかになってきたことです。ということで、これは、私だけが特異体質ということではなく、誰もが陥りうる問題だといえます。

かつて私は午後の時間帯に仕事を入れることが多かったのですが、眠くなったら寝る、目がさめたら起きる、という生活をしているうちに、どんどん生活のリズムが後ろにずれていってしまい、早寝早起きに戻しても、また後にずれていってしまうという生活を送っていました。医者と相談して、毎日の睡眠日誌というものをつけてみたのですが、自分のリズムに従って生活してみると、一ヶ月に五時間も後退してしまいました。これを計算すると、1日あたりの周期は24時間10分となります(→「睡眠相後退症候群」【必読ではありません】)。1日に10分でも、一ヶ月放置しておくと、五時間もずれてしまいます。これでは勤務生活に支障をきたしてしまいます。

(とくに文系の)大学教員というのは(そして大学生も同じです)時間的な自由がきく反面、どうしても生活が自律できなくなってしまいがちです。けっきょく私は入院して、睡眠時間正常化プログラム生活に参加し、生活時間を治しました。特別なことをするというわけでもなく、集団生活の中で、朝、決まった時間に起きて、夜は決まった時間に寝る、という、強制力のもとで暮らすわけです。

脳内時計が24時間以上の周期で動いているなら、どうしてふつうは24時間周期で生活できるのでしょう。それは、太陽の光が24時間周期だからです。この光によって、脳内時計がリセットされます。

病院のプログラムで特別だったのは、毎朝、強力なライトの光を浴びながら、朝食をとるということでした。もちろん、日光をあびても同じことなのですが、この方法の利点は、天気が悪い日でも、直射日光と同じだけの光を浴びつづけることができることです。これは、自宅でもできます。

その後、毎朝6時ごろに自然に目覚めるようになりました。目覚まし時計に起こされて気持ちが悪い、ということが、めっきり減りました。面白いものです。

さらに余談が長くなってしまいますが、最近は、スマホで、睡眠サイクルを記録してくれるアプリがいろいろ開発されています(→「スマートフォンの睡眠記録アプリ」【必読ではありません】)。ふつう、眠りに入るときは、深い眠り、ノンレム睡眠から入るのですが、目覚めるときは、レム睡眠から目覚めます。朝の最後のレム睡眠をとらえて、そのタイミングでアラームを鳴らしてくれるアプリもあります。それで、スッキリ目覚めることができるというわけです。



さて今日もまた夜になってしまいました。教材はすでに全部アップしてあるとはいえ、講義ノートが前日の夜になるのは遅いので、前日ぐらいには、と思いつつ、今夜も遅くなってしまいました。病気とまではいえませんが、体質というのはなかなか変わらないものです。

今夜から明日の朝にかけても、この講義ノートもまた加筆するかもしれませんが、ざっと目を通してもらえると、ディスカッションのときに、話が早い、と思います。



CE 2020/10/01 JST 作成
蛭川立